頼清徳政権の政策や予算案を数の力で妨害し、中国共産党の対台湾浸透工作に利するような言動を続けていた立法委員などをリコール(解職請求)しようという台湾の大罷免運動は、7月26日の投開票において、罷免対象となった24人の中国国民党の24人の立法委員と新竹市長の罷免は成立しなかった。
しかし、大罷免運動の活動をよく見てゆくと「野党が主導する議会で起きた運営の機能不全、それにともなう民主主義の規範の揺らぎに対する、市民社会からの異議申し立てとして捉えることもできる」と指摘したのは、東海大学特任講師の平井新(ひらい・あらた)氏。
平井氏は、立法過程が根本的に機能不全に陥っていることに対し「議会運営の異常事態に対抗して発動されたのが、国民党籍の議員全体に罷免を仕掛ける『大罷免運動』という異例の市民運動だった」と指摘し、それゆえに「国民党の支持者にまで罷免支持が広がった」とも指摘している。
これまで、リコールが成功しなかったという結果を前提にした分析が多く、大罷免運動を極右思想やナチス主義とまで批判し、与党は野党と折り合わないといけないとする与党批判も少なくなかった。
そのような中で、立法院の現状を正視し、大罷免運動の活動経過や意義を踏まえて分析した平井氏の論考は異色だが、説得力に富む。
かなり長い論考だが、全文を下記にご紹介したい。
本誌掲載に当たっては原題「機能不全に陥った台湾議会に怒った市民の実態、半年以上にわたり続いた野党議員のリコール運動の顛末」を「罷免支持はなぜ国民党支持者にまで広がったのか」としたことをお断りする。
なお、本日(8月23日)は、国民党の立法委員7人に対するリコール(解職請求)の賛否を問う住民投票の第二弾が、新北市(1選挙区 羅明才)、新竹県(1選挙区 林思銘)、台中市(3選挙区 顔寛恒 江啓臣、楊瓊瓔)、南投県(2選挙区 馬文君 游[景頁])の7選挙区で行われている。
本日はまた、全国1万7,832ヵ所の投開票所において、屏東県にある第3原子力発電所再稼働について「第三原子力発電所について、主管機関の同意のもと安全上の問題がないことを確認した後、運転を継続することに賛成するか?」を問う住民投票も行われている。
機能不全に陥った台湾議会に怒った市民の実態、半年以上にわたり続いた野党議員のリコール運動の顛末平井 新(東海大学特任講師)【東洋経済ONLINE:2025年8月21日】https://toyokeizai.net/articles/-/899893?utm_source=author-mail&utm_medium=email&utm_campaign=2025-08-21
8月23日に台湾では再び野党・国民党の立法委員(国会議員)のリコール(罷免)是非を問う投票が行われる。
7月に行われた24名の野党議員のリコール投票はすべて不成立に終わった。
23日のリコール投票はほか7名を対象とし、半年以上続いた「大罷免運動」がひとまず結末を迎える。
今回行われるリコール投票も成立する見込みは高くない。
台湾では2024年の国政選挙後に議会で野党が多数派を占め、野党主導で国会権限の拡大や政府予算の大規模削減などが行われ、民進党を支持する市民らが強く反発。
そこから野党議員をリコールしようという動きが広がり、「大罷免運動」となった。
この「大罷免運動」は一見すると政党同士の争いのようだが、単なる政党間抗争でもない。
野党が主導する議会で起きた運営の機能不全、それにともなう民主主義の規範の揺らぎに対する、市民社会からの異議申し立てとして捉えることもできる。
その実態は多層的である。
◆政党による動員だけで罷免投票はできなかった
野党主導の議会への反発が顕著化したのは2024年5月だった。
数万人が立法院(国会)外で抗議活動を行い、「青鳥行動」と呼ばれた。
この名称は立法院前の道路名「青島東路」と字面の近い「青鳥」をSNS上の呼びかけで用いたためだ。
その後も断続的に抗議活動が行われ、国民党議員への罷免運動の声も高まった。
