台湾2・28事件 若者救った「大和魂」  矢板 明夫(産経新聞台北支局長)

台湾2・28事件 若者救った「大和魂」  矢板 明夫(産経新聞台北支局長)

 3月13日、この日は台湾の「2・28事件」で中国国民党の苛烈な弾圧から多くの市民を救った弁護士、湯徳章(日本名:坂井徳章)が銃殺された日だ。台南市長だった頼清徳・副総統は2014年3月にこの日を「正義と勇気の記念日」と命名、毎年、湯徳章記念公園で追悼集会が行われている。

 門田隆将氏(ノンフィクション作家)は『汝、ふたつの故国に殉ず─台湾で「英雄」となったある日本人の物語』(KADOKAWA、2016年12月)で湯徳章の生涯を描いた。日本でも台湾でも、まだこの本以上に湯徳章の生涯を詳しく伝える本は出ていないようだ。

 今年の3月13日、湯徳章の住んでいた家を整備し直した湯徳章記念館がオープンした。産経新聞の矢板明夫・台北支局長が2・28事件と湯徳章の事績、この記念館がオープンに至った経過などをレポートしているので下記にご紹介したい。

 なお矢板氏は、頼清徳氏が台南市長時代に3月13日を「正義と勇気の記念日」と命名したことや2018年に王育徳紀念館を建設したことなど貴重な歴史を紹介しているが、実はもう一つ、頼市長が成し遂げたことがある。王育徳紀念館の建設と同時に「黄昭堂紀念公園」を作ったことだ。

 王育徳紀念館は王育徳氏ご命日の9月9日に開館し、その12日後の9月21日、黄昭堂氏の生誕日を期して生まれ故郷の台南市七股区龍山里海岸遊憩区にオープンさせている。

 矢板支局長は、「民生緑園」を「湯徳章記念公園」に改めた当時の市長、張燦●氏について「亡命先の米国で台湾独立団体のリーダーを長年務めた人物」と紹介するが、王育徳氏は明治大学教授をつとめた言語学者であるとともに、世界で初めて台湾独立運動を日本で始めた人物。黄昭堂氏もまた昭和大学教授をつとめ名誉教授にもなっているが、当初から王育徳氏とともに活動し、台湾独立建国連盟主席、同連盟日本本部委員長を長らくつとめた台湾独立運動の闘士で、王育徳氏を台湾独立運動の生みの親とするなら、黄昭堂氏は育ての親と言ってもいい先達だ。(●=洪の下に金)

 頼清徳市長は、台湾の独立運動を先頭に立って進めた二人だからこそ、記念館を建て、記念公園をつくったのだ。紙幅の都合で触れられなかったのかもしれないが、台湾にとって大事な歴史的事績だと思われるので補足しておきたい。

 なお、頼清徳氏は台南市長時代の2014年4月3日、言論の自由を求めて中国国民党政権に抗議し1989年4月7日に焼身自決した鄭南榕を記念し、台南市庁舎の前の東哲街と西科街を「南榕大道」と改名している。

—————————————————————————————–台湾2・28事件 若者救った「大和魂」 矢板明夫【産経新聞:2021年4月1日】https://special.sankei.com/a/international/article/20210401/0002.html?939943

 1947年の「2・28事件」で、自らを犠牲にして多くの若者の命を救った弁護士、湯徳章(とう・とくしょう)=日本名・坂井徳章=を顕彰する記念館が台湾南部・台南市でオープンした。地元の人々は、日本人の父親を持つ湯を「国民党の一党独裁政権と戦った英雄」と称賛するが、中国との統一を主張する野党、中国国民党は「日本統治時代の美化につながる」と警戒する。台湾では日本に関する歴史の評価はいまだに揺れている。(台南 矢板明夫)=敬称略

◆日台にルーツ 湯徳章の記念館

 3月13日午後、台南市の中心部にある古い住宅街に、約200人の市民が集まっていた。「2・28事件」に巻き込まれた地元の学生らを救った弁護士、湯徳章の記念館の開館を祝うためである。

 この日は湯の命日である。74年前、国民党軍によって台南市役所前の公園で公開処刑された際、台湾語で「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」「私には大和魂の血が流れている!」などと叫んだ湯の姿を多くの台南市民が目撃していた。

