日本人の私が、李登輝の秘書になったワケ  早川 友久(李登輝元台湾総統秘書)

昨日の本誌で李登輝元総統の秘書をつとめる早川友久(はやかわ・ともひさ)氏の「『本物の李登輝の言葉』を届けたい」をご紹介しました。

 李元総統が総統を退任されてから9回に及ぶご来日では、2007年から講演や記者会見を行うことを日本政府から認められ、東京に入ることも認められました。2007年6月、東京の国際文化会館にて行われた第1回後藤新平賞の授賞式におけるご講演「後藤新平と私」が初めてのご講演でした。

 このときも会場は言葉の字義どおり立錐の余地もないほどで、それ以降に行われた講演会はいつも会場に入りきれないほどの人が詰めかけています。

 2007年の東京講演は1,300人、2008年の沖縄講演も1,500人、2014年の大阪講演でも1,600人を超える人々が集まり、2015年の衆議院第一議員会館のご講演も全国会議員の実に40.7%に当る292人の国会議員が出席するなど、獅子吼する李登輝元総統とともに、そのお話を熱心に聞く人々の姿が印象的でした。

 衆議院第一議員会館のご講演では、話が終わるやなんと国会議員の方々が次々と立ち上がって拍手しはじめました。音楽会などではよくスタンディングオベーションを見かけますが、講演会でスタンディングオベーションを見たのは初めてです。

 早川氏が説明しているように、李元総統は常に「『日本人に伝えておかなければならないことはなにか』を考えている」から、その真心が伝わるとともに、日本と同じく自由、民主、法治など同じ価値観を共有するのが台湾であり、まさに台湾と日本は手を携えてゆくべき運命共同体の関係にあると説く李元総統の考え方に共鳴するのかもしれません。

 単なる李登輝ファンから台湾を深く知るようになり、いまや日台交流の最前線で活躍する日本人も少なくありません。早川氏もその一人と言っていいかもしれません。

 今回ご紹介する「日本人の私が、李登輝の秘書になったワケ」は、昨日紹介した「『本物の李登輝の言葉』を届けたい」の続編ともいう内容です。

 本会が設立された2002年(平成14年)12月の設立大会では、早川氏には学生ボランティアの一人としてお手伝いいただき、これが縁で、その後は青年部の初代部長として台湾正名運動や青年部の台湾ツアーなどを牽引していただきました。台湾大学に留学してからも、李登輝学校研修団のスタッフとしてお手伝いしていただいていました。

 まさかこの早川氏が李元総統の秘書になるとは思ってもみませんでした。当時、早川氏から直接この話を聞き、心底驚いたことを今でも鮮明に覚えています。

 いまや李元総統の活動の重要な役回りを担い、今回の沖縄訪問でもスタッフの中心的な役割を担った早川氏ですが、どのようなご縁で秘書として李元総統に仕えるようになったのか、秘書としてどのようなことを心掛けているのかについて詳しく書いています。どうぞじっくりお読みください。

————————————————————————————-日本人の私が、李登輝の秘書になったワケ早川 友久(李登輝元台湾総統秘書)【WEDGE Infinity(ウェッジ):2018年6月27日】http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13225

 前回は、李登輝の日本人秘書たる私が日頃どういった仕事をしているのかをお話しした。今回は、李登輝総統と出会い、秘書として仕えることになった経緯をご紹介したい。実は、「いつもどんな仕事をしているのか?」という質問と同じくらいよく聞かれるのが、「なぜ李登輝の秘書になれたのか?」というものだ。それにはまず、そもそも私自身がなぜ台湾と縁が出来たのかについてお話ししなければならない。

◆私の運命を変えた「おばあちゃん」

 初めて台湾を訪れたのは2002年9月。大学の卒業旅行に、親友と誘い合わせたのが始まりだった。とはいえ、当初から台湾に関心があったわけではない。むしろ台湾に関する知識は皆無と言っていい。行き先を台湾に決めたのも、以前お土産でもらったジャスミン茶が美味しかったから、という程度のものだ。

 前半はガイドブックに載っているような観光地巡りをして、夜市を楽しむなどして過ごしたが、9日間ある日程の半分ほどで著名な観光地をまわり尽くしてしまった。「時間はあるけど金はない」という学生旅行ゆえ、行ける場所は自ずと限られてくる。「入場無料」に惹かれて訪れたのが、台湾のホワイトハウスにあたる「総統府」だった。

