台湾の声2013.4.6
24年前の明日、1989年の4月7日、妻と、わずか
8歳の娘を残し、台湾の思想・言論の自由を守るため、
鄭南榕は自らに火を放ち、41年の生涯を台湾に捧げた。
民主化運動のなか、彼の「私は鄭南榕。私は台湾独立を
主張する!」というスピーチが衝撃的であった。当時、
戒厳令下の台湾では、国民党によって軍事裁判にかけら
れることを覚悟しなければならなかった。
戒厳令が解かれたのちも、「国体破壊、国土盗み取り、
もしくは不法手段によって国憲を変更、ないし政府転覆
を意図し、その実行に着手したものは7年以上の有期徒
刑に処す。その首謀者は無期徒刑に処す。前項の罪を犯
さんと準備ないし陰謀したものは、6ヶ月以上、五年以
下の有期徒刑に処する」という刑法100条(内乱罪)
があり、台湾人には言論の自由が保障されていなかった。
鄭南榕は自身の主宰する『自由時代』に「台湾共和国新
憲法草案」を掲載し、この内乱罪の容疑で召喚された。
鄭は1989年1月26日、「国民党は私の身柄を拘束
することはできない。彼らが拘束できるのは私の屍だ。」
と宣言して編集室に篭城。4月7日、官憲が強行突入し
ようとすると、火の手が上がり、「台湾魂」と書かれた
旗が残された部屋に、黒焦げの遺体が残された。
24年目を迎える明日、台湾の鄭南榕基金会では、鄭南
榕自由之翼紀念墓園 ( 新北市金山区西勢湖18号、金宝
山墓園 ) で追悼セレモニーを行う。また、台南の成功
大学光復キャンパス入り口でも、アムネスティ台南グ
ループなどが主催する「追悼の夜(鄭南榕殉道24周年
紀念晩會)」が行われる。
なお、台南市では、この日を「台南言論自由日」と定め、
この日にあわせさまざまな関連イベントが行われている。
また、民進党が執政の高雄市、雲林県、屏東県、宜蘭県、
嘉義県の県市長も、台南で1日に行われたセレモニーに
出席ないし、メッセージを送り、この日をそれぞれの県
市の「言論自由日」とすることを宣言した。