令和3年11月14日
西 豊穣
<プロローグ>
初めて台湾を訪れた時、訳もなく懐かしい気がしたのだが、その正体は判らずじまいだった。その後、最初に蘭嶼に上陸した際、その懐かしさは強烈に筆者の心を突いてきた。そこで私の前世はこの島で出生したのではないかと考えるようになった。
過去三回の蘭嶼上陸の目標とするところは各々異なる。初回はほとんど予備知識を纏(まと)わず渡航、どういう所なのか知ることにあった。加えて、本物の飛魚の飛翔を見たかった。度肝を抜かれたのは、飼い主は決まっているらしいが、野生化しているとしか思えない車道までも占領しているヤギの群れだった。離島する際、登山対象になっている山が必ずあるはずだと踏み次回の目標とした。二回目は目標通り、紅頭山に登った。この山を選んだのは、蘭嶼の最高峰にして台湾小百岳の一座だったからだ。次に機会があれば他の山にも登ろうと思った。三回目の上陸前の調査で、一辺10キロの正方形にすっぽり収まってしまう周囲40キロ程度のこの小島に、実に20基もの三角点が埋定されていることが判り驚いた。最終的には、紅頭山への再登と大森山への登山をメインにして、余った時間できる限り多くの三角点を確認することを目標とした。大森山を選んだのは、紅頭山と同じく一等三角点が埋定されているからだ。大森山登山に際しては、現地のガイドにサポートをお願いした。その第一の理由は、ヤミ族の禁忌地域に踏み込まないように用心したためである。結局、少なくとも登山道上にはそういう場所はなかったようだった。
これら二座への登山以外に数座の山への登攀が可能ではないかと考えていたがそうそう簡単なことではないことに気づいた。そこで少なくとも蘭嶼の最南端と最北端の三角点を確認することに目標を切り替えた。どちらも初回の上陸の際、三角点埋定地点の近くまでは足を運んでいたのだが、当時はそれらの三角点の存在自体全く知見がなかったのだ。
<紅頭森林遊歩生態教学園区>
大森山の登山口は、蘭嶼最南部の著名な観光スポットである青青草原の近くにある。登山口からしばらく登山道を辿る部分は、もともとは「紅頭森林遊歩生態教学園区」として整備され一般に開放されていたのだが、荒れ果てていた。教学園区入口に紅頭社区発展協会による木製案内板が掛かっていたが、長らく風雨に晒され判読不能な箇所が多い。判読可能な部分を繋ぎ合わせると次のような紹介が並んでいた(中文のみ、筆者拙訳):
現地の俗名は三條溝で三角山区(大森山のこと)に属する。重要な原生植物成長区であり、ヤミ族伝統の拼板舟(ぴんばんしゅう)建造のための専用樹種も生育している。蘭綬帯鳥(紫綬帯鳥、三光鳥)の生息域でもある。嘗ては、果狸子(ハクビシン)も出没していた。このように、蘭嶼島上、非常に貴重な生態保護区である。
大森山登山口イコール教学園区入口からしばらくは河床を辿る。いきなり巨木に取り囲まれ熱帯雨林のオーラに囚われる。ほどなく登山道の両脇に板状の地上根を張り出した巨木に出会う。ガイドによると「台東番龍眼」(写真)とのこと。台湾観光の世界では三大果物とはライチ(茘枝)、マンゴー(芒果)、リュウガン(龍眼)といわれるが、番龍眼も龍眼も同じムクロジ(無患子)科である。「番」は恐らく「原」の意であると想像されるので山龍眼と言い換えられるかもしれない。フィリピン原産らしい。別名ソロモンマホガニー、木材ビジネスの世界ではタウンとかマトアとかと呼ばれている。分類学的には高級木材として知られるマホガニー(センダン科)とは全く異なるそうだが、比較的安価なこと、加工性に優れ腐食や磨耗に強いことや、木目や色調が似ていることなどより、マホガニーの代替材として住宅や家具に用いられる輸入南洋材の一つである(註1)。
<カヌー植物>
さらに進むと、パンノキ(パンの木、クワ科)の果実が落ちていた。小型のドリアン(アオイ科)を想起させる表皮を持つがそのままでは食用にはならない。この樹木は英語では「ブレッドフルーツ」であり、台湾でも文字通り「麵包樹」と表記され、台湾本土でも公園等に植え込まれたのを良く見かける。こちらも原産地はフィリピンのようだ。パンノキは「カヌー植物」を代表する一種だ。丸木舟のカヌーである。古代ポリネシア人によりカヌーに載せられハワイ諸島に持ち込まれた生活必需品を賄う栽培植物を指すのが一般的だ(註2)。現在20余種が特定されハワイの文化遺産の一部として位置づけられている。古代の定義も色々あり、紀元後900年以降とか、西暦1728年以前という明確な定義もある。後者は、イギリスの勅任艦長ジェームズ・クック(通称キャプテン・クック)が彼の第三回目の太平洋航海途上、現在のハワイ諸島に到達した年である。このようにカヌー植物は通常ポリネシア地域の海洋民族回遊の文脈で言及されるが、フィリピン原産のパンノキがハワイまで持ち込まれた経緯がぼやけてしまう。実際は太平洋の東端、台湾、東南アジア島嶼部を含む地域の居住者であるオーストロネシア語族の移動によりオセアニア方面に拡散したと考えられているそうで、その民族回遊は紀元前3,500~2,000年頃から開始されたらしい(註3)。大航海時代以降このような栽培植物の拡散が加速することになる。
