め、遂には一死をもって国民党の圧政に抗し、台湾に民主・自由の道を拓いたのが、「台湾の三島
由紀夫」とも讃えられる鄭南榕烈士だ。
鄭南榕は1988年末、台湾独立建国聯盟主席だった許世楷氏(元台北駐日経済文化代表処代表)の
「台湾共和国憲法草案」を、主宰して編集長をつとめる自由時代社の週刊誌「自由時代」に掲載。
1989年の年が明け、検察は叛乱罪容疑で召喚しようとしたが鄭烈士は頑として応じず、台北市内の
自社に籠城、完全な言論の自由を求めて抗議し続けた。
そして「国民党が私を逮捕できるとすれば私の屍だけだ」と宣言し、4月7日午前9時過ぎ、警官
隊が包囲する中、ガソリンをかぶって覚悟の自決を遂げられた。享年42。
自決から27年目の本年4月7日、次期総統の蔡英文氏は墓前で執り行われた慰霊祭で、4月7日を
「言論自由の日」と定める作業にかかりたいと表明した。台湾国際放送が伝えているので、下記に
紹介したい。
ちなみに、4月7日のこの日、本会は頼清徳・台南市長に台湾南部地震「お見舞い募金」を手渡し
ているが、台南市政府の前の道路は「南榕大道」と名付けられている。これは、一昨年(2014年)
4月3日、頼清徳市長が台南市庁舎の前の東哲街と西科街を「南榕大道」と改名したことによる。
本会は2005年(平成17年)から2011年まで、鄭南榕烈士の事績をもっと日本人に知っていただき
たいと「台湾建国烈士 鄭南榕先生を偲ぶ集い」を開催していたことがあり、鄭烈士のご命日にお
見舞い募金を頼市長に手渡すことになった巡り合わせに深い感慨を覚えざるを得なかった。頼市長
は敢えてこの日を指定されたのかもしれない。
なお、鄭烈士が焼身自決した自由時代社の編集長室は当時のままに保存され、記念館となってい
る。運営しているのは「鄭南榕基金會」。ホームページには日本語バージョンもある。翻訳してい
るのは蔡焜霖氏(蔡焜燦氏の実弟)。
また2012年8月、自由時代社が入っているビル前の路地は台北市議会の発議により、鄭南榕が希
求した言論の自由にちなんで「自由巷」と改名されている。
◆鄭南榕記念館・基金會(台北市民権東路3段106巷3弄11號3樓)
http://nylon.org.tw/index.php?option=com_content&view=frontpage&Itemid=1
蔡英文氏:4/7を「言論自由の日」に
【台湾国際放送:2016年4月7日】
次期総統に決まっている蔡英文・民進党主席が、4月7日を「言論自由の日」と定める考えを明ら
かにした。
「自由時代週刊」を発行し、言論の自由を訴え続けた鄭南榕氏は27年前の4月7日に焼身自殺し
た。この日、台湾北部・新北市金宝山の墓苑では記念の慰霊祭が行われ、蔡英文・次期総統が出席
した。
蔡英文・次期総統は挨拶の中で、鄭南榕基金会が最近、新政権の下で鄭南榕氏の命日である4月7
日が「言論自由の日」となるよう望んでいるとの報道を見たとした上で、自身も昨年同様の約束を
しているので、新政権発足後ただちにその作業に取り掛かると述べた。
蔡英文・次期総統は、今回は民進党が初めて総統ポストと立法院での多数を占める状態で、鄭南
榕氏も想像しなかったであろう歴史的な機会がやってきたのだと強調、時代の挑戦に向き合い、自
分は責任を逃れることができないと今後の国家運営に全力で当たる決意を示した。
鄭南榕氏は完全な言論の自由を要求、台湾独立の主張もそこに含まれると訴え、反乱罪の容疑に
よる裁判所からの呼び出しに応じず焼身自殺した。