【台湾紀行】六亀特別警備道-南段

「台湾の声」【台湾紀行】六亀特別警備道-南段
令和4年12月13日
西 豊穣

<六亀警備道南段概観>
 「再録-扇平古道」、「北段」に続き今回の「南段」にて、ユニークな性格を擁する六亀警備道古道に関する投稿記事を完結させることにする。今回は筆者自身今年年初から三月に掛けて集中的に踏査した結果をベースにした。尚、紛らわしさを避けるために付記するが、東海道五十三次は東西を貫く街道であるのに対し、六亀警備道は南北の延長である。

 東海道五十三次の中間点は古来第27宿袋井とされる。これは東西両起点から数えて同宿場数だからだ。実際の距離勘定だと第28宿見附と第29宿浜松の間ぐらいになりそうだ。六亀警備道の場合、伝統的な台湾人ハイカーの登山活動とは、第26宿掛川駐在所跡地を登山口としてそれ以南の稜線の山々の縦走だ。これは先ず見附山(標高1,686メートル)、次に警備道最高点と思われる、第33宿二川駐在所跡地南側の楡油山(同1,891メートル)に登頂するのに、警備道を利用するのが便利だったからだと推察される。従って、台湾人ハイカーの間では掛川から見附駐在所跡地に掛けて暗黙の警備道南北分岐線が引かれている。最南の登山口は第49宿土山駐在所跡地南側の南真我山(同810メートル)である。見附山-南真我山間は通常は丸々二日間掛かるが、一日で歩き通してしまう猛者もいる。更に稜線を南下、第53宿大津駐在所跡地まで通しで登山道に取り込みつつあるのがここ二年ぐらいのトレンドだ。

 今回は六亀警備道中間点付近の景観を概観した後は、筆者自身の踏査も歯抜けの部分が多いこともあり、それ以降の登山道としての核心部の紹介は端折り、土山駐在所跡地以南の紹介に絞ることにする。見附山登山は安全、且つ高雄市街地からであれば十分日帰り可能だ。一方、大津~土山跡地探訪も日帰り可能、登山としては特殊な装備・技術は求められないが、ルートの整備はまだ端緒に就いたばかりなので、専門のガイドの同行は必須だ。
<六亀警備道中間点-掛川~見附> 藤枝国家森林遊楽区を起点とする林道は藤枝([艸/老]濃渓)、石山、雲山(出雲山)の三本あり、何れも日本時代開鑿された警備道との繋がりが深い。この内、雲山林道の支線(「旧線」という呼称もあり)の一つを南側に辿ること3.5キロの地点に見附山への登山口があり、登り始めるとすぐに掛川駐在所遺構に出遭う。つまり、この間に藤枝以西の第23宿島田、第24宿金谷、第25宿日坂の三駐在所跡地が存在していることになるのだが、林道は、これら駐在所が設置されたと思われる稜線の西側に開鑿されており、その在処を特定するのは至難の業に思えた。掛川跡地は駐在所としての遺構に乏しく小規模の敷地だったようだ。

 掛川(分遣所)跡地とそれに続くバリサン(警戒所)跡地の間は、掛川~見附間警備道の中で最も勾配の急な部分で、ハイカーの便宜を図るためにロープが渡してある。その急坂を乗り越してしまうと、二つの緩いピークを越えて往く。同時に、この区間は掛川~見附間で警備道が最も平坦な部分に開鑿されているので、却って跡地と思しき平坦部が続々と現れ本来の跡地を特定出来ず。「バリサン」の由来はブヌン族バリサン社。雲山林道支線より東側にある本線を2.5キロ程辿ると規模広大な駐在所遺構と集落遺構に出会う。これら遺構の南側に蕃里山という高雄地区のハイカーにはよく知られている日帰り可能な郊山(台湾の山の分類法で、標高1,500メートル以下の山、その上の分類は中級、高山)があり、バリサン社遺構のことを知ったのもこの一座への山行記録を通じてである。バリサン社は、台湾総督府警務局『理蕃誌稿』にも頻出し、その中の一編(第4編、470頁、原文は句読点無しカタカナ)に以下の通り報告されており、大社だったことが想像できる。同時に当時の台湾総督府の理蕃事業の性格の一端がよく表れている。引用文中「線」とは隘勇線である:『バリサン社頭目一族の線内移住』―「彼等の旧耕地に移住を願出たるを以て之を調査するに、頭目は日常克く官命を遵守し社内蕃人の指導に努めつつあり(中略)蕃地事業に支障なきのみならず却て施武郡蕃操縦上便宜尠からざる」。