 私たちの担当になってくれたのは黄林玉鳳さんという、おばあちゃんだった。2002年当時、台湾社会にはまだまだ「日本語族」の人たちがたくさん現役で活躍されていた。「日本語族」とは、日本統治時代に教育を受け、流暢な日本語を操る台湾の年配者たちのことである。そんな「日本語族」が総統府のガイドとして多数在籍しており、玉鳳さんもその一人だった。総統府の1階に展示されたパネルを見ながら、台湾のこれまでの歴史を解説してくれた。

「日本時代には、八田與一さんがダムを作って台湾の農業に大きな貢献をしてくれました」「日本時代がなかったら、台湾は今のような現代化された社会にはなっていません」

 知らぬこと、知らぬ人物が次々と登場し、ガイドさんの軽妙洒脱な語り口もあって知らず知らずのうちに聞き入っていた。そもそもこちらは、台湾が昔、日本の統治を受けていたことくらいの知識しか持ち合わせていない。そんな私たちにとって玉鳳さんの説明は新鮮だった。

 日本から来た若者の姿が嬉しかったのだろうか。玉鳳さんにはその夜、食事まで御馳走していただいた。会話も弾み、食事が終わりに差し掛かる頃、「もうガイドブックに載っているところは行き尽くしました。どこか面白いところありませんか」と尋ねた。

 すると彼女は、「じゃあ、食事が終わったら面白いところに連れて行ってあげましょう」とにっこり言ったのだ。タクシーに乗せられて連れて行かれたのは広い公園のような場所。そのなかでグングン進んでいく玉鳳さんについていくと、ライブ会場のような明るい光が見えてきた。

 そこはなんと、選挙応援のためたくさんの人たちが集まっている会場だった。後日わかったことだが、この時に連れて行かれたのは、2002年末の台北市長選挙の民進党の選挙演説会場だった。度肝を抜かれたが、不思議なことに私はあっという間にその場の熱気に引き込まれてしまった。

 言葉は全く分からない。台湾に対する知識もほぼゼロだったが、ガイドブックの後ろに申し訳程度に付け加えられた台湾の歴史のページを読んでいたのが幸いした。日本の統治を離れた台湾が、戦後中国大陸から敗走してきた中国国民党により、苦難の道を歩み、1990年代からやっと民主化が始まったことくらいは知っていたからだ。

 若い、ということもあっただろうし、現地にいる、という興奮も手伝ったのだろうが、私はまさに台湾の民主化や、台湾の建国を熱心に説く(ということを話しているんだろうと思われる)彼ら、そしてそれを献身的に支持する大衆の人々に「感動」してしまったのである。

◆言い出しっぺの“あなた”がやってください

 日本に帰国後も、私の「台湾熱」はおさまらなかった。台湾関連本を読み漁ると、日本統治時代の歴史、台湾の戦後史がおぼろげながらわかってきた。むしろますます台湾への関心が強まっていく。その直後、日本でひとつの組織が立ち上がった。台湾の民主化を推し進めた李登輝総統の支持団体「日本李登輝友の会」だ。その団体が12月に設立大会を開いた。

 ネット上で「日本李登輝友の会」が設立されるというニュースとともに、「当日の会場運営を手伝ってくれる学生ボランティア募集」という文字も飛び込んできた。もちろん喜び勇んでボランティアに応募した。大会が終わるとき事務局の方に、「学生部か、青年部を作りましょうよ」と提案したところ、「いいですねぇ。じゃあ言い出しっぺの“あなた”がやってください」という展開になった。「李登輝」という名前をようやく覚えたくらいの私が、なんと青年部の部長におさまってしまったのである。

 2007年にそれまでの仕事を辞して台湾へ留学。学生を続けながら、日本李登輝友の会のスタッフを続けていくことにした。それも、台北における通信員として。ある程度、中国語で用が足せるようになってくると、中国語が出来るスタッフが不在の会では自然と重宝される存在になっていった。

 それと前後して、2007年5月に李登輝が念願の「奥の細道」をたどるため訪日することが決まり、私は撮影スタッフとして同行した。翌2008年9月、私の台湾大学での生活が始まった直後、今度は李登輝が沖縄を訪問。またも撮影班として同行し、前年同様、一般のメディアには報じられないような細かい動向を逐一ネット上で報じた。

