作者: 西 豊穣
私が高雄市で働き出したのは、歴史的な政権交代となった台
湾総選挙直後の2000年4月であるが、それから暫くして風邪
を引いた。そこで知人に或る寂れた診療所に連れて行かれた。
そこの医者は堂堂とした体躯をしておられたがもう七十に近い
のではないか思えた。診療室の壁には然る日本の大学の医
学部の卒業証書が掛けられていた。「君の出身は何処?」と
流暢な日本語で聴かれた。「鹿児島です。」と答えると、大き
な声で「西郷隆盛か!」と一喝されるように言われ、思わず椅
子から腰を浮かすぐらいに仰天した。これが私の台湾での最
初の「西郷体験」である。
隆盛の台湾での落胤伝説は根強い。花蓮県蘇澳郷公所(役
場)の公式ウェッブサイトで紹介されているぐらいだ。それに依
ると、隆盛は嘉永4年(1851年)、24歳の時、藩主の禁猟区で
誤って火を放った為に流刑に処せられた。流刑の地とは台湾
で、実は当時の藩主島津斉彬が、西欧列強のアジア進出を
憂慮し、隆盛に台湾偵察の密命を授けたというものだ。これが
本当ならペリー提督の浦賀来航よりも三年程前になる。まず
基隆に寄港、南下し南方澳(現在の花蓮県蘇澳港)に上陸し、
その地の漁村に潜伏、偵察活動に従事、この間原住民の娘
「ルモ」との間に男児を儲けたという伝説が地元に残る。蘇澳
は、南の花蓮との間の海岸線を結ぶ蘇花古道(「台湾の声」
紹介済み)の起点、明治4年(1871年)の牡丹社事件(宮古島
島民が台湾最南部の太平洋側に漂着後、五十四名が当地の
原住民に殺害された)以降に日本の台湾領有の意図を察した
清朝が開鑿した数本の軍用道(「開山撫蕃道」)の内の一本が
ベースで、その後日本人が自動車道を設けた。隆盛が潜伏し
ていたと考えられる時期にはこの軍用道路はまだ存在してい
なかったが、偵察活動中、隆盛はこの軍用道路の元になった
であろう山道を頻繁に往復していたかもしれない。
隆盛の実弟、従道と台湾との関わり合いは良く知られている。
明治政府は牡丹社事件の二年後に同地の原住民パイワン族
討伐に乗り出す。「征台の役」と呼ばれその司令官(「蕃地事務
都督」)が従道であった。台湾海峡側の西郷軍上陸地点から、
今は石門古戦場と呼ばれている征台の役時の主戦場を経て、
牡丹社事件に拘わったパイワン族集落を抜け、宮古島島民が
漂着した八瑶湾に至るコースは今ではすっかり自動車道に取っ
て替わられたが、恒春卑南古道(「台湾の声」紹介済み)の一
部を形成と呼ばれる。西郷軍上陸地点に程近い場所に「明治
七年討蕃軍本営地碑」、石門古戦場中の虱母(しつぼ)山上に
「西郷都督遺績紀念碑」と「征蕃役戦死病歿忠魂碑」の併せて
三基、従道と征台の役に纏わる遺跡が現存する。
隆盛の長子、寅太郎は父隆盛が西南の役に出陣した時は僅か
七歳だった。その後は近衛師団歩兵中尉として日清戦争に出
兵、戦争終結後、そのまま清国より北白川宮能久(よしひさ)親
王率いる近衛第一旅団の一員として台湾北東部海岸、現在の
新北市貢寮区澳底に上陸し、日本への割譲に反対する武装蜂
起勢力の掃討戦に参加した。この上陸地点には当時「北白川宮
征討記念碑」が建立され、現在同碑は「抗日記念碑」に替えられ
てはいるが、その場所は塩寮海浜公園の一部として整備され、
透明ガラスを展示板に利用したユニークな日清戦争歴史記念館
になっている。その後、寅太郎は基隆を経て台北に入城、桃園、
台中、彰化、台南まで南進する。台湾民間人も義勇軍として各
地で武装蜂起に参加、日本軍に対するゲリラ戦を展開した。そう
した義勇兵のアジトとも言える洞穴が、台北市の最南端、新店
区郊外にある新店獅仔頭山歩道(「台湾の声」紹介済み)に残
る。寅太郎の最後の経歴は、第一次世界大戦中に中国青島で
捕虜にしたドイツ兵を収容した習志野俘虜(ふりょ)収容所所長
で、在任中に当時流行したスペイン風邪で命を落とした。習志野
の地は、父隆盛の縁(ゆかり)の地でもある。明治6年(1873年)、
西郷隆盛(当時陸軍元帥兼参議)の指揮下、同地で挙行された
近衛兵の大演習を観閲した明治天皇によって習志野原と命名さ
れたのだが、演習中の篠原国幹(当時陸軍少将、薩摩藩、西南
の役時田原坂攻防戦で戦死)の指揮振りに感銘した明治天皇の
「篠原に習え」という言葉が元になったというエピソードも良く知ら
れている。
寅太郎が台湾に上陸したのと同じ時期、隆盛の庶長子、菊次郎
は台湾総督の役人として台湾に赴任してきた。安政の大獄に絡
み薩摩藩当局の計らいで、隆盛が奄美大島龍郷村に潜居してい
た時分、地元の豪農の娘「愛加那」(あいかな)との間に生まれ
たのが菊次郎である。その後西郷家に引き取られ、十七歳で父
親の軍の一員として西南の役に出兵、銃創を負い右足膝下を切
断した。台湾総督府参事官を皮切りに、台北県支庁長、宜蘭庁
長を歴任、七年の長きに渡り台湾の為に尽力した。この間、初代
樺山資紀を始め四代の台湾総督に仕えた。特に、宜蘭庁長時代
の遺徳は今でも現地の人に語り伝えられている。例えば、宜蘭
庁長舎は「宜蘭設治記念館」として復元・保存され一般に開放さ
れているし、菊次郎自身が工事を指揮し建設された宜蘭河沿い
の約1キロに渡る堤防は今でも西郷堤と呼ばれ、河畔に菊次郎
の施政を讃える「西郷庁憲徳政碑」が立つ。現在の台北市を中
心とする地域と宜蘭市を中心とする平野部を結ぶ山越えの道路
は古くから開発されてきたが、それらは総称して淡蘭古道(清朝
の行政区画である淡水庁と噶瑪蘭庁:「台湾の声」未紹介)
と呼ばれる。但し、当時のままの古道が残存している部分は最
早少ない。その中で代表的なものが、草嶺、三貂嶺、[山/隆]嶺
古道の三本である。菊次郎も管轄区域内の視察の際にこれらの
古道を利用したことは想像に難くない。
今に残る台湾古道は実に様々な日本人により歩かれてきた。そ
んな中で変り種として、西郷家の人々を紹介した。(終わり)
野幸夫著『西郷菊次郎と台湾―父西郷隆盛の「敬天愛人」を活か
した生涯』(2002年11月初版、南日本新聞開発センター)を参照さ
せていただいた。尚、西郷隆盛の台湾落胤伝説は、加藤和子著
『南海物語―西郷家の愛と哀しみの系譜』(2007年8月初版、郁
朋社)に詳しい。
西豊穣 ブログ「台湾古道~台湾の原風景を求めて」
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2007/06/16 蘇花古道−3
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2007/06/14 蘇花古道−1
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