台湾台南市と友好交流協定を結びます  吉田 信解(埼玉県本庄市長)

立春を迎えた2月3日、台湾との交流に熱心な埼玉県本庄(ほんじょう)市の吉田信解(よしだ・しんげ)市長が、2月13日に本庄市が台南市と「友好交流協定」を結ぶという嬉しいメッセージを、これまでの経緯や締結の意義などについて市職員向けに発表しました。

本庄市は翌日、そのメッセージをホームページに掲載しています。

不思議なことに、これまで埼玉県には台湾の自治体と都市間協定を結んだ自治体はなく、埼玉県初の協定締結です。

また、日台の都市間提携は、昨年12月18日に沼津市と高雄市が「観光交流促進協定」を締結して以来となり、今年初めての協定締結となります。

吉田市長は「市長の月いちメッセージ」で「台南市の紹介と、これまでの経緯、協定を結ぶ意義や展望について」とても丁寧に説明しています。

市長自ら市職員に向け、都市間提携についてここまで詳しく説明をするのは珍しいケースかもしれません。

というのも、学生時代から台湾とのご縁が深かったことが関係しているようです。

吉田市長は、早稲田大学在学中の1989年9月から翌年6月まで、台湾の国立台湾師範大学国語教学中心へ単位交換留学し台湾を身近に知るようになります。

現在、5期目をつとめる本庄市長に就任してからは、東日本大震災が起こった2011年には、台湾からの大きな支援に感謝の意を示そうと、埼玉県内の市長とともに「埼玉県日台友好首長フォーラム」を結成して代表幹事に就いています。

また、全国青年市長会会長時代の2016年7月には、副会長だった中山義隆(なかやま・よしたか)石垣市長とともに李登輝元総統を石垣市に招聘し、2021年12月には「日台共栄首長連盟」の発足とともに幹事長に就任し、この間、何度も台湾を訪れています。

李登輝元総統を石垣市に招聘したことをきっかけに、2016年には本会理事にも就いていただきました。

このような豊富な台湾経験を積み上げてきた吉田市長の念願は、市長在任中の台湾の自治体との協定締結でした。

いよいよそれが2月13日に実現することになりました。

市職員向けに話すにも力が入るはずです。

吉田市長は話の最後に、万感の思いを込め「国交が無い日台関係ですが、このような自治体また市民同士の交流によるソフトパワーは、将来にわたりアジアひいては世界の平和の推進につながると確信します」と力強く述べています。

下記に、本庄市職員に話した吉田市長からのメッセージ全文をご紹介します。


台湾台南市と友好交流協定を結びます(令和7年2月1日)
【本庄市ホームページ「市長の部屋(市長の月いちメッセージ):2025年2月4日」
https://www.city.honjo.lg.jp/soshiki/kikakuzaisei/hisyo/shichonotsukiichimesseji/r07/19646.html

おはようございます。

2月3日、立春の月いちメッセージをお送りします。

さて本市は今月13日に台湾の台南市と友好交流協定を結びます。

そこで本日は皆さんに、台南市の紹介と、これまでの経緯、協定を結ぶ意義や展望について私の考えをお話します。

台南市は台湾南西部に位置し、人口は台湾第6位の約185万人、面積は2,192平方キロメートルで埼玉県の5分の3ほどの広さです。

2010年に旧台南市と旧台南県全域が合併しました。

それまでの旧台南市の規模は2010年に人口約77万人、面積176平方キロメートル、現在の本庄市の2倍弱の面積に10倍の人口という規模でした。

合併により面積は12倍となり、元々の都市部の他、広大な農村地帯や山林地域を有する、スケールの大きな都市となっています。

台南は台湾において最も歴史が古い街で、今から400年前にオランダ人が城を築くも、その後、大陸で滅んだ明王朝を再興すべく、鄭成功という武将がオランダ人を駆逐し、台南を拠点としました。

後に清王朝が台湾を支配して以降、長く台湾における政治文化の中心として栄え、当時の史跡が今も残っています。

その後の日本統治時代、戦後の国民党独裁政権時代、そして民主化以降現在に至るまで、台北が政治経済の中心として発展したのに対し、台南は一貫して台湾の歴史、文化を色濃く残す風格ある地方都市として今日に至っています。