 さらに2009年には、青年会議所の招聘により東京で講演し、高知県、熊本県を訪問することになった。すでに知己となっていた李登輝事務所の日本人秘書(私の前任者ということになる)から、今度は正式に「李登輝事務所のスタッフとして同行してほしい」と依頼された。これまで2度の同行は、いわば支持団体のボランティアスタッフという立場だったが、今回は正式な訪日団のスタッフとしてである。

 総統の日本人秘書は、訪日中は少なくとも総統のスケジュール管理から表敬訪問の申し入れなど、あらゆることで忙殺されるため、同行するメディアの面倒までみることができない。そこで、メディアの面倒をみる役目を私に任せたいということだった。

 これが縁となったのだろう。以後、なにかと用があるたびに李登輝事務所へ顔を出すようになり、さらに講演を聴く機会も増え、ついに総統に顔を覚えられるようになった。総統の地方視察にも撮影スタッフとして同行させてもらうなど、私の活動範囲は次第に広がっていった。

◆鴨がネギを背負ってやってきた!

 卒業まであと半年となる2012年のある日。総統の講演会場で顔を合わせた秘書長(李登輝事務所の責任者)から、廊下の隅に呼ばれた。

 「卒業したらどうするんだ。台湾に残って仕事をしたい? アテはあるのか?」と矢継ぎ早に質問され、「李総統の仕事を手伝ってみないか?」と誘われた。「それはもちろん望むところだ」と答えたところ、数日後に秘書長から電話がかかってきて「いますぐ、事務所に来なさい」という。

 事務所に到着すると大きな部屋に連れて行かれた。そこは李総統の執務室だった。部屋に入るなり李総統から「早川さん、これから頼みますよ」と声をかけられ、大きな手で握手を求められた。緊張と共に、突然のことで、はっきりとした記憶がない。どこか狐につままれた気分で部屋を出た。その後、詳しい話を聞いて腑に落ちた。日本人秘書は以前から心臓が悪く、そろそろ後任に譲って日本へ帰りたいと思っていたという。そこに鴨がネギを背負ってきたように、私が「もうすぐ卒業です。台湾に残って仕事をしたいですが、まだ仕事は見つかっていません。李総統のお手伝いを出来るなら本望です」と答えたわけだ。

 残り半年の学生生活を終えてから勤務すると思っていたのだが、「採用が決まったのだから、来週からでも来い」という。大学の授業があるときは授業に行ってよい、という待遇だった。前任の秘書の方はすぐにでも仕事を引き継ぎたかったようで、慌ただしくも私の李登輝総統の秘書としての生活がスタートしたのである。

 以来、秘書として仕えるのも今年で7年目となった。この間、2009年で途切れていた李総統の訪日も、2014年以降3年連続で実施することができた。特に2015年には国会議員会館での講演も実現した。日本では安倍政権が長期政権となり、台湾に対して非常に友好的な姿勢を維持しているが、安倍総理と李総統との関係も非常に良好で、それが良好な日台関係に繋がっていることは間違いない。

◆李登輝の言葉はどこからやってくるのか

 李総統の話す言葉は、哲学をベースに広範囲にわたる教養、そしてキリスト教徒としての素養を元となしていることが多い。信仰については、私はクリスチャンではないため、聖書を参考にするくらいしか出来ないが、教養については『善の研究』『衣服哲学』『出家とその弟子』と、岩波文庫を読み漁り、総統の考えに追いつけるべくもないが、その一端を垣間見ようとする努力を続けている。

 李登輝総統に関する書籍については、その生い立ちに焦点を当てたもの、政治的な足跡を辿ったものなど多岐にわたる。しかしながら、李総統の発する言葉が正確かつ明確に理解され、記されているものは数少ない。また、そうした書籍のなかには登場しないものの、側にいる私が内心うなるような言葉を吐かれることもある。幸運にして李総統の側に仕えた人間として、その発言の数々を正確かつ明確に伝えるとともに、世に知られていない言葉を独り占めするのではなく、多くの人々にぜひ知っていただきたいとも願っている。

            ◇     ◇     ◇

早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年(昭和52年)6月、栃木県足利市生まれ。現在、台湾・台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。金美齢事務所の秘書として活動後、2008年に台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所秘書に就任。主な共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全前記録』『日本人、台湾を拓く。』など。


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