 バリサン跡地を含む二つの丘陵上のピークを越えた後は、大きく高度を落とし東海道五十三次中間点、袋井跡地に至る。丁度バリサン(想定)跡地と見附山との鞍部になる。小規模な遺構であるが、駐在所跡地と即座に特定出来るだけの石塁は残っていた。袋井から見附山頂上までは長い登りとなる。その間に掛川~見附間の警備道上「浮築橋」(石積による路肩両側擁壁)の最も保存状態の良い部分があった。

 見附山頂上で先ず出遭うのは台湾省政府図根点、更に歩を進めると陸地測量部三等三角点の標石に迎えられる。雲山林道脇登山口から約2時間を要した。第28宿見附駐在所跡地は、見附山山頂から僅かに南側に下った場所にある。跡地は広大でその敷地を囲む石塁は殆ど残存しているのではないかと思われた。第29宿浜松方面へ繋がる正門と推察される遺構を含む一辺は、筆者目測で40メートル弱程度もあった。

 事前に浜松駐在所跡地のGPS情報を入手できず、見附跡地から緩く広がる下りをどれほど辿れば行着くのか見当付かず。しかも見附山山頂まで至るのに随分時間を要してしまった。それで、六亀警備道関連の台湾投稿サイトに最近よく写真がアップされている五輪塔(註1)だけは見ておこうということで浜松方面へ下った。それらの山行記録で、この五輪塔は特に言及は無いか、「神社」遺跡として紹介されているが、仕方のないことだと思う。神社とお寺の区別をきちんとできる台湾人はそう多くないはずだ。あるサイト内に「日本人祭祀先人的紀念塔」のコメントを見付ける。そもそも五輪塔は卒塔婆、墓である。高さ40センチ程度の五輪塔は稜線右側(警備道西側)端に佇んでいた。サイト内にアップされている写真では横倒しのままのように見えたが、実際は土台はセメントで固定されていた。誰が何時どういう事由で持ち込んだのか。五輪塔は日本で独自に発達したとも言われているので、戦前の日本人だろうと考えられるが、警備道開鑿と関係があるのかどうか。五輪塔はその下方の平坦地を望むような場所に立っているので、その平坦地が浜松跡地ではないかとも考えたが、見附跡地との距離が200メートル程、近過ぎる。

<六亀警備道終点-大津>
 現在の高雄市六亀区と同茂林区の区境を形成する六亀警備道最南部には、第43宿四日市(鳴海三山の一座網子山頂上)以下の駐在所が、南側起点大津駐在所まで設営された。大津は現在もそのまま二つの隣合わせの行政区画名―高雄市六亀区と屏東県高樹郷―として残されている。大津駐在所跡地は、茂林の深い渓谷を削り出した濁口渓が[艸/老]濃渓と出会う場所で、小規模な還流丘陵(台湾では「還流丘」、註2)が形成されている辺りが筆者の踏査範囲となった。還流丘陵とは、河川が蛇行・浸食する過程で形成される特殊地形で「削り残し丘陵」とも言われる。付近は、高雄市六亀区、同茂林区、屏東県高樹郷、同三地門郷の二区二郷の行政区画が鬩(せめ)ぎ合う地域になる。高雄市街地からのアクセスがはるかに便利故、大津跡地の特定には日本橋跡地より熱を上げた。

