いった台湾の2・28事件。多くの優れたエリートや前途有為の若者たちを中心に約3万人が無実の罪
で虐殺された。
1995年2月28日、台湾の李登輝総統は国家元首として、2・28事件の犠牲者と遺族に初めて「政府
が犯した罪」を認めて謝罪し、2006年には、張炎憲・國史館館長たちの地道な実証研究により、最
大の責任は国民党政権最高権力者の蒋介石にあったことを明らかにしている。
毎日新聞が2月22日の夕刊から「台湾2・28事件 真相求めて70年」を連載しはじめた。2・28事
件の輪郭を鮮やかにつづる、読み応えのある記事だ。執筆は鈴木玲子・台北支局長。鄭南榕烈士を
取り上げた連載第4回(最終回)の記事全文を下記にご紹介したい。
ちなみに昨年12月、鄭南榕氏を顕彰するため、行政院は鄭南榕が自決した4月7日を「言論の自由
の日」と定める閣議決定をしている。
また台南市では、2・28事件の台南における犠牲者で弁護士だった湯徳章氏を慰霊顕彰するた
め、約20年前、台湾独立建国聯盟主席をつとめた張燦●(ちょう・さんこう)台南市長は、1998年
2月28日、湯徳章氏の銃殺刑が行われた「民生緑園」の名称を「湯徳章紀念公園」に改め、2014年
には、頼清徳市長が湯徳章氏ご命日の3月13日を「正義と勇気の日」と定めている。
●=洪の下に金
台湾2・28事件 真相求めて70年(最終回) 鈴木玲子・台北支局長
暗闇に光を照らした タブーに挑んだ闘士
【毎日新聞:2017年2月25日夕刊】
http://mainichi.jp/articles/20170225/dde/018/040/029000c
写真: 2・28事件の真相究明を求めデモを行った鄭南榕さんらの活動を振り返る特別展で、当時の
状況などを語る妻の葉菊蘭さん(右から2人目)。葉さんらが掲げる写真の最前列左が鄭さ
ん=台北市の「二二八国家記念館」で2017年2月19日、鈴木玲子撮影
台北市の日新小学校に約5000人が集まった。1987年2月14日夜。台湾の国民党政権が台湾住民を
武力弾圧した「2・28事件」から40年を前に、言論の自由を求める活動家、鄭南榕(ていなんよ
う)さんらが事件の真相究明を訴える講演会を開いた。戒厳令下の当時の台湾では事件を口にする
ことさえできなかった。当局が反体制派の無差別逮捕や言論統制など「白色テロ」を続ける中、真
正面からタブーに挑んだ。
翌15日、鄭さんらは台南で初めて真相究明を求める街頭デモを実施。デモ隊は約30人で出発した
が、公園に到着すると、周りの群衆は約500人に膨れ上がっていた。事件で当局から民衆の命を
守ったために逮捕された湯徳章(とうとくしょう)さん(当時40歳)が公開処刑された公園だ。湯
さんは日本の中央大学卒業の弁護士、父親は日本人だ。日本名は坂井徳章(とくしょう)さん。
人々は「ここで湯さんが射殺された」と涙を流して訴えた。
鄭さんとデモの先頭に立った台南の牧師、林宗正(りんしゅうせい)さん(66)は「鄭南榕氏に
『一緒に歴史を変えよう』と言われて決意した。(デモは)台湾の暗闇に光を照らした」と語る。
5カ月後、38年間続いた戒厳令が解除された。89年4月、鄭さんはその後も続く言論抑圧に抗議して
焼身自殺した。41歳。壮絶な死は台湾人の心を揺さぶり、民主化への大きなうねりとなった。妻の
葉菊蘭(ようきくらん)さん(68)は「多くの人の血と涙と犠牲があった。この悲劇から学び、台
湾に正義を取り戻してほしい」と願う。
昨年5月に国民党から政権を奪還した民進党の蔡英文政権は事件の真相究明に本腰を入れる。23
日には事件に関する新資料が出版され、事件発生直後の3月2日、台湾の陳儀行政長官が国民党トッ
プの蒋介石に派兵を求めた電文が初めて公開された。しかし、被害認定を担う財団法人「二二八事
件記念基金会」の薛化元(せつかげん)理事長は「政府関連機関には公開していない資料がもっと
ある」と指摘する。「事件は台湾社会の亀裂の根源。事件に正面から向き合うことで真の和解をも
たらし、社会を変えることができる」と訴える。
蔡総統は23日、海外在住の事件の遺族らと面会した。真相究明の調査や情報公開を約束し「これ
は使命だ。逃げたりしない」と決意を語った。【台北・鈴木玲子】=おわり