【台湾紀行】壽山-水の物語

【台湾紀行】壽山-水の物語
【台湾紀行】壽山-水の物語
令和3年3月21日
西 豊穣

<プロローグ:打水湾>
今回紹介する内容は、前回の「壽山古道」に関する投稿記事に盛り込む積りでいたが、余りにも記事が長くなり過ぎそうだったので取り止めたものである。壽山に因む水の物語である。

前回、『登山街60巷歴史場域』の紹介の最初の部分で、現地に設置されている総合案内板の日本語解説をそのまま引用したが、その冒頭部分を再録し今回の物語を始める:

「1864年、打狗(ターカオ、高雄の旧称)港が正式に開港。寿山の中腹にある泉から湧き出た水が登山街60巷を通って港の岸辺に流れ込み、商船が真水を得るための場所となったところから、この辺りは打水湾と名付けられました。」

「打水」とは日本語の「水を打つ」とは異なり「水を汲む」の意である。打水湾はその後高雄港築港が始まると埋め立てられ、今に言う「哈瑪星」(高雄港方面への引込み線である通称「浜線:はません」の北京語音訳)地区が形成された。日本時代の寿町、湊町、新浜町に相当するのだが、実際打水湾に該当する部分は湊町で、正に現在の登山街が当時の海岸線と重なる。

歴史場域内には、十箇所の遺跡・遺構に対し案内板が敷設されているが、その内の四箇所は上述の打水湾に流れ出す湧水(わきみず)に関するものである。壽山は全山がサンゴ礁の塊の為、水が溜まり難い。水源、詰り、湧水があるのはこの地と、更に北側の最もポピュラーな壽山登山口付近の「龍目井」のみという自然条件の為、水の確保に苦労して来たという歴史的な背景があるからだと思われる。その中で「打水湾の水路跡」と題された案内板の解説は以下の通りである:

「登山街60巷は、軍用の古道と打水湾(Freshwater
Creek)の水路が交わる境界にあり、100年の時を経てもまだ、その歴史を色濃く残しています。水源は寿山館の後方にあるジャングルの中、海抜60~80mの中腹にあります。地形の関係から、自然の湧き水が登山街60巷の下と中山大学西子湾キャンパスの方向に分れて流れています。水路の上流にはサンゴ石の堰(せき)と斜面保護、中流にはタイルの斜面保護、下流にはサンゴ石の溝壁が施され、歴史の積み重ねが感じられます。水路の近くの流れの緩やかな場所は自然の湿地になっており、カヤツリグサ、ウチワゼニクサ、クワズイモなどの湿地に生息する植物が見られます。」

水源は丁度裕仁親王の壽山登山口から東屋までを含む一帯と重なる。壽山館の前身である貴賓館をこの水源地脇に建てたのはむべなるかなである。前回の投稿の中で、歴史場域は「哨船頭古道」の一部を切取り整備・構成されたものだと述べたが、もう一つは今も絶えることのない湧水とそれを海岸まで誘導している古水路、即ち、水の古道が隠れた主題と言えそうだ。

<龍目井>
壽山への最も伝統的な登山口は、鼓山区龍井里にある万寿山龍泉禅寺横にある。この登山口は前回の投稿で僅かばかり触れた内惟越嶺古道の起点でもあり、ハイカーは暫くは古道と重なる登山道を辿る。その登山口脇には水路があり、その水路から流れ落ちる水は「龍巖冽泉」と冠せられた親水公園に集められる。龍巖冽泉とは清代鳳山八景の一つなのだが、そこを龍目井と呼んでいる。普段はその水は涸れ果て青ノリが張り付いた見慣れた溝川紛いだが、梅雨時、或いは台風時は泉水が迸り出る。又、龍泉禅寺より南側約250メートルの場所には、鼓山龍目井龍泉宮という更に直接的な名の廟堂がある。加えて、これら二つの廟堂を結んでいる道路名は青泉街である。

このように、古来大事にされて来た水源であることは容易に想像が付くが、肝心の水源の在処は判らない。しかも大雨が降った後のみ泉水にまみえるのでは湧水とは言い難いとも思う。実際は既に枯渇してしまったのかもしれない。龍目井とは、嘗て龍の両眼を想起させる二つの湧水地が並列していたといった類の故事が存在していたと考えられるが、高雄市も含め台湾内にも同名の地は複数個所存在する。高雄市の場合、後段で紹介する日本時代に竣工させた高雄市街地への上水道システムの内、取水後の第一次浄水と濾過を担ったのは、当時の小坪頂水源地なのだが、その北隣の行政区画は同市大樹区龍目里、そこに龍目井という地名がある。偶然なのか、或いは何らかの繋がりがあるのかは判らない。