 高雄方面からだと台27号線(国道27号線に相当)にて高樹市街地を抜けやがて濁口渓に掛かる大津橋を渡る。対岸は六亀区でこの橋は前出の二つの大津行政区画を繋いでいる。渡り切り直進すると右手に茂林国家風景区ビジターセンター(註3)があり、同時に道路も茂林区道132号線に替わりその先に風景区出入口の大門が待ち構えている。その大門の右手前には、風景区遊楽客の便利に供するためにセブンイレブンを擁する広い駐車場がある。「茂林入口意象公園」の一部を為し文字通り茂林国家風景区への入口である。

 筆者が悪戦苦闘した末に推定した大津駐在所跡地は、上述の還流丘の東側にある大安禅寺だ。大津橋を渡り切った所で直ぐに右折、ビジターセンターの前を通り過ぎて暫く入り込んだ路地の先だ。しかし確証が無かった。最終的に跡地位置を確認できたのは、日本橋と同じく、林一宏論文『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』巻末駐在所リスト(註4)である。曰く「茂林風景区大門東側(右側)停車場(駐車場)」、GPS座標もピタリとその地点を指した。これも藤枝駐在所跡地特定と同じく拍子抜けする結果である。筆者の想定していた大安禅寺とは直線距離で約300メートルのズレがあった。これで一応納得したのだが、それでも実際の警備道の出入口に関する情報が提供されたわけではない。第52宿「草津」駐在所跡地迄辿るための出入口は何處か。ウィキペディア中文版「六龜警備線」(註5)のリストでは「大津」の部分は、GPS座標が提供されていない替わりに、「疑似位於水泥階梯左側位置」(コンクリート階段の左側と思われる)という位置情報が附されているが、これでは皆目見当が付かない。「コンクリート階段」など何処でもあるからだ。それでもこの階段を求め駐車場を二度も捜索、「発見」した。セブンイレブンの区道を隔て向かい側の路側コンクリート壁が始まる部分に27段の階段が組み込まれていたのだ。全く以て灯台下暗しの典型だ。直ぐにこの階段を駆け上がると旧警備道と思しき道が現出していた。既に廃棄された産業道路と交錯しているが、大概の部分で警備道とその後開鑿された産業道路は区別出来る状態にあると思った。驚くことに、旧警備道と産業道路が交錯しながら高度を稼ぐ六亀警備道最南端の登山道に沿い赤いビニールのテープが張られていることだった。古道研究グループか、心あるハイカーか。南真我山頂上までテープが張られていることを期待した。

 筆者は、三回に分けて大津跡地から東進(実際は北進)、草津、第51宿石部、第50宿水口、土山迄をコースを変えながら踏査した。実際この間の警備道部分の総延長は3キロ程に過ぎない。初回、大津-草津間は忠実に六亀区と茂林区の境界を成す稜線を踏んだ。二回目、草津-石部間は稜線を辿らず、茂林国家風景区内の古くから良く知られた観光スポット、茂林ルリマダラ生態公園の中の姿沙里沙里歩道(「ズシャリシャリ」(漢字表記から筆者が推定した発音)、ルカイ語で「月桃の花がたくさんある場所」の意味)から旧林道を辿り石部に至り、更にその林道を終点迄辿り、水口方面へのアクセスを確認した。三回目、二回目と同じルートで石部に至り、林道終点から南真我山、土山に至り下山した。従って、草津-石部間の警備道踏査はスキップしたことになる。このようなルートを組んだ理由の一つは、夙(つと)に有名な「紫蝶幽谷」(日本人観光客向けには上述「茂林ルリマダラ生態公園」)にて「世界二大越冬型蝶谷」の一つで胡蝶の乱舞する様を垣間見たかったからだ。

