この夏、ハワイを訪れた。父が仕事を完全にリタイヤするというので念願だった「孫と一緒にハワイ」を実現させたのである。現在ホノルルには日本からLCCさえ就航しているが、70歳を迎えた父親の世代にとってはまさに「憧れのハワイ航路」だったことは想像に難くない。
とはいえ私自身も初めてのハワイである。5歳の息子が一緒だったこともあり、手軽にホノルル周辺の観光スポットを半日で廻れる現地ツアーに申し込んだ。ティファニーブルーに輝く東海岸の海や、遠くに戦艦ミズーリが浮かぶ真珠湾を巡ったあと訪れたのが「モアナルア・ガーデン」という公園である。
ガイドさん曰く、この公園は「日本人しか知らず、日本人しか興味がなく、日本人しか来ない」場所なのだそうだ。その謎は、園内にたくさん植えられている巨大な木にある。モンキーポッドという木の名前を聞いても分からない人が大半だろうが、「この木なんの木」の木といえば思い出す人が多いのではないだろうか。
日立グループのCMで「この木なんの木 気になる木」のメロディとともに画面に登場するのが、この公園に植えられているモンキーポッドの木なのである。ただ、この木はハワイでは決して珍しい木ではないため、日本人以外の観光客にとっては全く興味を持たれず、日本人以外の観光客もこの公園には足を運ばないというわけである。
現在この公園は私企業が所有しているが、日立グループは自社の「代名詞」ともいえる公園の維持管理のため、年間40万ドル(約4,500万円)を負担しているそうだ。
枕が長くなったが、実は台湾にも、日立グループにとっての「この木なんの木」と似たような木が存在する。しかもその木は昭和天皇お手植えなのだという。
◆日本に里帰りする昭和天皇お手植えの木
その木があるのは台南市の国立成功大学のキャンパス内。そのルーツを日本時代の台南高等工業学校にまで遡る台湾南部屈指の名門校である。大学の光復キャンパスに足を踏み入れると、目の前には大きな緑の広場がある。その中心にひときわ大きくそびえているのが、成功大学のシンボルともなっているガジュマルの木なのである。
同時にこのガジュマルの木は、ハワイの「この木なんの木」が日立グループの代名詞となっているのと同じく、台湾の有名企業「霖園グループ」のロゴマークに使われているのだ。霖園グループは傘下に国泰世華銀行や国泰保険、国泰建設などを有する大企業で、台湾をたびたび訪れている人ならガジュマルの木のロゴマークを目にしたことがある人もいるだろう。
そしてこのガジュマルの木こそ、摂政宮時代に台湾を行啓された昭和天皇のお手植えによるものなのである。奇しくも李登輝が生まれた大正12(1923)年、摂政宮皇太子裕仁親王は4月16日に初めて台湾の地を踏まれた。横須賀から4日間の船旅だったという。まず台北に滞在され、順に南へ新竹や台中、台南、高雄をご訪問、さらには澎湖島にまで足を伸ばされている。
その途中の台南でガジュマルをお手植えになられたとのことだ。畏れおおくも台湾の「この木なんの木」は皇室に深いゆかりのある木だったのである。この行啓で摂政宮殿下は台湾に計12日間ご滞在されたが、明治28(1895)年の台湾領有から昭和20(1945)年の敗戦まで、天皇陛下が台湾を行幸されることはなかったことを考えると、摂政宮時代のことながら、のちの昭和大帝による台湾行啓は殊のほか意義のあるものだったといえよう。
そして、なんとこのお手植えされたガジュマルと、行啓を祝した民衆が植えた桜の木の子孫が、日本に里帰りするというニュースが、今上天皇即位礼正殿の儀に先立つこと一週間の10月15日に報じられた。
産経新聞によると、台湾の民衆が歓迎のため、ご投宿先である台北の草山賓館(草山は現在の陽明山)に連なる道の両脇に植えた桜と、摂政宮殿下が台南と屏東でお手植えされたガジュマルと竹の木が現在も大切に残されており、その子孫である苗木を日本に「里帰り」させることで日台の太い絆をより発展させようとのことだ。
令和の御代を迎えたこの年に、台湾と皇室のゆかりがクローズアップされ、昭和天皇お手植えの木々の子孫たちが日本に里帰りするニュースは、即位礼正殿の儀の日を待つ日本に大変好意的に受け止められたという。明治記念館で行われた目録贈呈式で、目録を受け取ったのは安倍晋三総理のご母堂、洋子さんだった。この木々たちの「里帰り」が、日台関係のさらなる前進に大いに役立ってくれることを願っている。
◆皇室を敬愛する「日本語族」の翻訳家
日頃、皇室と台湾の関わりが報じられることはほとんどないが、台湾のとくに「日本語族」と呼ばれる世代の方々にとっては、皇室は特別な存在だ。私たち日本人と同様に、あるいはそれ以上に、皇室を敬愛する台湾人がいることを知らしめるエピソードがある。
その方は李英茂さん。今年90歳を迎える日本語族だ。翻訳家であり、宜蘭県に残る日本時代の史跡に関する日本語資料の翻訳計画で責任者を務めたこともある李英茂さんは、平成30(2018)年3月28日、天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)が沖縄県の与那国島を行幸されるというニュースに接した。