台湾メディア『報導者』によると、罷免団体の署名収集は2024年7月頃から開始され、同年末には1日に集まる署名数が数百件、2025年2月初旬には数千件に急増したという。
市民運動から始まった罷免運動だが、政党の関与も始まった。
2025年1月初旬には民進党立法院党団リーダー(院内総務)の柯建銘氏が国民党籍議員41人の罷免を目指すと表明。
これに対して国民党も「罷免には罷免を」として党全体で対抗する姿勢を即座に示した。
政党間抗争に発展したのだ。
政党側も社会運動のエネルギーを自身の政治的利益と結びつけようとした。
罷免運動は純粋な市民運動であると同時に高度な政治的駆け引きの舞台を伴うことになった。
ただし、市民は単に党派的に動員されたわけではない。
台湾の罷免選挙は政治的動員力だけでは成立しない。
実際、国民党の「罷免には罷免を」による民進党議員への対抗罷免は要件を満たせず投票に至らなかった。
市民団体主導の罷免運動も、投票にこぎつけた24選挙区中、成立要件の1つである25%の有権者同意票を満たしたのは7つのみである(不同意票が多数で罷免自体は不成立)。
罷免支持派も与党支持層すら固めきれず、動員力だけで市民は動かないことを示している。
一方で成立要件の1つをクリアした7選挙区のうち4つは国民党の強固な地盤として知られていることは注目に値する。
特に投票率6割超の国民党議員党団リーダー・傅●■氏の選挙区である花蓮は、同氏が長年県長を務めた岩盤選挙区にもかかわらず、罷免支持派がこれほど広がったのは異例だ。
各党支持層内部にも候補者個人や議会運営に不満を持つ有権者が存在し、彼らが必ずしも支持政党の方針通りには投票しなかったことを示唆する。
(●=山偏に昆 ■=草冠に其)
◆「大罷免運動」の中心は30〜40代の女性
では、実際に罷免運動を行ったのは、どのような人々だったのか。
『報導者』の取材では、過去の罷免運動と異なるいくつかの特徴が指摘されている。
まず参加者の主力は2014年に起きた学生を中心としたひまわり運動と異なり、30〜40代のボランティアで女性が多かったという。
世代変化の理由として、多くの参加者がひまわり運動の影響で政治への関心を持ったこと、30歳以上の世代が10年前の国民党政権時代を経験し「反国民党」に馴染みがあること、野党議員による政府予算削減が子育て世代により実感を与えていることなどが挙げられている。
過去の罷免運動経験の継承も重要な特徴だとされる。
かつて高雄市長の韓国瑜氏(現立法院長)の罷免時に組成された市民団体のチームが各地の罷免団体に署名戦略などの技術伝授を行ったほか、過去の罷免運動での団体内部の不正事件を教訓に、各団体が厳格な内部ガバナンスを維持したという。
加えて、大手半導体メーカー・聯華電子(UMC)創業者である曹興誠氏らが設立した「反共護台志工聯盟」がメディア対応や経費調整を担うなど、実業家による資金援助も大きな影響力を果たした。
加えて、今回の罷免運動が盛り上がった背景には、その支持層が従来の党派の垣根を大きく越えていた点も指摘できるだろう。
上述の曹興誠氏はかつて親中派と目されたが、近年は香港情勢を機に鮮明な反共の立場に転じていた。
加えて曹氏は、政治系YouTuberの「八炯」氏や、もともと中国に渡って中台の武力統一を訴えていたZ世代のラッパー「●南狼」氏らなどのインフルエンサーとともに、「反共、護台(台湾を守る)」のスローガンで連携し、街頭集会を盛り上げた。
(●=門構えの中に虫)
さらに、統一支持派とされるコメンテーターや有名な退役軍人や退職教員らなど、本来ならば国民党の支持基盤であるはずの層からも国民党議員に対する罷免支持を訴える声が上がった。
彼らは、野党が主導する議会運営のあり方や国民党の親中姿勢への不満から罷免支持を表明していた。
国民党の支持者にまで罷免支持が広がったのは、国民党自身の深刻な失策に起因する。
国民党は罷免制度の濫用を懸念し、罷免に必要な署名数のハードルを上げる法改正さえ検討していたにもかかわらず、報復的罷免を打ち出した。
その主張は完全な自己矛盾であり、少数与党の民進党議員を罷免しても実質的な意味はない。
