て焼身自決した。今年で25年目を迎え、明日4月7日が命日だ。
鄭南榕烈士は1988年末、台湾独立建国聯盟主席だった許世楷氏(元駐日代表)の「台湾共和国憲
法草案」を、主宰して編集長をつとめる自由時代社の週刊誌「自由時代」に掲載。1989年の年が明
け、検察は叛乱罪容疑で召喚しようとしたが鄭烈士は頑として応じず、台北市内の自社に籠城、完
全な言論の自由を求めて抗議し続けた。
そして「国民党が私を逮捕できるとすれば私の屍だけだ」と宣言、4月7日午前9時過ぎ、警官隊
が包囲する中、ガソリンをかぶって覚悟の自決を遂げた。享年42。
妻は立法委員や行政院副院長、高雄市の代理市長をつとめた葉菊蘭さん。
去る4月3日、台南市の頼清徳市長は、台南市庁舎の前の東哲街と西科街を「南榕大道」と改名し
たという。メルマガ「台湾の声」が伝えているので下記に紹介したい。
なお、鄭烈士が焼身自決した自由時代社の編集長室は当時のままに保存され、記念館となってい
る。運営しているのは「鄭南榕基金會」。ホームページには日本語バージョンもある。翻訳してい
るのは蔡焜霖氏(蔡焜燦氏の実弟)。
メルマガ「台湾の声」が伝えているように、2012年8月、自由時代社が入っているビル前の路地
は台北市議会の発議により「自由巷」と改名され、台湾には鄭南榕ゆかりの道路が2つになった。
◆鄭南榕記念館・基金會(台北市民権東路3段106巷3弄11號3樓)
http://nylon.org.tw/index.php?option=com_content&view=frontpage&Itemid=1
台南市が「南榕大道」命名
【メルマガ「台湾の声」:2014年4月5日】
成功大学では、学生が投票で選んだ「南榕広場」という名称を大学側が約束を反故にして拒否し
た事件があった。
これを受けて「成功大学がやらないなら、台南市で」という運動が広まり、4月3日、台南市(頼
清徳市長)は、台南市庁舎の前の「東哲街」と「西科街」を「南榕大道」と改名した。
南榕というのは、1989年4月7日、言論の自由を訴え、官憲に拘束される前に焼身自決した鄭南榕
(てい・なんよう)氏の名前である。また、文字通りには、南のガジュマルとも解釈できる。
式典には、鄭南榕氏の妻、葉菊蘭氏と娘の竹梅さんも招かれて出席した。台北にある「自由巷」
と合わせ、2つの道が鄭南榕氏の思いを伝えることになる。
葉菊蘭氏および頼清徳市長は、ヒマワリ学生運動に触れ、馬政権による民主主義への弾圧や、捜
査機関を使った関係者への嫌がらせについて批判した。
また、成功大学の学生グループ「零貳社」では、鄭南榕氏の自決の記念日である4月7日に、あえ
て成功大学「南榕広場」の開幕セレモニーを行い、大学当局に対してアピールするとしている。
「零貳社」は、台湾語の「抗議」[khong3-gi7]が、「02」と同音であることからこう命名され
た。社会的不公正に対して声を挙げる学生サークルである。これまで、蒋介石像にペンキをかけ
て、228事件の責任を追及したり、経済協力枠組み協定(ECFA)反対の活動を行っている。
ウィキペディアによると、今回の立法院占拠の林飛帆君もこのサークルに所属していたとされる。