教学園区入口にある案内板の「ヤミ族伝統の拼板舟専用樹種」とは番龍眼とパンノキである。ヤミ族の祖先がフィリピン方面からこれら二つの樹種の果実を持ち込み、それらが大きく育つと切り倒し、チヌリクランと呼ばれる竜骨を持つ寄木造りのカヌーを作りフィリピン方面へ漕ぎ出しバシー海峡を越えた―このような海の道を介した壮大な往復が実際存在したかもしれない。余談になるが、外交部(日本の外務省に相当)の日本語ニュースサイト「TAIWAN
TODAY」で去る8月に配信された「オーストロネシア語族の起源は台湾、『南島起源』を出版」の中に以下のくだりがあった(註4):
台湾の先住民族は、オーストロネシア語族の研究にとってとりわけ重要な存在だ。2019年、台湾、米国、日本はパラオで『GCTF:国際オーストロネシア言語の復興』と題するワークショップを開催し、言語学、考古学、遺伝子学、カジノキ(梶の木)研究などさまざまな視点から、オーストロネシア語族の起源について議論した。そして過去半世紀近くにわたる関連研究のほとんどが、台湾こそがオーストロネシア語族の起源であると指摘していることを発見した。
<一等三角点埋定二座:大森山と紅頭山>
ネット上には最近の大森山への山行記録が公開されており、それを閲覧した限りでは組し易しと思い込んでいた。大森山登山をガイドに相談すると彼自身登ったことがないとのこと。その後直ぐに自分で登攀(とうはん)を試み、往復6時間を要したと報告してくれた。山頂稜線に出る前の登山道の傾斜はほとんど90度だったというコメントを添えて。登山の前日に簡単な打合せのために筆者の宿泊先まで来てくれたが、ほんの数日前に再登し、登り1時間半程度だったというのを聞き胸をなでおろした。それで3時間あれば十分往復可能と踏んだ。
しかし実際はとんでもない登山と相成った。登山口と山頂の落差は僅かに450メートル、登山道総延長は片道約2.5キロしかないのだが、最終的には往復6時間を要した。逆に下りに時間を費やす結果になったのは、標高150~450メートル間の連続する急登、特に標高200~250メートルと同400~450メートルの二箇所が酷く、中でも後者はほぼ垂直の低木と茅の壁を攀じ登る羽目となった。登山者が少ないため、ロープ、梯子(はしご)等の登山サポートが皆無なのだ。頂上には二基の三角点(陸測一等、標高483メートル;地籍三等、標高480メートル)が凡そ70メートルの距離を隔て埋定されていた。予想通り、他の登山者には出会わなかった。
これに対し、蘭嶼最高峰の紅頭山(標高552メートル)登山は二回目ということもあり快適だった。こちらも陸測一等と地籍三等三角点が同位置に埋定されている。点名は紅頭嶼、日本時代はこの点名をそのまま島嶼名として用いていた。台湾小百岳に指定されているだけに、大パーティーのハイカーに出食わした。
<蘭嶼最南端:青青草原-南岬角>
蘭嶼は火山活動により形成された島なので、特に海岸線は一周ぐるりと奇怪な芸術品と化した溶岩に取り巻かれている。これらはヤギの独壇場だ。但し、青青草原はサンゴ礁が隆起した台地の平坦部分である。蘭嶼の最南端は青青草原を擁する南岬角とその東側の望南角から形成されている。後者は大森山稜線が標高を落とした先にある。両者の中間に龍門港が設置されている。前回の投稿(「【台湾紀行】蘭嶼(再録)」令和3年9月18日配信)で触れた核廃棄物が陸揚げされる台湾電力管轄の専用港だ。
蘭嶼への初回上陸の際にも青青草原には立ち寄ったのだが、少しだけ草原に足を踏み入れ、そそくさと立ち去った。陽が昇ってしまえばその熱帯の陽射しを遮るものが何もないので焼き殺されるような塩梅になるのが理由である。二回目上陸の際はそういうわけで青青草原へは脚を向けなかった。三回目はこの草原に入り込みそこに付けられた遊歩道を歩く十分な動機があった。一体この草原の中のどのような場所に三角点が埋定されているのかという興味には抗しがたかった。
青青草原は東西、南北各々500メートル程度の広がりがある。草原内に設けられた遊歩道が太平洋岸に突き当たった所で絶句した。台湾に住んでいれば海は何処でも何時でも臨める。ことに東海岸、つまり太平洋側に面した海岸線は美しい。それでもこれまで目の当たりにした中で飛び切りの眺望だと思った。足元は海面から高さ五十メートルを越えるサンゴ礁の断崖、太平洋の静かな波に彫刻された作品が豪快に並ぶ。その先の洋上には小蘭嶼の点景が絶妙に配されている―筆者の筆力ではここら辺りが限界だ。初回、二回目の蘭嶼上陸の際は気づかなかったのだが、青青草原に集まる観光客は太平洋の水平線に沈む夕陽が目当てだということだ。従って真昼間に草原を散策する物好きは非常に少ないことも筆者を喜ばせた。地籍三等三角点(標高56メートル)が草原の南西端に埋定されていた。東側の大森山山麓を除けば残りの眺望は全て太平洋だ。台湾全土の三角点埋定地点の中でおそらく最も美麗な眺望を堪能できる地に相違ないと思った。青青草原はもともとはヤミ族の耕作地だったのだが、ご多聞に漏れず、若者は島を後にしてしまうので後継者がおらず自ずと放置されたままになった結果だそうだ。
