月)から中村隆幸氏に交替した。中村所長は早速、4月9日に頼清徳・台南市長を表敬訪問
して新任の挨拶をした。
台南市は、仙台市と友好交流都市協定(2006年)を結び、また日光市とも観光友好都市
協定(2009年)を結んでおり、頼市長になって以来、いっそう交流が進んでいる。
東日本大震災の折、頼市長が自ら義捐金1億円余を仙台市長に手渡し、また日光市からの
要望に応えて観光客300人を日光市まで率いた大の親日家だ。
日台漁業協定(日台民間漁業取決め)を締結した際、台湾の林永楽外交部長(外務大臣
に相当)は「台日間の友情が重要な決め手だった」と感懐を漏らしたと伝えられるが、そ
れを体現している一人が頼清徳市長だろう。
中央通信社によれば「頼市長は中村所長に台南市特有のシーサー“剣獅”と地元の特
産、東山コーヒーを贈呈、次回は東山でのコーヒーやコーヒー料理でもてなしたいと熱心
に誘った」という。下記に「Radio Taiwan International」の記事を紹介したい。
頼・台南市長:台南市と日本の友情は深い
【Radio Taiwan International:2013年4月10日】
台南市の頼清徳・市長が、台南市と日本の友情は深いと話している。台湾南部・台南市
の頼清徳・市長は9日、日本の対台湾窓口機関・交流協会高雄事務所の中村隆幸所長の表敬
訪問を受けた。
頼清徳・台南市長は、台湾の他の都市と比べて台南市と日本との友情はとりわけ深いと
し、その理由は八田与一氏と烏山頭ダムだと指摘した。土木技師の八田与一さんは、日本
統治時代に烏山頭ダムを作り、嘉南平原と呼ばれる地域を穀倉地帯に生まれ変わらせた。
頼・台南市長はまた、台南市は台湾で最も早くに発展した都市で、日本に渡って学ぶ人
も多く、その縁は深いと説明。日本統治時代に、台南市の小学校で学んだ日本人も多く、
近年はこうした日本の人たちが台南市を訪れて当時の台湾の同級生と再会することもしば
しばあるという。
頼・台南市長は、経済貿易面、技術の面でも台南市と日本との往来は密接で、日本で一
昨年起きた東日本大震災の被災地に対して台南市民が提供した義援金は復興全体に必要な
資金としてはわずかばかりのものだが、被災地の復興に対する台南市民の祈りは大変強い
と強調した。
交流協会高雄事務所の中村所長は、頼・台南市長は就任以来2年余りで6度も日本を訪
れ、双方の交流を促進してくれていると感謝。そして、八田与一氏没後70年以上になって
も嘉南地区の農家が感謝し、毎年追悼式を開いてくれていることに感謝し、今年の5月8日
の追悼式では台湾の人たちと一緒に故人を偲びたいと話した。