いる。12月17日発行の前々号では「台湾の総統・立法委員選挙」をご紹介した。
ところが、1回だけ紹介できなかった。それは、友愛グループ代表の張文芳氏が旭日双光章を受
章されたことを伝える11月29日発行の「張文芳氏、旭日双光章受章」だった。
李登輝元総統が脳梗塞で入院されたり、高砂義勇隊慰霊碑の台風被害への「お見舞い募金」締切
に当たっていたりして、紙面が立て込んでいた上に、12月2日からは本会「役員・支部長訪台団」
を実施したため、ついつい後回しになってしまった。
実は、張文芳氏への勲記及び勲章の伝達式が交流協会台北事務所で行われたのは12月10日。交流
協会台北事務所のホームページにその記事が掲載されたのは17日で「伝達式には同氏のご家族、友
愛グループの会員の皆様及びご友人が参加され、今回の受章を心からお祝いし、和やかに式典が執
り行われました」と伝えている。
また、張文芳氏の受章をお祝いする会が開かれたのは一昨日の12月20日のことで、本会からも内
田直毅氏(台湾大学農業経済学系)が出席したことを、昨日の本会ホームページが伝えている。
ついては、ここに傳田晴久氏の「台湾通信」および本会ホームページの記事を別掲でご紹介した
い。
なお、本会では、台湾で叙勲が再開された2005年(平成17年)春以降の全叙勲者41人を一覧表に
してまとめ、ホームページで紹介している。このような表を作成しているのは他に見当たらないよ
うなので、恐らく本会だけのようだ。
叙勲を再開したのは、イスラエル、シンガポール、カナダの各大使を歴任後、交流協会台北事務
所の代表に就いた故内田勝久(うちだ・かつひさ)氏だ。台湾で「天皇誕生日レセプション」を開
いたのも内田代表だ。新たな日台関係を切り拓いた内田代表に満腔の敬意を表し、このような一覧
表を作成している。
ちなみに、内田代表が台湾代表時代に実現したことは叙勲や天皇誕生日レセプションの再開に止
まらず、李登輝元総統のご来日実現、台湾人観光客のノービザ実現、防衛庁OBの交流協会台北事
務所駐在など、広範囲にわたっている。日台関係に画期を成した代表と言ってよい。その詳細につ
いては、著書『大丈夫か、日台関係』(産経新聞出版、2006年5月)に縷々つづられている。本書
で内田代表は次のように述べている。
<私は独断と偏見の謗りを甘んじて受けつつ、政治、経済、文化、人的交流その他あらゆる面で台
湾が上記三カ国のいずれに較べても「大使」として、勤務しがいのある国であったことを断言した
い。>
内田代表がどのような姿勢で台湾に臨んでいたか、その一端がよく現れている。機会があればぜ
ひ読んでいただきたい本だ。
内田代表はこの本を出版された翌年7月29日、前立腺癌のため69歳で逝去されている。帰国して2
年目で、これからというときだった。今でも惜しまれてならない。
◆張文芳氏に旭日双光章を伝達[交流協会台北事務所:2015年12月17日]
http://www.koryu.or.jp/taipei/ez3_contents.nsf/Top/66C69618F6FA57B049257F1E00133F67?OpenDocument
◆台湾の叙勲者一覧【2005年春〜2015年秋】2015年11月現在(41人)
http://www.ritouki.jp/index.php/info/20151106/
張文芳氏、旭日双光章受章
【台湾通信(第104回):2015年11月29日】
◆はじめに
11月3日(火)、文化の日の朝、友人がメールで「張さんが平成27年秋の叙勲受章者に選ばれま
した。おめでとうございます」と知らせてくれました。同時に、そのニュースを伝える日本李登輝
友の会のHPを紹介してくれていました。
早速HPを拝見すると、台湾からは同時に4人もの方が受章されたことが紹介され、2006年以降
今日までに台湾からは41人が受章されていることが分かりました。
台湾通信No.104はこのおめでたい、大変うれしいニュースを中心にお伝えいたします。