 結局上記の赤テープは石部跡地まで張られているのを確認、その後水口、南真我山迄は或る登山パーティーが残した僅かな誘導マーキング(リボンの目印)を辿った。区道脇のコンクリート階段上からここまでの区間を歩くハイカーは稀で、駐在所遺構の残存状況は極めて悪いが、逆に旧警備道の原初的な風貌が横溢していると思った。その後に続く土山駐在所跡地までは伝統的な警備道登山道に依った。土山跡地迄を踏査し判った事は、草津~水口間の駐在所は痩せ尾根気味の稜線上に設営された為、設営地を囲む石塁は力学的には稜線両側に引っ張られる格好になり崩壊も速いと推察され、このため遺構は殆ど崩壊していた。従来の登山道としての警備道南段起点である南真我山を越してしまうと、北側へ登り詰めていく稜線の広がりが大きくなる。こうして土山駐在所跡地の石塁はそれまでの南側駐在所遺構に比べると格段に良い残存状況を呈していた。

<エピローグ>
 2006年投稿の本稿オリジナル版に加え、再録版でもそのまま次の下りを繰り返した:「当時、原住民を包囲するとは、山奥深く追い上げ締め上げるということだったのだが、六亀警備道のごく一部には過ぎないとはいえ、鳴海三山の稜線から[艸/老]濃渓を見下ろし、また逆に[艸/老]濃渓沿いにこれらの山の稜線を見上げる時、当時の包囲線網=隘勇線が持つ原住民に対する台湾総督府の理蕃事業の過酷さの一端が透けて見える。警備道上には所々木の枝に引っ掛かっている電線や樹木にめり込んだ碍子(がいし)が残っているらしいが、筆者はまだ目にしたことがない。」それから15年が経ち漸く警備道の南北起点、日本橋と大津跡地の実地検分を果たし、鳴海三山以外の稜線も歩き、曲がりなりにも警備道全体の俯瞰を可能にしたのだが、上述の下りを些かも修正する必要を感じない。「木の枝に引っ掛かっている電線や樹木にめり込んだ碍子(がいし)」には少なくとも六亀警備道上ではお目に掛かれていないが、多くの駐在所跡地で恰も現代の貝塚の呈を成している、ハイカーに掘り出された酒、ビール、調味料、薬、化粧品等の空き瓶の捨て場の中に必ず碍子の破片が混ざっていることに気付いた。

 未だ筆者自身回答が出せていないのは、既に前稿でも言及したが、次の二点だ。一つは、何故東海道五十三次の宿場名を駐在所名に冠したのか。もう一つは、前稿の中で引用した『理蕃誌稿』の下り、「工事期間ハ作業開始ヨリ向フ五十日間トス」とあるのだが、起伏の激しい稜線伝いに六十キロもの警備道を開鑿した事実を考えると、このような短い開鑿時間をイメージするのは難しい。具体的にどういう開鑿方法が取られたのか。二つながら今後も引き続き関心を寄せていく予定だ。

 最後に、武漢肺炎禍に依り台湾国内の歴史遺産を含む観光資源の再見直しが進んでいる現況下、六亀警備道という台湾南部の従来マイナーな古道へより多くの台湾人ハイカーが吸い寄せられる本当の理由は、東海道五十三次という日本の歴史遺産の疑似体験、より具体的な日本との繋がりがイメージできる故だと推察している。今後もそうあり続けて欲しいものだ。(終り)

(註記一覧)
(註1)本稿中の五輪塔に関する情報はウィキペディア日本版『五輪塔』に依った:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%BC%AA%E5%A1%94
(註2)「還流丘陵」参考資料:https://40010rocco.com/17410.html
(註3)本稿中の茂林国家風景区に関する情報は以下の公式サイト日本版に依った:https://www.maolin-nsa.gov.tw/jp/
(註4)林一宏『日本時代臺灣蕃地駐在所建築之体制與實務』(2017年、国立中原大学)https://www.ntl.edu.tw/public/ntl/4216/%E6%9E%97%E4%B8%80%E5%AE%8F%E5%85%A8%E6%96%87.pdf
(註5)ウィキペディア台湾版『六龜警備線』https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%BE%9C%E8%AD%A6%E5%82%99%E7%B7%9A

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