さらに、自らが厳罰化を求めた不正署名で墓穴を掘った。
4月には中央選挙管理委員会は、「死亡者による署名や署名偽造の疑い」で計41件を最高検に告発し、国民党の地方支部などへの捜査が本格化した。
摘発が国民党側に集中したのは、各地検が党の支部や幹部ぐるみの数千件に及ぶ大量の偽造を示す証拠をつかんだためである。
◆国民党主席の迷走した言論
国民党籍の首長がいる一部自治体では罷免運動への違法な介入さえ発生した。
花蓮県では民政処長が職員に戸別訪問で提議人の情報を照会させ個人情報保護法違反で起訴、基隆市では前民政処長が戸政システムを不正利用して署名の点検・名簿作成を支援し、文書偽造・個人情報保護法違反等で起訴されたのである。
国民党側はこれを民進党政権による「司法迫害」と訴えたが、台湾議題研究センター(TPOC)が5月初旬に行った世論調査では、国民党支持層でさえ6割が署名不正を不合理と見ており、その主張は広範な支持を得られていない。
国民党はスローガンでも迷走を極めた。
「反共、護台」という罷免支持団体のスローガンに対抗し、国民党の朱立倫主席は「緑共(民進党の共産主義)に反対し、独裁と戦う」を打ち出し、「民進党は共産党より共産党らしい」「青鳥行動は緑の紅衛兵だ」などと「反共」の修辞を利用して激しく攻撃した。
しかし、この戦略は多方面から批判を招いた。
まず、このスローガンは中国では言論統制の対象となった。
台湾情報環境研究センター(IORG)の調査によれば、中国のSNS「微博(ウェイボー)」では「緑共」という言葉が検閲・削除されていたことが判明している。
親中的な論調で知られる台湾の大手紙『中国時報』や『旺報』からも批判の社説が出た。
『旺報』は「反共」の主張は馬英九元総統らが提唱してきた中国共産党との近年の対話路線を否定する自己矛盾だと指摘。
『中国時報』も「反共」の主張は思考停止の「盲目的な信仰」だと批判した。
これらの批判の中、4月27日以降「反緑共」の言葉は国民党の集会の場から急速に姿を消した。
窮した朱立倫氏は民進党をナチスになぞらえる「反ナチス」という比喩を持ち出したが、これはドイツやイスラエルなどの駐台湾代表機関から、「今日の台湾をナチスの暴政と比較することは不適切」として「深い失望と憂慮」などを表明される事態を招いた。
さらに、これに対し朱立倫氏が「内政干渉だ」と再反論したことで、国民党の戦略は台湾内外でさらなる孤立を深める結果となった。
◆トップダウンと真逆の市民運動
台湾における市民主導の罷免運動で、近年の代表的な事例は2014年の「ひまわり運動」から派生した「割闌尾(盲腸切除)計画」という一風変わった名称のものがある。
これは、国民党の立法委員を意味する「藍委(ランウェイ)」という語が、手術で切除すべき「闌尾(虫垂)」と同じ発音であることにかけた、台湾人の好きな語呂合わせのネーミングだ。
運動参加者は外科医に扮装するなどして罷免発議のための署名を訴えた。
当時の今より高い成立要件に阻まれて成立には至らなかったものの、憲法に規定された罷免権を積極的に行使しようとする民意を啓発する社会運動としては成功した。
2025年の「大罷免運動」も、政治家の名前をもじっただじゃれの団体名で支持を広げた。
例えば、台北市選出の徐巧芯立法委員を罷免しようとした団体「◇除黒芯」は「◇除黒心」(黒い心を除去する)と徐委員の名前「芯」の語呂合わせである。
王鴻薇立法委員の罷免団体「山除薇害」は「削除危害」(危害を削除する)の「削」を王鴻薇委員の選挙区中山区・松山区に由来した「山」に、「危」を王委員の名前「薇」に置き換えた語呂合わせである。
(◇=産リ)
こうした創意工夫の「遊び心」は、トップダウンの政治動員とは対極にある市民運動のあり方そのものだった。
その一方、罷免運動のボランティアが街頭で反対派の市民に罵声を浴びせられたり、逆に罷免反対派を賛成派がなじったりする場面がたびたび報じられた。
民意の分極化が進みつつある点も、過去の運動との大きな相違点だろう。