 記念館は、湯の旧宅を使って整備したものだった。すでに他人の手に渡り、建て替えの計画が進められていたが、昨年5月、台南の文化人らが中心となり、クラウドファンディングで約8千人から2千万台湾元(約7600万円)を集め、旧宅を買い戻して記念館にした。主導した湯徳章記念協会の理事長、黄建竜は「湯の功績を顕彰し、人権教育の場所にしたい」とその狙いを語った。

 湯は日本統治時代の1907年、日本人警察官、坂井徳蔵と台湾人の母、湯玉の間に生まれた。8歳の時、父親は暴徒に襲われて殉職し、その後、母親に女手一つで育てられた。台湾で警察官になったが、親族を頼って東京に渡り、中央大学の聴講生として法律などを学んだ。苦学の末、高等文官試験司法科と行政科の両方に合格した。43年に故郷に戻り、弁護士事務所を開いた。

 日本統治が終わると、台湾では中国からやってきた中国国民党政権による高圧的統治に対する不満が高まった。47年2月27日、台北で女性が殴打された事件をきっかけに、民衆の不満が爆発し、同月28日、各地の暴動は当局の弾圧により流血の事態に発展した。「2・28事件」である。

 台南も大混乱に陥り、湯は地元の名士として「事件処理委員会」のメンバーに選ばれ、国民党当局に「真相解明」と「責任者の処罰」などを要求する役割を担った。しかし、交渉が決裂すると、「事件処理委員会」は「反乱団体」に指名され、湯は拘束された。

 湯は激しい拷問を受けた後に処刑された。その理由を、湯の甥(おい)で、台南にある成功大学の教授、湯銘哲は次のように説明した。

 事件直後、台湾省立工学院(成功大学の前身)の学生らが中心となり武装蜂起を計画したが、湯徳章は思いとどまるよう説得。国民党当局は拘束した湯に「蜂起」に加わった学生のリスト提出を求めたが、湯はこれを拒否し、身をていして学生らを守った。湯が処刑されたあと、勾留されていた他の関係者はほとんど無罪となり、釈放された。

 2・28事件記念基金会の統計によれば、事件の死亡者は台北市や高雄市と比べ、台南市では大幅に少なかった。湯がリストを提出しなかったため、台南の多くの若者が国民党軍の粛清を免れることができたとうかがえる。

◆「日本人」であることが処刑の理由に  湯銘哲によれば、湯徳章に助けられた学生らで、後に台湾の政界、経済界、学術界で活躍した人は少なくない。彼らの一部は毎年、湯の命日に集まり、恩人に感謝する集会を開いていたという。

 「日本人」であることも湯徳章が処刑された理由のひとつであると指摘されている。湯が処刑された翌日、国民党系の新聞、中華日報は「国家と民族に危害を与えた台南の暴徒、坂井徳章に昨日、死刑が執行された」と報じ、あえて湯の日本名を使って事件の黒幕が日本人であることをにおわせていた。

 当時の国民党当局は2・28事件について「日本人とその手先が台湾全島を混乱に陥れ、中国人を不幸に突き落とす陰謀だ」と歪曲(わいきょく)してとらえていた。中華日報の報道からは、日本人の血を引く湯を「反乱の主役」に仕立て上げようとする意図がうかがえる。

 オープン当日に湯徳章記念館を訪れた、地元の映像プロデューサー、鄭彦凱(てい・げんがい)は「香港やミャンマーで今、起きている人権弾圧や虐殺を考えると、湯徳章氏は決して遠い昔の人ではない。先人たちが命を懸けて勝ち取った台湾の自由と民主主義を大事にしたい」と話していた。

◆顕彰めぐり独立派・統一派対立

 湯徳章記念館のオープン当日の3月13日午前、台南市中心部の湯徳章記念公園で毎年恒例の追悼集会が行われ、約300人が出席した。会場には「台湾独立」「台湾建国」といった旗を持参して参加する人が少なくない。「湯徳章の記念集会は地元の台湾独立派にとって最大のイベントだ」と証言した参加者もいた。

 同公園は湯が中国国民党政権の支配下で、当局によって銃殺された場所だった。もともと公園は「民生緑園」という名前だったが、1998年に湯徳章の胸像が建てられ、名前も「湯徳章記念公園」に改められた。推進した当時の市長、張燦●(=「洪」の下に「金」、ちょう・さんこう)は国民党一党独裁時代、亡命先の米国で台湾独立団体のリーダーを長年務めた人物だった。

