――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(5/16)
服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)
服部は天津在住の日本人経営者から面白い話を聞いている。いくつかを綴っておく。
●「當地で金の儲かるのはモルヒネと鐵砲と宿屋の三つの外は何もありませぬ」
●「個人の商賣としては何を始めても直ぐ人が眞似をするのです。ケタボの如き四百里も蒙古へ行つて犀の尻尾を買集め始めると、直ぐ隣の者が眞似をするのだから仕方がない、天津栗と云ひ天津牛と云ひ、今日迄の歷史が悉く其れであつた」
「個人の商賣としては何を始めても直ぐ人が眞似をする」というのは、半世紀前の香港留学時に嫌ッというほどに目撃した。最初は奇異に感じたものの、次第に彼らの合理的商法に感心したものだ。
当時の香港の街には屋台が溢れていたが、自家製のスナックを売り出すと、翌日は隣に同じようなスナックを売る屋台が並ぶ。炭火で炙った卵が売れると、翌日には近くで同じ商売が始まる。安価な衣料や珍しいオモチャの屋台が並ぶと、数日ならずして同じような商品を扱う屋台が“増殖”する。なんせ繁盛する肉屋の隣に肉屋の移動屋台が現われ、八百屋の店先に野菜を満載したトラックが並ぶ。
どう考えても商売の妨害であり、日本的感覚では“商人道”に反すると思う。だが、彼らに言わせればモノを欲している人が多いわけだから、新しいモノを提供して新規の客を掘り起こしてドコが悪い。共存共栄で互利互恵の商売ではないか、というリクツだろう。確かにそう言われればそうであり、これが彼らの商業文化と納得するしかない。
次は役人の生態に関する話題である。
●「支那の大官は麻雀と云ふ賭博が至つて好きである、國内で行れば罰を受けるから罰を受けぬ日本租界で堂々と行る」
●「北京は政爭の巷で、何時變が有るが判らぬから天津の安全地帶たる日本租界に逃げてくる、日本は又よく待遇してやる、昨年の奉直戰の時でも各地より多數の大官が入り込んで來た、張作霖、馮玉祥、孫文等の如き一方の首領が悉く此地に集まる、而して日夜賛を盡して豪遊を極めてをる。〔中略〕夜は深更迄遊興を恣にして朝は寛くり晝過ぎまで寝てをる」
●「又支那大官は大概阿片を喫ふのである」
次に家族関係や社会組織について。
●「支那人は他人に對して冷酷で人情もな何もない〔中略〕實に手におへぬ代物であるが、之に反し彼等が親類縁者に對する依怙の態度はのずるには驚く、例へば會社に人が要ると言ふと直ぐ自分の身内を連れて來る」(「のずる」?意味不明)
●「支那人の社會組織の思想として、第一に親類縁者、第二には故郷の組合(縣人會の如きもの)第三に同業組合、此の三つの觀念が彼等の生活を支配して居る事を忘れてはならぬ」
いま風に言えば「親類縁者」は姓を同じくする宗親会、「故郷の組合」は故郷を同じくする同郷会、「同業組合」は同業会である。同姓、同郷、同業がほぼ重なり合うことから、これを相互扶助のネットワークとすることで彼らは何処へ移住しても生きていける。
最後に諸外国からの外交当局の振る舞いについて。
●「外國の領事館は先ず居留民の經濟を基礎として外交を爲す」ばかりか、「阿片の如き堂々として大量輸入を行ふらしい」。これに対し「日本の領事は經濟に關することは一商務官に放任し、政治のみに没頭してをる嫌ひがある」とか。
旅先の日本人社会での話題の最後は昔も今も、出先外交官への愚痴で終わる。《QED》