そもそも、罷免を支持する市民の多くが問題視するのは、現在の立法院における強硬な議会運営そのものである。
市民団体「公民監督国会聯盟」は、これを「国会六大乱象(異常事態)」と呼び、「台湾民主の修復」のために不適任な議員の罷免が必要だと主張している。
台湾の立法過程では、法案は手続き委員会を経て本会議での朗読(一読)の後、関連委員会に付託される。
委員会では公聴会などを経て逐条審査が行われ、意見がまとまらなければ「党団協商」という政党間協議に付される。
それでも合意に至らない場合は、本会議で広範な討論を経て採決(二読)される。
最後に行われる三読会では文言修正のみが認められ、法案は総統に送付される。
たとえ委員会審査を省略する場合でも本会議での十分な討論が原則であり、少数派の発言機会も保障されてきた。
◆機能不全の議会と意外と冷静な台湾の民意
ところが、現在の野党主導の議会では、こうした立法過程が根本的に機能不全に陥っている。
与党(民進党)提案の法案は手続きの段階で後回しにされ、委員会では実質的な審査が行われない。
与党議員の発言時間は削減され、すべての異議は実質的審議なく「留保あり」として処理され、政党間協議も形骸化して最後には本会議での強行採決で可決される。
最も問題視されているのは、本会議での表決直前に臨時の「再修正動議」として改正法案を突然提出し、議員が内容を確認する時間すら与えないまま採決を強行する手法が常態化したことである。
こうした強行採決は与野党の激しい対立から議場の混乱を招き、通常の議席の押しボタン式ではなく、その場の挙手で行うという異例の方式がたびたび採られている。
こうした議会運営の異常事態に対抗して発動されたのが、国民党籍の議員全体に罷免を仕掛ける「大罷免運動」という異例の市民運動だったわけである。
議会でまともな審議がなされず、議員が単なる採決機械に成り下がるのならば、すべての議員は「同罪」だと運動に参加する市民は見なした。
実際に、「◯◯(国民党議員の名前)を罷免することは、傅●■(国民党立法委員党団リーダー)を罷免すること」というスローガンが罷免支持者からは唱えられていた。
(●=山偏に昆 ■=草冠に其)
トランプ政権時代のアメリカの民主主義を批判的に考察するアメリカの政治学者のレビツキーとジブラットは『民主主義の死に方』で、異なる政治的立場の共存を意味する「相互的寛容」と、権力行使における「制度的自制心」を、民主主義を守るための「柔らかいガードレール」として示している。
昨今の台湾政治では、この規範がどの程度維持されているのだろうか。
市民の権利である罷免制度にしろ、議会の有する総統による指名人事の承認権や議事運営の慣習にしろ、疑問符を呈さざるをえないような危機的な運用の状況にある。
幸い、台湾市民の多数派の民意は、与党の「全野党立法委員の罷免」の主張にも、野党の「司法迫害」という主張にも、否を突きつける冷静さを示している。
台湾政治は、民主主義を守る『柔らかいガードレール』を、政治家自身の自制によって取り戻すのか、あるいは市民運動によって再構築させるのか。
台湾の民主主義は今、岐路に立っている。
◇ ◇ ◇
平井 新(ひらい・あらた)東海大学政治経済学部政治学科特任講師。
2020年、早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程修了、博士(政治学)。
専門は、比較政治学、移行期正義論、台湾現代政治、東アジア現代史など。
2021年、北京大学国際関係学院博士課程修了(ABD)。
主著に、Policing the Police in Asia: Police Oversight in Japan, Hong Kong, and Taiwan (SpringerBriefs in Criminology)などがある。
早稲田大学地域・地域間研究機構次席研究員などを経て、2023年から現職。
。
※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。