 この公園には60年代、中国の政治家、孫文の像が建てられた。しかし、総統直接選挙によって民主化が実現した96年以降、中国大陸ではなく台湾を「本土」とみなす本土派の地元関係者は、孫文像を「一党独裁時代の名残」とみて撤去を求め続けていた。

 2014年2月には、台湾独立派団体の関係者数十人がロープで孫文像を引き倒し、大きな波紋を広げた。8人が器物損壊罪などで起訴されたが、孫文像は修復されなかった。同年3月、当時の台南市長、頼清徳は湯の命日に当たる3月13日を「台南市正義と勇気の記念日」と定めた。台湾の独立を志向する政治家として知られてきた頼は20年1月の総統選で、民主進歩党の蔡英文政権の副総統に当選した。

 頼は市長時代、日本で台湾独立運動を推進した言語学者で明治大学教授などを歴任した地元出身の王育徳(1924〜85年)の記念館建設を推進し、記念館は2018年に完成した。

 頼清徳市長時代に台南市幹部だった許淑芬(きょ・しゅくふん)は「湯徳章、王育徳の記念館のほか、台南には日本人技師、八田與一の像や、旧日本軍のパイロット、杉浦茂峰を顕彰する飛虎将軍廟(びょう)もあり、日本ゆかりのスポットは非常に多い」と説明した上で、「日本と歴史的なつながりが多い台南は台湾で最も日本に親しみを抱く街だ」と話した。

◆台湾初の慰安婦像 「対日弱腰」批判

 しかし、こうした日本統治時代の関連人物を顕彰する動きに対しては、日本にこびる「媚日(びにち)だ」という批判もある。中国との統一を主張する野党、国民党の幹部はこうした動きを「台湾が中国の一部ではないことをアピールするためだ」として批判している。

 台南市の国民党関係者は王育徳記念館が開館する1カ月ほど前、日本統治時代の雰囲気が残る同市の著名な観光スポット、「林百貨店」の向かい側にある、同党が所有する土地に慰安婦像を建てた。「日本統治時代には光だけではなく、影の部分もある」ことを強調するためだとしている。

 除幕式には同党の馬英九前総統も出席し、日本政府に対し改めて正式に謝罪と賠償をするよう要求した。

 慰安婦像の後ろには、中国語、英語、日本語、韓国語で慰安婦について説明する看板も設置されている。これは、台湾で唯一の慰安婦像であり、新型コロナウイルスの流行前には、像を見るためにわざわざ中国大陸からやってくる観光客もいたとされる。

 しかし、その後、資金難に陥った国民党の台南市支部はその土地を売却した。購入者と「5年間現状維持」の約束を交わしているものの、いずれ手放さなければならなくなることから、現在、慰安婦像の移転先を探しているという。

 国民党が慰安婦問題を大きく取り上げる背景には、民進党政権の「対日弱腰姿勢」を批判する政治的な思惑があるとみられる。

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■湯徳章(とう・とくしょう=日本名・坂井徳章)台湾で1947年2月28日に起きた「2・28事件」後に処刑された弁護士。07年、台南市生まれ。日本人の父親と台湾人の母親を持つ。日本で法律を学び、高等文官試験司法科に合格。同市に戻って弁護士事務所を開いた。2・28事件後、台南市の治安回復に努めたが、当局によって拘束され、拷問の末、47年3月13日に公開処刑された。40歳だった。自らの命を犠牲にして若者たちを守った英雄として、地元で高く評価されている。

■2・28事件 中国国民党政権が台湾住民を弾圧した事件。中国大陸出身の官僚や兵士らの横暴への不満が、闇たばこ売りの女性への殴打をきっかけに1947年2月28日、抗議デモへと発展。行政長官(知事に相当)公署の部隊が群衆に銃を乱射し、台湾各地に暴動が波及。行政長官の陳儀は武力鎮圧し、多数の逮捕・処刑者を出した。行政院(内閣)の研究者グループは92年、死者を1万8千〜2万8千人と推計する報告書を発表したが、10万人以上との見方も。95年、李登輝総統(当時)が総統として初めて謝罪した。

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