――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(3/16)服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)

【知道中国 2021回】                       二〇・一・念五

――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(3/16)

服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)

「これ等の屍體遺棄法は少しく苛酷に過ぎるやうではあるが、しかし甚だしく稀なことではない。滿洲の田舎の方で一般に行なわれる方法は、十歳以下の子供の屍體は穀草の類を以て捲き、その上を繩で縛して遺棄することである。男子ならばその縄は一筋、女兒ならば二筋とする習慣である」と、長尾は続ける。

また貧しい中国人が最も恐れる悪鬼は「訴債鬼(借金取り鬼)」であり、長患いし治療のために親に過重な金銭的負擔をかけ、しかも夭逝し葬儀まで出させるような子供を訴債鬼として忌み嫌っていたと言う。

ここでいう「鬼」は、日本人が想像する2本の角を生やして縞模様の大きめのパンツを穿いた青鬼や赤鬼のような鬼ではなく、生きている人間を無理やり動かしてしまう死者の精気を指す。不幸な死者による生きている者に対する祟りとも考えられる。

 いずれにしても残酷な話だが、子供に憑りついて死に到らしめる悪鬼が憎いのであって、もちろん子供が憎いわけでも、子供に罪があるわけでもない。野原に遺棄された遺体は獣に食われ、海や河に捨てられた場合は魚の餌になってしまう。そんな我が子の無残な姿が想像できないわけだろうに、そうしてしまう。

我が子の遺体を野原に遺棄するのは残酷至極だ。非情で人でなしの親だと思う。だが、そうすることで一日も早く我が子の肉体を地上から消し去り、一日も早く生まれ変わってきてくれよ、との切なる親心がそうさせるのだろう。複雑怪奇な親心であることか。

 そこで永尾の「その遺體丈けには、また出來るだけの保護を加えてやりたいのが親心である。されば、一人淋しく冥途に旅立つ愛小兒に道中恙なかれと、殘虐な處置を加えた遺體にも、その胸には護符や守袋の類を掛けてやるのである」との記述を読むと、親心の鬼気迫るまでの哀しさが伝わってくる。

我が子を失う悲しみの一方で、一族の血統の断絶というもう一つの大きな苦しみが襲う。息子がいればこそ、一族の血統は絶えることなく続く。自分たちも安心して人生を全うできる。だからこそ一日も早く次の健康な息子を、と考えるはずだ。一族と血統に呪縛され、そのうえに老後の生活への不安が彼らを責め苛むに違いない。

 ――筆者の“趣味嗜好”に任せて、新年早々に縁起でもない話を続けてきたようにも思うが、文化を《生き方》《生きる形》《生きる姿》と捉えるからこそ、死への向かい方に強く関心を抱かざるを得ないのである。しょせん生きてきたようにしか死ねないと思えばこそ、死もまた文化(=生)を構成する重要な部分であると見做すべきではないか。

この辺りで子供の死体に関する話題を切り上げ、再び服部の旅に戻る。

 吉林では「煙草の栽培は旺んなものです、山東省の苦力が解氷期になると、松花江の上流」に、そして煙草産地に「蜿々長蛇の列を爲して入込其數實に十數萬です」。じつは「朝鮮人も二萬人位此奥に居る相」で、その「悉く水田農夫」ではあるが「浮浪の徒が多く四月頃は彼等の移動期である」。

次いで吉林を発ち「北滿の大都ハルピンに着く」。

さすがに「ロシア政府が極東都市計畫を此地に策し」ただけのことはある。「支那の旅の中で何時迄居つても歸り度くないのは此ハルピンより外はない」との思いを抱いた。

だがロシア革命の影響を受け、ハルピンは関係諸国間の利権争いの坩堝に投げ込まれ、混乱は混乱を呼び、ハルピン市政府の権力を巡って主客は逆転していた。「數年前支那人に土下座を命じ傲慢を極めた露西亞人は、今や支那人の裁判を仰ぎ土下座を命ぜられて居る、なんたる皮肉であらう、人を虐ぐる者は人に虐げらる、寔に好い�訓である」。《QED》


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