<高雄温泉>
高雄人ですら、嘗て高雄市街地に温泉が存在したと言っても俄かには信じ難いに相違ない。しかし、事実である。日本時代の地図にも明確に記載されている。但し、温泉ではなく、冷泉である。日本では、地表の気温より著しく温度の高い湧水(温泉法では25度以上)を温泉、それ未満の温度の湧水を鉱泉(冷鉱泉)と呼んでいるが、冷泉とは後者である。

浴場、休憩所、食堂を含む嘗ての高雄温泉は、前出の龍泉宮の裏側、青泉街に沿った、今は中華電信に依り管理されている空き地である。高雄温泉は終戦と同時に営業を停止したわけではなく、それ以前に軍の通信施設として接収されており、当時の塹壕と防空壁がそのまま残っている。龍泉宮から150メートル程南側にある寿山国家自然公園北寿山駐車場との間も青泉街で結ばれているが、青泉街沿いには龍目井と繋がる側溝が敷設されている。北寿山駐車場に出入りするにはその側溝に掛かった小橋を渡るのだが、今はその橋の下に冷泉が湧き出している。

橋の袂には、製作者、製作年月日不明の案内板が三基立っている。各々、「高雄温泉」、「水泉花」、「硫化湧水」と題された中文のみの案内板である。それら案内板が立つ下の側溝の底は、小橋下の湧水が冷泉である証左であろうと思わせる水泉花と呼ばれるソーメン状の白色物質で覆われている。案内板に気付きその説明を丁寧に読めば、嘗ての高雄温泉の存在を確認出来るのだが、ハイカーの目に留まっているかどうかは大いに疑わしい。筆者自身ですら長い間案内板の存在に気付かなかった。先ず「高雄温泉」案内板の解説を訳出する。訳中に龍目井と高雄温泉の距離700メートルとあるが、今現在の距離は250メートル程度だ。日本時代の龍目井はもっと北側で湧水していたのかもしれない:

「日本領有時代、日本人花田伍助が高雄温泉を「発見」した。日本人が編纂した『高雄州地誌』に以下の様に紹介されている:『場所は龍目井より南側約700メートルに位置し、その実は冷泉である。にも拘らずカリウム、ナトリウム等の鉱物質を豊富に含み、皮膚病、胃腸病に効用がある。』更に曰く『市街地に近く、田園の趣があり、温泉館の下方から流れ出す一条の泉水には、夏になると蛍が群がり、一家団欒の保養地としては最適である。』と宣伝文句が並ぶ。前述したように、冷泉である為、顧客には加熱した後の泉水が供されていた。」

「水泉花」の案内板には以下の解説が加えられている。解説は二段に分れているが、後段の訳出は微生物学の基礎知識が必要と思われるので端折った。この解説を読まず案内板のタイトルだけを見てしまうと、日本人なら「湯の花」(温泉の不溶性物質の析出・沈殿態)の一種かと忽ち納得してしまうのだが、案内板の解説はそれを真っ向から否定している:

「水泉花とは、柴山裾野で洗濯する婦女の間で使われていた水中の白い(麺状の)物質の雅語である。柴山は全山サンゴ礁の石灰岩の塊、即ち炭酸カルシウムである。傍を通ると硫黄臭がするが、実際は細菌代謝派生物の硫黄臭であり、決して硫黄泉の証明ではない。」

「硫化湧水」の案内板解説の前段は化学用語が頻出するので、これも筆者の手に負えない。案内板製作者の憤りが露わになっている後段のみ訳出する:

「硫化湧水に関しては、全台湾で現在までの所、記録に残るのはこの地のみである。貴重な自然資源であり独特な地質景観を呈していると言えるのだが、現時点では周囲の環境が悪く、又何らの保護策も取られていない。」

ネットを渉猟すると、幻の高雄温泉の話題が喧しくなったのは、壽山の国家自然公園への昇格計画と期を一にしているようだ。やはりユニークな観光資源が欲しいのだと思う。ネットを賑わす論点は三つあるのが見て取れるが、各々決着は付いている模様だ:本当に冷泉なのか、水泉花の正体は何で、本当に冷泉と関係があるのか、龍目井と高雄温泉の水源は同じなのか。それにしても冷泉は青泉街のごく普通の側溝に流れ込み続けているのだが、未だ高雄温泉復活の兆しは見えない。