◆張文芳氏と友愛グループ
張文芳(チョウ・ブンホウ)氏は現在、私どもの友愛グループの代表を務めておられる方です。
友愛グループについては台湾通信No.16「友愛グループ」(2007年10月31日)でご紹介いたしまし
たが、「美しく正しい日本語を台湾に残そう」という文化運動を推進しているグループで、現在、
会員は125名ほどいます。
私が入会させていただいた時(2005年)には、張文芳さんはすでに事務局長をされておられまし
た。創立者の一人陳絢暉会長がご病気になられた後(2005年)、張さんは実質的な会長を務めてお
られましたが、2010年会員による選挙でグループ代表に選ばれ、現在に至っています。
◆受章理由
今般、張さんが受章されたのは「旭日双光章」という勲章です。この章の対象者は「公職」、
「公益団体」、「企業経営者」の三つに分けられ、張さんは「公益団体」の長に該当されるわけで
す。ちょっと難しい文章ですが、「勲章の授与基準」(閣議決定)という文書には、次のように説
明されています。
「公益団体では都道府県区域を活動範囲としている団体の長、全国または都道府県の区域を活動範
囲としている団体の役員、市町村の区域を活動範囲としている団体の長」。
参考までに「公職」は「政令指定都市以外の市長、特別区の区長、町村長、都道府県議会議員、
市議会議員、特別区の議員、町村議会議員」、「企業経営者」は「国際的に高い評価を得た企業や
技術がとくに優秀な企業の最高責任者」とあります。
◆張文芳さんの素顔
張文芳さんは1929年(昭和4年)のお生まれですから、現在85歳です。6歳の時、大阪府豊中市に
ご一家で移住され、小学校中学校を関西で過ごされました。もちろん標準語もお話しになります
が、どちらかというと関西弁の方が板についていると言った感じです。
戦時中は学徒動員で軍需工場で働いた経験もおありですが、戦後17歳の時に台湾に戻り、お父上
の故郷である南部の屏東県東港鎮に住まわれました。
25歳で結婚されましたが、その後、編み物関係の会社を興され、40年間にわたってニット製品の
製造販売、編機の改良・其の部品販売を手掛ける中、日本の業界との交流を通じて通訳としても活
躍されました。
65歳でニット業界から引退、その後はご経験を活かして、日本語・中国語の翻訳、通訳をなさ
り、85歳を迎えた現在も現役通訳として活躍されています。上の写真は日本李登輝学校台湾研修団
の講師蔡英文女史の通訳を務められる張文芳さんです。
張さんの日本語は素晴らしく、関西弁でのダジャレ頻発、時として揚げ足を取られたり、翻弄さ
れます。
すごいのはPCの実力です。61歳の時にワープロを習得され、65歳の時からはパソコンを始めら
れ、word、パワーポイントを使いこなしておられます。
友愛グループには2002年入会、翌年から幹事として運営に携わり、会合の案内と報告書作成、印
刷、発送、月例会の進行、司会、会誌「友愛」の編集・発行などをこなされるスーパーマンです。
◆過去の受賞者は41名
日本李登輝友の会のHPによりますと、2005年春〜2015年秋の11年間に受賞された台湾の方々は
41名もおられます。台湾の皆様はよくご存じの方々でしょうが、私がお目にかかったことがある3
人の方を以下にご紹介したいと思います。
◆鄭埌耀(テイ・ロウヨウ)氏
鄭埌耀さんは、2012年秋に元台湾歌壇代表として旭日双光章を受章されました。私はその年
の10月に台湾歌壇に入れていただきました。
実は鄭さんに初めてお目にかかったのは2010年8月で、博士論文執筆中のある台湾人学生が鄭さ
んを訪ねるのにお供して鄭さん宅を訪問した時でした。その時、鄭さんの自撰歌集『国替りの記』
を頂戴しましたが、その時、私は未だ短歌とは無縁の段階でした。歌集を頂いたので、何かコメン
トしなければと思い、蛮勇をふるって歌集の中から20首ほど選び、感想を書き、お送りさせていた