その風土は、例えば台北は亜熱帯とはいえ冬は寒い雨の日がありますが、台南は熱帯モンスーン気候で、冬は晴れて大変温かく、雨はほぼ降りません。

人々は公用語である中国語よりも台湾本土で話されている台湾語(台湾ホーロー語)を日常会話に使用します。

ちなみに中国語で有難うはシェシェ(謝謝)ですが、台湾語ではドーシャー(多謝)と言います。

覚えておくと喜ばれます。

日本への関心は高く、台湾の中でも日本への親近感を感じさせる都市です。

台南市中心部にある林百貨は1932(昭和7)年の日本統治時代にオープンした
デパートですが、11年前に観光デパートとして甦り、様々なレトロ感あふれるお洒落なグッズを販売しています。

また日本時代の様々な公共施設の建物が、内部リニューアルのうえ活用されています。

そんな台南市と本庄市のこれまでの交流の経緯ですが、洋蘭栽培と販売の国内大手である本市のモテギ洋蘭園が2011年に台南市に進出し、仁蘭園という会社名で大規模に栽培を行っています。

また台南市は現台湾総統の頼清徳氏が市長の時代から、日本の各自治体との交流関係を結ぶことに意欲的で、台日友好交流基金会という団体の理事長ご夫妻が本庄市を訪れています。

この基金会と仁蘭園の社長の呼びかけで9年前に私と市職員、当時の市議会また商工会議所の皆さまが台南市を訪問、これがきっかけで先ほど紹介した林百貨のパレードに「はにぽん」が毎年参加する交流が始まりました。

なお、本市には台南から嫁いで来られた保育園長の奥様や、本庄出身者で居酒屋を台南で経営する方など、縁の深い方もおられます。

コロナ禍を経て「はにぽん」も再びパレードに参加し大人気でした。

こうした経緯から、両市の結びつきを更に強め、様々な分野で交流を深めようと、この度の友好交流協定締結に至ったという次第です。

さて、台湾の都市と交流する意義と展望についてですが、日本と台湾は近年特に災害時にお互い義援金を出し助け合う、深く強い絆で結ばれています。

この絆をベースに多くの分野での効果が期待できます。

例えば商工業、農業、観光面の交流は様々な経済的効果をもたらすでしょう。

観光面で注目すべきは、日本への台湾人観光客数は台湾への日本人観光客の倍以上で、昨年はコロナ禍以前を上回る年間500万人超でした。

多くの台湾人は日本文化を尊重し関心が深く、特に台湾フレンドリーな都市は質の高いインバウンド効果が期待されます。

また、文化・教育面での交流では、日本と台湾は過去からのつながりが深いだけでなく、自由と民主主義、人権や個の尊重のみならず、マナー、礼儀についても価値観の多くを共有する間柄にあり、芸術、スポーツ、伝統行事など、都市間の文化交流はお互いの市民の心を潤し、また、教育分野では特に青少年の交流は互いの視野を広め、その結びつきを将来にわたり一層強固にするでしょう。

さらに台湾は古くから移民政策に取り組み、穏やかな共生社会を実現しています。

またデジタル技術の社会実装化はコロナ禍のなか、世界一適切と評価されました。

お互いに少子化と人口減少時代を迎える中、防災、災害対応の工夫なども含め、様々な分野において日台は大いに学び合える関係です。

国交が無い日台関係ですが、このような自治体また市民同士の交流によるソフトパワーは、将来にわたりアジアひいては世界の平和の推進につながると確信します。

以上、今回ご縁があって特に日本との交流を重視する台南市と、私たち本庄市が協定を結ぶことを、本市の、市民の、大きなチャレンジそしてチャンスにしたい・・・今回の協定締結前に、その思いを職員の皆さんに伝えたいと思いお話しました。

以上で月いちメッセージを終わります。

年度末が近づいて来ました。

体調を万全に仕事に励みましょう。


※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。