<蘭嶼最北端:蘭嶼灯台-鰭尾>
蘭嶼の最北端は尾鰭(おひれ)ならぬ鰭尾である。その地形的な形状から点名となったのだと想像される。最南端の南岬角と同じく地籍三等三角点が埋定されているのを知ったのは三回目の上陸前である。鰭尾は標高205メートルの狭い断崖であり、優美な灯台が建っている。正式には「財政部關税局蘭嶼燈塔」、台湾で最も高い位置に建てられた灯台だ。筆者は長らく日本時代の創建だと思い込んでいたが、1982年に竣工したものだ。灯台は一般開放されていないので三角点が敷地内にあることを心配したが、敷地外にありラッキーだった。灯台の南側に小天池という小さな湖があり遊歩道が付けられていることを三回目の上陸後気付いた。蘭嶼の著名な観光スポットの一つ、火口湖である大天池に対し名付けられたものだ。大天池の方も初回上陸時のみ探訪したが、当然の如く水を湛えていた。三回目、二つながら足を延ばしたが、今年前半の台湾の異常乾燥のせいでどちらも完全に涸れ果てていた。
<エピローグ>
以上のように、三回目の上陸にして筆者の前世の出生地と思しき蘭嶼の、凡そ百年前の日本人が特定した最高点、南端、北端を確認する旅を終えたことになる。鬱蒼(うっそう)とした原生林に覆われた山々が海岸からいきなり立ち上がるこの小さな島を周回して思うことは、古(いにしえ)よりまだ誰も足を踏み入れたことのない場所が実は大部分ではないかと思われることだ。それはそれで嘆息したくなる気分にもなるが、それにも増して、島を囲む太平洋の水平線を望む時、古のヤミ族がバシー海峡を粗末な木造船で渡ろうとした動機は何だったのだろうかと思うと筆者の嘆息は更に深いものとなる。(終り)
(写真)2021年5月7日撮影:
https://taiwan-mountain.up.seesaa.net/image/Voice20of20Taiwan-006r2.jpg
(註1)「木材図鑑」:
https://wp1.fuchu.jp/~kagu/mokuzai/96.htm
(註2)「Hawaiian Plants and Tropical Flowers」:
https://wildlifeofhawaii.com/flowers/category/native-status/canoe-plants/
(註3)「Chronological dispersal of Austronesian peoples across the
Indo-Pacific」:
https://en.wikipedia.org/wiki/Domesticated_plants_and_animals_of_Austronesia#/media/File:Chronological_dispersal_of_Austronesian_people_across_the_Pacific_(per_Benton_et_al,_2012,_adapted_from_Bellwood,_2011).png
(註4)「オーストロネシア語族の起源は台湾、『南島起源』を出版」発信日:
2021/08/18
https://jp.taiwantoday.tw/news.php?unit=151&post=206253&unitname=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9-%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A&postname=%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%AA%9E%E6%97%8F%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%81%AF%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%80%81%E3%80%8E%E5%8D%97%E5%B3%B6%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%80%8F%E3%82%92%E5%87%BA%E7%89%88
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