だきました。後に鄭さんが主宰されている南部歌会に入るとはその時は全く考えてもおりませんで
した。
台湾歌壇は現在、南部(台南)と北部(台北)の2か所で毎月、歌会を開いていますが、私は両
方に参加させていただいております。鄭さんは会員の歌や感想について、いろいろコメントしてく
ださいますが、私が驚くのは、文語文法を正して下さることです。現代文の文法も怪しい私にとり
ましては、短歌の文語は大変難しいものがあります。
縁は面白いもので、この時の学生さんは友愛グループの会員でした。彼女の博士論文は台湾に残
された日本語に関するものだそうで、そのなかに友愛グループの研究も含まれていたとのことで
す。
◆許文龍(キョ・ブンリュウ)氏
許文龍さんは2013年、財団法人奇美文化基金会会長として旭日中綬章を受章されました。
許文龍さんとは深いお付き合いがあるわけではありませんが、接点は幾つかあります。昔、金美
齢さんに連れられて許文龍さんのお宅を訪問したことがありました。
金さんが許さんをお訪ねする機会があり、たまたま私が台南におりましたので、連れて行ってく
ださったのですが、その晩はたくさんのお客様が集まっておられ、許さんのバイオリン、マンドリ
ンを伴奏にいろいろなつかしい歌を歌いました。夕食をご馳走になった後、帰りしな、奇美博物館
の「古典音楽家」というDVDを頂戴いたしました。
今は新しい奇美博物館ができましたが、以前の博物館には何回か足を運ぶ機会がありましたし、
八田與一の烏山頭ダム、鳥居信平の二峰圳ダム、濱野弥四郎の水道浄水場などを見学した際、
それらの台湾インフラを築いた日本人の胸像を製作されたことを伺いました。
許文龍氏は実業家で1960年に奇美実業を創設し、自社をABS樹脂生産世界一の企業に成長さ
せ、奇美博物館のオーナーとしても知られていますが、私にとっては文化を大切にし、日台交流に
貢献されている方としての印象が強い。
◆蔡焜燦(サイ・コンサン)氏
蔡焜燦氏は2014年、台湾歌壇代表として旭日双光章を受章されました。
蔡さんは司馬遼太郎の紀行文集『街道をゆく−台湾紀行』の案内役として老台北(ラオ・タイペ
イ)の愛称で登場することでよく知られています。
私は2001年「日本精神(リップンチェンシン)あふれる台湾を訪ねて」というツアーがあり、そ
れに参加した時、蔡さんが我々の歓迎会を台北の国賓大飯店で開いてくださり、私はそこで初めて
ごあいさつさせていただきました。
実はこの時は、友愛グループとの初めての出会いでもありました。私の席の隣に友愛グループの
会長陳絢暉さんがすわっておられ、以降、友愛グループとのお付き合いが始まったのでした。当
時、蔡さんはもちろん友愛グループの会員でした。
その後、台湾歌壇に参加させていただいた時、再び蔡焜燦さんとお目にかかる機会をいただいた
わけです。そして、先日はご著書『台湾人と日本精神』をいただきました。
◆おわりに
この度「旭日双光章」を受章された友愛グループの張文芳さんをご紹介しながら、私が存じ上げ
ている3人の旭日賞受章者をご紹介いたしました。いずれも知日、親日、愛日の方々で、台湾に
とっても日本にとっても極めて大切な方々です。
実は、私はお目にかかったことはないのですが、今回の受章者4人の中にもう一方、元友愛グ
ループの方がおられました。元淡江大学日本研究所長、淡江大学名誉教授の林丕雄(リン・ヒユ
ウ)氏が旭日中綬章を受章されました。
今日まで総計41名の方々が叙勲されておられますが、その中の3人の方がいずれも友愛グループ
の会員であったということは、友愛グループに籍を置く一人として大変うれしいことです。さら
に、その中の4人の方々にお目にかかり、親しくお話しさせていただき、いろいろ交流させていた
だいているとは、真に有難いことです。
私はこの年末で台湾生活10年になります。あとどれほどいられるか分かりませんが、諸先輩を見
習い、いささかなりとも日台交流のお役に立ちたいものと思いながらのご報告です。