――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(6/16)
服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)
天津を去るに当たり、「支那人は賭博の好きな民である」。「表面警察は取締りをして居る相だが市中到る處公然橫行して居る」。賭博が「支那に絶えた時は、支那が東洋の盟主國になつた時であると思ふ」と綴る。
服部以来1世紀ほどが過ぎ、「中華民族の偉大な復興」に血道をあげ、一帯一路で将来の世界の覇権掌握を企てているようだが、賭博が根絶されたという話はトンと聞かれない。だから服部の考えに従うなら、「支那が東洋の盟主國にな」るのは相当に遠い将来のはず。また賭博好きのDNAを自ら払拭することが不可能なら、アメリカを凌駕する世界の覇権国になるのはムリというもの。「支那が東洋の盟主國にな」れるか、ということは中国庶民の日常生活から賭博が消えるかどうか。試しに・・・賭けてみましょうか。
天津を後に「風と埃の北京」に着く。
服部は北京在住日本人から聞いた話を懇切に記すが、その主だったところを纏めておきたい。先ずは日本公使館で「懇切に敎へて貰つた」という「支那の政情」に関して。
「支那の歷史は内亂の繼續である、彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位である、故に裏切りする寝返りするは茶飯事である、今日と明日と變幻測られざるは支那の政情である」。だから「今や國を擧げて渾沌としてをるのが支那の現状である」。表面に現れた政治情勢とは別に、「其裏面に於ける暗鬪及び黨派の軋轢は實に端倪すべからざるものにして、政界の前途眞に逆賭し難しである」。目下のところ張作霖、馮玉祥、それに段祺瑞による三竦み状態で、前途の予想はつかない。だから「日本政府も現在としては不得已不偏不黨を標榜して隱忍するより途はない」
。
次いで銀行家の某氏。
――「支那人は國家の觀念がない、彼等は口に治國平天下と言ふ、國とは諸侯を指すので日本の藩である、故に天下と云ふ思想はあるが國と云ふ思想はない、支那の思想は孔子敎と言ふても其形骸だけで何もない、宗敎は無論無宗敎同然だ、僅かに老子敎の感化を受けて居る位である」
「大體論から言へば彼等に五倫五常とか道德と言ふものはない、彼等の生活状態に織込まれて居らぬ、寧ろ世界人種で一等冷酷の評ある猶太人よりは更に冷酷な民族である樣に思はれる」。その冷酷さが死刑囚に現れるのか。「此間或死刑囚を大八車に乘せて、罪名と死刑に處すと云ふ囚札を胸に貼り市中を曝廻つた、見物人も山程見て居つたが、死刑囚は平氣でケロケロして四方を見て居つた」。彼らは死刑を前にした日本人のように「泣いて懺悔」をすることもない。「鼻歌でも歌つて豪膽振を發揮する樣に幼少時代より敎育付けられてをる相だ」
「親が死んだとて、死ぬ前迄は泣きもし悲しみもするが、彌々死んだとなると涙一つ流すものはないそうだ、哭男と云ふ商賣人を傭ふて來て泣かしておくと云ふのだから始末に了へぬ代物である」――
現地在住者からの様々な話を記した後、服部は自らの考えを纏めた。
「支那は悠揚なもので、新聞では動亂記事で埋まつてをつても、社會は平氣なものである」。内戦に際し、「日本の政治家は張作霖を援助せよ呉佩孚を援けよと、血眼になつて騒いでをるが」、「支那本國の人は、誰が勝たうとも關係がないのである」。実質的には無政府状態が続いている。「此状態が日本内地なら全國民が擧つて騒ぎ廻るのであるが、支那では之が平時なのであるから平氣で居るのも當然である」。そこで「亂世が平時で、泰平が非常時であると解釋すれば早判りがするのである」。う~ん、なるほど。了解で~ス。《QED》