「一滴の血」も流さなかった李登輝の台湾民主化を陰で支えたもの  早川 友久 (李登輝元台湾総統秘書)

【WEDGE infinity:2019年2月23日】

 李登輝が政治の世界に入ったきっかけは、農業経済の学者として白羽の矢が立ったからだった。戦後、疲弊した台湾の農村を復興させるため、米国からも支援を受け「中国農村復興聯合委員会」が設立されたが、通称「農復会」と呼ばれるこの組織でその研究成果を存分に発揮していたのが李登輝だった。その傍ら、台湾大学で教鞭を執り、米国にも二度留学を果たしている。

 農業経済学に関する論文で、全米最優秀賞を受賞して凱旋帰国した新進気鋭の学者に、国民党の後継者になることが決まっていた蒋経国が目をつけないはずがなかったのだ。

◆「あなたにやらせると決めたんだ」

 蒋経国の引きによって政治の世界に入った李登輝だが、李登輝が今に至るまで「蒋経国は政治の先生」と尊敬してやまないことは以前にも書いた。学術や研究の世界一辺倒でやってきた李登輝にとって、政治の世界はまた勝手の異なるものだった。そんな李登輝を、蒋経国は水面下で支えるとともに、その能力を買って台北市長や台湾省主席へと抜擢、最終的には自らの右腕となる副総統に据えたのだ。

 ただ、李登輝にとって大きな問題があった。

 1984年2月、国民党の中央委員会の席上で、蒋経国が「李登輝同志を中華民国第7代副総統候補とする」と宣言した。この頃、蒋経国は体調が思わしくなく、寝たり起きたりの毎日だったという。この日の会議でも、総統専用室で臥せっていた蒋経国が李登輝を呼び寄せ「あなたを副総統に指名するから」と伝えたそうだ。

 それに対し李登輝は「私では力不足です。副総統の職務は荷が重すぎます。私を買いかぶりすぎです」と答えたものの、蒋経国ははっきり「あなたにやらせると決めたんだ」と言ったという。そこで李登輝は「ありがとうございます。これからは副総統として総統を助けていきます」と、重責を担うことを引き受けたのだ。

◆「副総統の指名」と「神のお告げ」

 その一方で李登輝は「正直弱ったな、と思った」そうだ。というのも、李登輝は30代半ばでキリスト教の洗礼を受けていたが、あるとき夢を見た。

 「お前は60歳になったら山へ入り、人々を伝道するのだ」と。

 これは神が自分に告げた使命だと悟った李登輝は、以来、60歳になったら山の人たち、つまり日本時代は高砂族と呼ばれた原住民の人々に伝道活動をしようと決意したという。

 夢を見ただけで、と思うかもしれないが、もともと李登輝には原住民の人々とも縁があった。台湾大学の助手時代、大学の実験林や牧場が台湾中部の渓頭や霧社の付近にあったため、管理のために長く逗留したこともあった。近くに住んでいるのは原住民の人たちばかり。平地に暮らす人々より一層貧しいながらも、心温かい原住民の人々との交流がここで生まれたことが、後に「山へ入って伝道を」と決意する後押しになったのだろう。

 事実、李登輝は総統在任中の1994年、それまで「山地同胞」などと呼ばれて来た人々を、正式に「原住民」と称することを決め、憲法にも明記するよう改正した。

 また、時には「この台湾という島にもともと住んでいたのは原住民の人々だ。彼らこそが最初の台湾の主人なんだ」と発言したこともある。若き頃に原住民と密接な交流を持ち、彼らを尊重していた李登輝だからこそだろう。

 話を戻すと、蒋経国から副総統に指名されたとき、李登輝は61歳だった。李登輝としては「そろそろリタイヤして伝道に携わろう」と思っていたという。ところが、あにはからんや、蒋経国から副総統の指名を受けてしまった。これを拒むことは出来ない。とはいえ、敬虔なキリスト教徒である李登輝にとって「60歳を過ぎたら山へ」という言葉は「神のお告げ」にも等しいものだ。

◆李登輝の心を動かした「手紙」

 悩みに悩む李登輝のもとへ手紙が届く。差出人は、蒋介石や蒋経国といった蒋家の牧師を務めた周聯華だった。

 李登輝は回想する。

「手紙にはこう書いてあった。神様が60歳を過ぎたら山へ伝道に行きなさい、と告げたとしても、今や国家があなたを必要としている。副総統として国や人々のために働くことは、より重要なことだ。とにかく今は副総統の職務を全うして、山へ伝道に行くことはまた後で考えればよいのだ、と」

 周牧師からの手紙は非常に長かったというが、李登輝は続ける。

「当時の私は、副総統の地位というものに全く固執していなかった。地位に関係なく、与えられた仕事をきっちりやりさえすればよいという考えだった。しかし、周牧師からの手紙を読み終わって、私は副総統として国や人々のために出来ることを全力でやろうと決心したんだ」

 こうして、李登輝は自身が伝道に携わることをいったん棚上げし、副総統としての職務に邁進することを決めたのである。

◆「見えなくとも信じる、それが信仰だ」

 ではなぜ、もともとキリスト教徒ではなかった李登輝が、これほどまでに敬虔な信徒になったのだろうか。傍にいる私も、折に触れて尋ねてみることがあるが、正直に言ってなかなか明確な答えを聞いたことはない。ただ「心の虚しさを埋めてくれるものが信仰であり、キリスト教だった」と聞くばかりだった。

