初めて「言論自由日」を迎えた台湾

「台湾の声」初めて「言論自由日」を迎えた台湾

 4月7日は鄭南榕氏の自決を思い起こす日である。台湾は、昨7日、初めて政府が定めた「言論自由日」を迎え、関連の活動が行われ、政府高官らがそれぞれに見解を発表した。

 また、「国境なき記者団」もアジアで初めての事務所を台北に設けることを発表した。

 なお、台湾独立派からは、「言論自由日」という命名は、鄭氏が単に言論の自由を求めたのではなく、台湾独立を主張する自由を求めたという側面に目を向けていないという声もあり、フェースブックなどで、鄭氏に習って「私は○○だ。私は台湾独立を主張する」というアピールが行われた。

2017.4.8 09:00

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日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」【平成28年(2016年)12月26日】

1>> 鄭南榕自決の4月7日が台湾の「言論の自由の日」に

 戒厳令下の台湾において、台北市内の自社「自由時代社」に籠城し、言論の自由を求めて抗議し続けたのが故鄭南榕氏だ。公開の場で初めて台湾の独立建国を訴え、2・28事件の真相究明をも求めた。1989年4月7日、遂には焼身自決をもって国民党の圧政に抗し、台湾に民主・自由の道を拓いた。

 その日から27年目の今年4月7日、総統就任目前の蔡英文氏は墓前で執り行われた慰霊祭で、4月7日を「言論自由の日」と定める作業にかかりたいと表明した。

 その意向を受け、行政院は12月22日の閣議で、内政部から提出されていた4月7日を「言論の自由の日」と定める案を承認、年内にも成立する予定だという。

 ちなみに、鄭南榕が自決した自由時代社の編集長室は当時のままに保存され、記念館となっている。運営しているのは鄭南榕基金會。ホームページには日本語バージョンもある。

 日本語に翻訳しているのは、「老台北」こと蔡焜燦氏の実弟で、無実の政治犯として緑島に10年も収監された経験を持つ蔡焜霖氏。白色テロ受難者の一人だ。2013年4月には本会の李登輝学校研修団が緑島を訪問したときにご案内いただき、6月に緑島を訪れた李登輝元総統も案内、その翌年3月の「台湾2・28時局講演会」(台湾独立建国聯盟日本本部主催)では白色テロをテーマに講演されている。

 2012年8月、自由時代社が入っているビル前の路地は台北市議会の発議により、鄭南榕が希求した言論の自由にちなんで「自由巷」と改名されている。さらに2014年4月3日には、台南市の頼清徳市長が政市庁舎の前の東哲街と西科街を「南榕大道」と改名している。

 蔡英文政権になって、ようやく台湾の鼓動がしっかりと世界に伝わってくるようになった。その象徴がこの4月7日を「言論の自由の日」だ。

〔中略〕
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政府、4月7日を「言論自由の日」に
【台湾国際放送:2016年12月22日】

 行政院が、4月7日を「言論の自由の日」に定める方針を固めた。1989年4月7日、民主運動家の鄭南榕氏は言論の自由を守るため焼身自殺し、その後の改革のきっかけとなった他、国民の言論の自由に対する意識を喚起した。

 行政院は22日の閣議で、内政部が提出した毎年4月7日を「言論の自由の日」と定める案を承認、この日を設置することで言論の自由の意義と価値に対する国民の理解を促していくことにした。

 林全・行政院長はまた、内政部、国防部、教育部、法務部、文化部など政府の関連部会が、この日に関連した業務の推進や記念活動を適切に計画するよう指示、また、立法委員や各界の関係者をこうした活動に招き、来年4月7日には異なるレベルの意義で言論の自由の本質を説明し、台湾の民主化をいっそう深めるとしている。

 蔡英文・総統は今年4月7日、鄭氏の死去から27年の慰霊祭に出席した際、新政権発足後、4月7日を言論の自由の日に定めると述べていた。林・行政院長は、内政部が記念日及び節句実施方法を速やかに改正し、年内には正式に4月7日を「言論の自由の日」にできるよう求めた。

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