<エピローグ:打狗水道>
打水湾に流れ込む水にしても龍目井にしても、全山水源に乏しい中の小さな水源に過ぎない。これでは日本領有後爆発的に増え続ける人口の水は賄えない。台湾総督府は下淡水渓(現在の高屏渓、高雄市と屏東県の境界を形成)からの取水工事に取り掛かる。明治43年(1910年)起工、大正2年(1913年)、給水が開始される。実際高雄市民に給水したのは、今も現役、高雄市指定古蹟、文化部文化資産局登録名「打狗水道浄水池」である。
現在は高雄水道浄水池とか壽山配水池と呼ばれているが、浄水池正門に嵌められたプレートには「台湾省自来水公司第七区管理処、澄清湖供水廠壽山加圧站」と刻まれている。自来水とは日本語では上水道のことである。長さ48メートル、幅25メートルの浄水池と、直径6メートルのドームを頂く浄水井戸とから構成されるが、前者は上部に厚さ30センチの砕石層と60センチ厚の土が載り、地表にはトーチカ上の通気口が突き出している。場所は、壽山山中、嘗ての壽山館、高雄神社の東側下部にあり、標高35メートル、浄水井戸のドームは市街地からも良く見えている。

打狗水道は取水、濾過、給水の三システムで構成されていた。初起工時の打狗水道の各々のシステムを担ったのは以下の通りで、前者が日本時代、後者が現在の通称である。取水地点と給水地点間の直線距離は約17キロ、この間、水管を敷設、今でも水管路という道路名が残る。初回起工以外に日本時代だけでも五回の拡張工事を繰り返しながら増加する人口に対応した。

(取水)竹仔寮取水場(現台湾自来水公司竹寮取水站:大樹区竹寮里)
(一次浄水、濾過)小坪頂水源地(同坪頂給水廠:大樹区小坪里)
(二次浄水、給水)打狗水道浄水池

竹寮取水站も高雄市指定古蹟だ。国定古蹟である飯田豊二設計の下淡水渓鉄橋から幹線自動車道、台21号線を1キロ弱北上すると、煉瓦主体の古建築物群が突然立ち現われる。ゴシック様式と中国様式の折衷と謂われる華麗な本館を始め、日本時代竣工時の風貌が維持されている。筆者も慌ててブレーキを踏んだ。当時既に市指定古蹟だったが、打狗水道浄水池との関係は全く無知だった。

他方、坪頂給水廠内に指定古蹟は無い模様だ。但し、周辺には古蹟指定にはなっていないが指定価値のある遺構が打ち捨てられているのを、草莽の台湾人有志のブログにて知った。給水廠の東側数百メートルのパイナップル畑の中に、煉瓦を内壁としコンクリートで外観を仕上げた立法体の古建築が忽然と起立していた。西洋古典様式の意匠が施された、日本時代は量水器室(戦後は水錶室に改名)と呼称された水道メーター室遺構である。最近まで「小坪頂大樹鳳梨種苗養成所遺址」、日本時代のパイナップル種苗育成所と特定されていたものだ。今現在もパイナップル栽培の邪魔になりながらも排斥されず、竣工後百年を越えてしまった。

グーグル・マップで打狗浄水池附近を眺めていたら、その直ぐ南東方向、壽山山裾の住宅街の中に「打狗水道」という標記が飛び出して来た。市指定古蹟は浄水池と浄水井戸だけという知見しか持ち合わせていなかったので、早速現場に足を運んだ。そして唖然とした。一つは、その建築物の周りには様々な生活雑貨が散乱し、今はどう見ても個人の人家としか思えなかったからだ。もう一つは、それにも拘らず、即座に日本時代の建築物と判る西洋古典様式の優雅な意匠を保持していたからだ。明らかに量水器室遺構なのだが、辺りには何の案内も無い。その後、文化資産局の打狗水道の古蹟登録内容を読んでいたら、浄水池、浄水井戸と共に高雄市指定古蹟になっていることにもう一度驚いた。

片や、古蹟指定ではないが排斥されずにパイナップル畑に起立し続ける百年遺構、片や、市指定古蹟でありながら保護作業が加えられず排斥処分同等の待遇に甘んじている百年遺構、どちらも打狗水道システムを担っていた。(終り)

<参考:打狗水道の二基の量水器室遺構>
(小坪頂水源地)
https://taiwan-kodou.up.seesaa.net/image/Kodou-2375.jpg
(浄水池)
https://taiwan-kodou.up.seesaa.net/image/Kodou-2374.jpg


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