 私なりに考えるのは、李登輝が生まれ育った時代の影響が大きいと思う。

 李登輝は1923年(大正12年)生まれ。1895年の台湾割譲からすでに四半世紀が経過し、日本統治の基礎が完成していた。幼少期を、安定した日本統治のもとで過ごしたともいえる。

 さらに、多感な思春期から青年時代は、戦争の足音が近づき、台湾では皇民化運動が強化された時期でもあった。言うなれば「徹底的な日本人化教育」が施されたのである。

 こうした時流に、もともと優等生で真面目な李登輝は100パーセント応えようとした。つまり、日本が求める以上の日本人になろうとしたのである。李登輝自身がよくいう「日本が、日本人の理想として作り上げたのが李登輝という人間だ」という言葉もそれを裏打ちしている。

 台湾には今も「日本精神」という言葉が残り、誠実さや品行方正、正直さ、潔さなどを褒め称えるものとされている。まさにこの時代は理想的な「精神性」がより強く求められた時代であり、「唯心論」の時代であったともいえる。

 ところが、日本の敗戦によって様相は一変する。中華民国の喧伝もあって、台湾はそれまでの「抑圧された植民地の人々」ではなく「祖国たる中国に復帰した戦勝者」とされた。まさに一夜にして激的な価値観の変遷が起きたわけだ。それまで「国語」として使われていた日本語は禁止され、今度は中国語が強制された。

 何もかもがガラリと変わったが、決して良い方向に変わったわけではない。戦後から台湾はハイパーインフレに見舞われ、経済的に富める者はますます富み、窮する者はますます転げ落ちていったのである。こうした時代において、若者たちが社会主義や共産主義に傾倒していくことは時流でもあった。

 事実、李登輝も台湾大学の仲間たちと読書会を開き、共産主義を研究したこともある。

 余談だが、私が読みかけの『資本論』をオフィスの机に置いていたら、それを見つけた李登輝が「まずこの『商品と貨幣』のところをきっちり読むんだ。ここの理解が曖昧だと次を読んでも意味がない」と教えてくれたことがある。

「あの頃はさんざん読んだよ。講義をやれと言われたら今でも出来るぞ」と茶目っ気たっぷりに笑っていたのを思い出す。

 ただ、こうした社会主義がもたらす「唯物論」も、李登輝の心にあった空虚さを埋めることは出来なかったのだ。

 思えば、私も多くの「日本語族」と呼ばれる、日本時代に生まれ育った人たちから「価値観の激変」という言葉を聞いた。「昨日まで『あいうえお』だったのが、今日からは『ボポモフォ(台湾特有の中国語の発音記号)』になるという。今まで信じていた精神的な支柱を一瞬にして取り払われたようなものだった」と。

 李登輝の心の中にも、同様の葛藤が生じていたに違いない。敗戦前の価値観は音を立てて崩れ、「これは」と思って傾倒した社会主義の唯物論も「やはり何か違う」という虚しさを感じていたのだろう。その心の穴を埋めてくれたのがキリスト教への信仰だったのではあるまいか。

 ちょうどその前に、母親が亡くなり、肉親を失って心の痛手を受けていた夫人の曾文恵がキリスト教の信仰を進められて心の安定を取り戻していったのを間近で見ていたこともあった。

 李登輝は信仰がこの「空虚さ」を埋めてくれるのではないかと考え、台北市内のほうぼうの教会を歩き回ったという。最終的に李登輝がキリスト教の洗礼を受けることを決めさせた牧師は、李登輝にこう言った。

「見えないから信じない。見えるから信じる、というのは信仰ではない。見えなくとも信じる、それが信仰だ」と。

◆李登輝を精神的に支えたもの

 以来、人生においては学者としての世界から、政治の世界へと入っていく李登輝だが、困難に直面するたびに聖書を開き、心の安定を図ってきた。

 ひとつ例を挙げれば、1988年1月、蒋経国総統が急逝し、その夜に総統に昇格した李登輝は、国家を背負う重責の大きさに慄き、なかなか寝付くことが出来なかった。

 そんな夫を見かねて、夫人が「お祈りしましょう」と聖書を出してきた。李登輝夫妻のやり方はいつもこうだ。聖書を両手で持ち、当てずっぽうに開く、そして開かれたページに書かれた文言を読むというものだ。そこにはこう書かれていた。

「(前略)わたしは常にあなたと共にあり、あなたはわたしの右の手を保たれる。あなたはさとしをもってわたしを導き、その後わたしを受けて栄光にあずからせられる(旧約聖書「詩篇」第73章23節および24節)」

 これを読んだ李登輝は、安心して眠りにつくことが出来たという。

 独裁体制から民主化された台湾へ、李登輝の民主化は一滴の血も流さずに行われてきた。台湾の民主化を語るうえで、李登輝を精神的に支えた敬虔な信仰の存在を欠かすことは出来ないのである。

             ◇     ◇     ◇

早川友久(はやかわ・ともひさ)1977年(昭和52年)6月、栃木県足利市生まれ。現在、台湾・台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業後、金美齢事務所の秘書として活動。2008年に台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフとしてメディア対応や撮影スタッフを担当。2012年12月、李登輝元総統の指名により李登輝総統事務所秘書に就任。共著に『誇りあれ、日本よ─李登輝・沖縄訪問全記録』『日本人、台湾を拓く。』など。


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