いった台湾の2・28事件。多くの優れたエリートや前途有為の若者たちを中心に約3万人が無実の罪
で虐殺された。
1995年2月28日、台湾の李登輝総統は国家元首として、2・28事件の犠牲者と遺族に初めて「政府
が犯した罪」を認めて謝罪し、2006年には、張炎憲・國史館館長たちの地道な実証研究により、最
大の責任は国民党政権最高権力者の蒋介石にあったことを明らかにしている。
これまで、日本のメディアが真正面からこの事件について取り上げたことを寡聞にして知らな
い。ところが、毎日新聞が2月22日の夕刊から「台湾2・28事件 真相求めて70年」を連載しはじめ
た。2・28事件の輪郭を鮮やかにつづる、読み応えのある記事だ。執筆は鈴木玲子・台北支局長。
連載第2回の記事全文を下記にご紹介したい。
台湾2・28事件 真相求めて70年(2) 鈴木玲子・台北支局長
風化を危惧する息子 日本留学組100人被害
【毎日新聞:2017年2月23日夕刊】
http://mainichi.jp/articles/20170223/dde/007/040/049000c
写真: 「二二八国家記念館」に展示されている李瑞漢さんの写真=台北市内で、鈴木玲子撮影
国民党政権が台湾住民を武力弾圧した1947年の「2・28事件」では、日本統治時代に日本の大学
を卒業した法曹、政治、言論、教育界の台湾知識人の犠牲も大きかった。事件の被害認定を担う財
団法人「二二八事件記念基金会」によると、日本留学組の被害者は約100人に上る。
大学別では、法曹界に逸材を輩出した中央大学の卒業生が最も多く、十数人が巻き込まれた。今
月28日に台北で行われる追悼式には、同大の酒井正三郎総長が初めて出席し、犠牲になった卒業生
らに哀悼の意を伝える。
弁護士だった李瑞漢(りずいかん)さん(当時40歳)も犠牲者の一人だ。台湾中部・竹南の裕福
な家庭に生まれ、中央大卒業後、司法試験に合格。31年に台北に戻って弁護士になった。正義感あ
ふれる人柄が信望を集め、台北市議も務めた。
2・28事件発生後、台北市弁護士会長だった李さんは、台湾の行政長官、陳儀に司法の独立を主
張し、政治改革を促した。
3月10日夕、李さんの自宅で台湾弁護士会長の林連宗(りんれんそう)さん(同41歳)、李さん
の弟で弁護士の瑞峰(ずいほう)さん(同36歳)がスルメイカ入りのかゆを食べていた。2人も中
央大の卒業生だった。林さんは、台湾住民らによる「二二八事件処理委員会」のメンバーだった。
「私のボスが3人に会いたがっている」。突然来た憲兵ら4人に呼ばれて出て行った。中学2年生
だった李さんの長男、栄昌(えいしょう)さん(84)は付いていこうとしたが「帰りなさい」と制
止された。これが父と交わした最後の言葉になった。
李さんの妻、邱己妹(きゅうこまい)さん(故人)は家財道具を切り売りしながら子ども4人を
育て上げた。栄昌さんは、夜、独りで涙を流す母の姿が忘れられない。栄昌さんは「学校では事件
関係者の子どもとして避けられ、自分と友人になろうとする人はいなかった」と語る。早稲田大学
の大学院に留学した後、台湾に戻って銀行員になった。だが、国民党施政下で出世は望むべくもな
い。「私の一生にはずっと事件が付いて回った」
今、栄昌さんが最も危惧するのは事件の風化だ。家族の食卓には毎年3月10日にスルメ入りのか
ゆのわんが並べられる。「父だけ、おかゆを食べていなかった」。記者の前で栄昌さんが静かに目
を閉じた。【台北・鈴木玲子】=つづく
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