――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(12/16)服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)

――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(12/16)服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)
【知道中国 2030回】                       二〇・二・仲二

――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(12/16)

服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)

 どうにも日本は旗色が悪い。たとえば上海第一のデパートで知られる「永安公司の雜貨の如き、大半日本品であるが一旦香港に輸入せられ外國のマークを付け、更に上海に移入される」。つまり日本製品だと分かったら売れない。労働争議にしても「英人の工場は扨置き、第一番に日本の工場から烽火を擧げてをる」のが実情らしい。

 南京で服部を待っていたのは、上海の東亜同文書院卒で当時の外務省では有数の「支那通」で知られた林出領事だった。以下は、服部を「頗る滿足」させた林出の「徹底的觀察豐と富なる思想觀」である。(おそらく「徹底的觀察と豐富なる思想觀」の誤植だろう)

 「支那の國民思想は儒佛老の三思想が根底となつて居る」。「北方は孔子�で實行的現世主義であ」り、「南方は老子�で理想的である」。「北方は武斷派で『矛を枕にして死を辭せず』と威張れば、南方は文化派で『無道に報ゆる勿れ』と空嘯いてをる」。とどのつまり「南方は智で北方は意である」。そこで南北共に軍隊の「參謀は殆ど南方系が帷幄に參してをる」。

 南も北も「煎じて見ると、支那の戰爭は此等軍人政治家の仕事であつて常に反復されるは當然である、人民こそ實に好い犠牲である」。かくして「泰平の犬となるとも亂世の民となる勿れ」と言うらしい。

 この諺を現代風に言い換えると、「開放時代の犬となるとも文革時代の民となる勿れ」。「�小平の犬となるとも毛沢東の民となる勿れ」。では、いったい誰が習近平の「犬」であり「民」になるのだろか。

 林出の考えを続ける。

 「日本人は支那の國民性を研究する態度であつて欲しい。そこへ行くと外國人は賢い、ロツクフエーラーが八百億弗を投じて協和醫學校を設立する時も、三囘に至り支那の有力新聞に廣告を爲し、其の報告は彼の通り、支那に於ては宮殿又は廟宇より使用せぬ、�瓦彩色の純支那式の建物を立て、支那の國民をして敬仰の念を起さしめ、且つ四圍の環境を引立てゝをる」。ともかく建造物にしても「支那人の意を迎へる」ことに深い注意を払っている。

 「支那は文字の國」で、ともかくも紙を大事にする。だから日本人が紙を使って「鼻をかむ等は支那人をして極度に憎惡を起さしむるものである、此邊の消息を心掛け萬事に對して研究的態度を持つてほしい」。

 まあ紙で鼻をかむのが日本人の習慣であり、それにとやかく難クセを付けてもらいたくないとは思う。とはいうものの、「支那の國民をして敬仰の念を起さしめ」る工夫が必要であることは確かだ。だが、かつてのように「子々孫々に及ぶ友好」と言った類の歯の浮くようなセリフは、日本人としては断固として口にすべきではない。それというのも「支那の國民をして敬仰の念を起さしめ」るどころか、軽蔑の念を持たせてしまうからだ。

 次いで九江では「在支二十六年間の經驗」を持つ大和久領事の話に耳を傾けた。

 「支那人は仕事の才幹がある、計算確實で几帳面である」。「民國以來内亂打續き、隨所に戰爭が演ぜられて居るが、貿易方面の年々發展して行くのは、支那民族の偉い證據である。國が亂れても、人民は平和で且つ團結して、禍を或程度で喰止める」。この点は日本人として「研究するに最も價値ある點である」。

 「支那の問題は支那人でさへ判らぬと言ふて居る」。現在の混乱を収める最良の道は武力統一より外にはなさそうだが、「支那の兵隊は將棋の駒と同然で、敵の兵を捕へれば直ぐ味方の兵となる、此邊の呼吸は、支那の國民性を知らぬと判らぬ問題である」。

 林出、大和久両領事の献策は、はたして実際に外務省の本省で生かされたのか。《QED》

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