与那国島と台湾との距離はわずか110キロあまり。晴れた日には与那国島から台湾の山並みが見えるという。途中「日本最西端の碑」にお立ち寄りになられるとのことで、その石碑の前に立たれる両陛下は海の向こうの台湾への思いもお持ちではないだろうか、と李英茂さんは考えた。
李英茂さんはこの日、台北からはるばるやって来た台湾人と日本人の友人の4人で正装し、与那国島に最も近いとされる南方澳へ向かった。山の上にある小学校の屋上へ校長先生の好意で上がらせてもらい、午後3時20分、両陛下の与那国島御到着の時間に合わせ4人で直立遥拝、君が代を奉唱し、萬歳を三唱したという。
この日、李英茂さんは次のような歌を詠まれた。
海はるか与那国島の一点のかしこきあたりわれ遥拝す
段々と少なくなっている台湾の日本語族の方々だが、今もなおこれほどまでに皇室に敬愛される人々がこの台湾にいることをぜひとも多くの日本人に知ってもらいたいと思う。このエピソードは、台南在住のDさんが書かれたメールマガジンから要約させていただいた。この場を借りて御礼申し上げたい。奇しくも李英茂さんは、令和元年春の叙勲で、地方史における日本理解の促進に寄与した功績で旭日双光章を受章されている。あわせて心よりお祝い申し上げたい。
◆大事なのは「理想」よりも「実利」
日本と台湾は残念ながら目下国交を有していないが、日台の外交に携わる人たちは多くの知恵を振り絞ってきた。先月22日に執り行われた即位礼正殿の儀への台湾代表の参加も同じである。事前の報道では、台湾は参列しないように扱われてきた。事実、日本政府が前日に発表した外国元首・祝賀使節団の参列者のリストに謝長廷・駐日代表の名前はなかったようである。
ところが、翌日の即位礼正殿の儀には謝長廷代表も出席した。謝代表が自身のFacebookで写真とともに公開しているので間違いない。これに対し、報道などでは日本政府が『一つの中国』の原則に立つ中国への配慮や、中国の反発を避けるために、台湾側を正式な招待者とせず、来賓として接遇したなどとされている。
事実、謝代表も、当日午前の自身のFacebookでは、皇居前広場で撮影した写真を掲載し「今日は即位礼正殿の儀が行われるため、皇居周辺では交通規制が行われます。台湾からいらっしゃる観光客の皆さんはご注意ください」などと書き込まれていたが(原文は中国語)、自身が即位礼正殿の儀に出席するとは言及していなかった。
理想をいえば、日本政府が堂々と台湾の代表者を招待することができれば、また事前に明言することができれば最良だろう。しかし、推測の域を出ないが、日台の外交関係者は、台湾側の代表者を出席させるために、あえて積極的に公表しない方法をとったのだろう。中国に対する配慮、という側面もあったにせよ、事前に台湾側の出席が明らかになれば中国が反発することは目に見えているからだ。天皇陛下の御即位という慶事に、外国がクレームをつけてくるはずがない、と考えるのはあまりにも楽観的すぎる。かの国は、自身の主張のためなら他国の慶事を慮るような国柄ではない。
不本意な部分は日台双方に残るだろうが、外交は理想よりも実利である。たとえ外国元首・祝賀使節団の参列者のリストに載らなくとも、台湾の駐日代表が出席したことは事実である。先月末、東京で「日台貿易経済会議」が開かれ、環境保全分野における交流強化や特許審査の簡素化など4項目の協力文書が締結された。
日台間に外交関係がなく、中国の妨害も予想されることから、日台が自由貿易協定(FTA)を結ぶにはハードルが高いとされてきたが、日台は確実にひとつひとつの覚書や協定を結ぶことでその成果を積み上げている。この「積み木方式」によって、国家間どうしのFTAにほぼ準じるだけの取り決めを結んでいくことで、日台はあたかも国交を有する国どうしと遜色ない関係を築くことが可能になるのだ。
皇室と同列に論じることは畏れおおいが、貿易や経済に限らず、外交関係や皇室との関わりにおいても、台湾を実質的な国家どうしと同様に扱っていくことが、日本にとっての国益に繋がるのみならず、台湾から皇室を敬愛する人々の思いに応えることになるのではなかろうか。
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早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年(昭和52年)6月、栃木県足利市生まれ。現在、台湾・台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業後、台湾総統府国策顧問だった金美齢氏の秘書に就任。2008年、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所秘書に就任。共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全記録』『日本人、台湾を拓く。』など。