作者:西 豊穣
<淡蘭古道「南段」=「淡蘭便道」>
前回『淡蘭古道(上)』で紹介した三本の古道は最も早期に
開鑿された台北地区と台湾東海岸最大の平野部である蘭陽平
野を結ぶ幹線で、基隆河を遡行、台北から東側に辿り最後に
太平洋岸に出るコースである。その後、この「官道」(正規
道)より南側に開鑿され同様に雪山山脈北端を乗り越し蘭陽
平野に下りる道路は多数開鑿された。オリジナルの淡蘭古道
を北段とすれば、これら南側に開鑿された越嶺道は南段と総
称出来る。
その南段の代表が、現在新北市新店区市街地を発し、同市
石碇区と坪林区を経て宜蘭県頭城鎮市街地に至る総延長約60
キロの「北宜公路」(省道9号線本線:註1)の前身となる北
宜古道である。前回投稿で紹介した三貂嶺−隆嶺−草嶺古道
という形で残る淡蘭官道に対し、この北宜古道は「淡蘭
便道」(通用道)とも呼ばれる。今回の記事では、この淡蘭
便道を現在の北宜公路との関係の中で紹介する。
<「石牌」>
北宜古道は清代咸豊年間(1851〜1861)から同治年間(1862〜
1874)に掛けて形成されたと謂われている。日本時代は自動
車道として数次に渡り整備され、「北宜道路」と呼ばれ、戦
後そのまま現在の北宜公路に引き継がれて来た。
北宜公路の最高点の地名は、「石牌」、標高538メートル、
新北市坪林区(旧台北県坪林郷)と宜蘭県頭城鎮の境界であ
る。今現在当地には「石牌県界公園」が付設されている。同
公園東側端に設けられた展望台足下の大金面山、小金面山越
しの蘭陽平野とその先の亀山島を含む太平洋の眺望は圧巻。
「金面大観」と賞され、1951年に「新蘭陽八景」に選定され
た。石牌の地名に引っ掛けたのかどうかは判らないが、「北
宜公路殉職先霊記念碑」、「(旧台北県・宜蘭県)境界碑」
(現在は撤去)、「金面大観」(裏側は「亢懐今古」)碑、
「虎字碑」、「跑馬古道」碑等の石碑、標石が起立して
いる。
宜蘭庁庁長 西郷菊次郎、第四代台湾総督 児玉源太郎治下
に於いて、現在の北宜公路の前身、北宜道路が最初の完成を
見た。この最高地点は当時「湖底嶺」と呼ばれており、西郷
揮毫の「湖底嶺開路碑」を建立。同碑には児玉が題字を揮毫
した篆額「平塹雲開」が刻まれ、同道開鑿に艱難辛苦した様
が記されていたと謂う。
以前の筆者の投稿『西郷家と台湾古道』の中で、西郷菊次郎
と淡蘭古道の関わり合いについて若干触れたことがある。但
し、当時は筆者自身この西郷、児玉に由来する碑が現存して
いるとは想像だにしなかった。この記事を書くに当たり、国
立台湾大学図書館の古写真アーカイブから日本時代に撮影さ
れた同碑の超ピンボケ写真(写真キャプションは「湖底嶺の
碑」)を探し出し、目測でざっと幅1メートル半、高さは
3メートルはあろうか思われる「金面大観」碑と比較したら、
碑石そのものは同じものであることに気付いた。戦後、新蘭
陽八景が選定され、加えて同道が完全自動車道化された際に、
日本時代のオリジナルな碑文はすべて削られ、新たに刻まれ
たのが現在に見る碑であることが判った。
「金面大観」(「亢懐今古」)碑イコール「湖底嶺開路碑」
であるという説明は台湾のサイト上では極めて少ない。頭城
鎮市街地内に当地の観光名所である頭城老街があり、その一
角に日本時代に建築、戦後、頭城国民小学校校長宿舎として
使われた家屋を修復・復元した「頭城鎮史館」(註2)があ
る。そこが主宰するホームページに当該碑の詳しい解説が施
されているのに漸く行き当たった。
日本時代最初の北宜古道の整備・拡張工事は、現在の新北市
坪林区と宜蘭県礁渓郷間にて、宜蘭庁管内の技手、尾泰利の
監督下、明治31年(1898年)10月〜翌32年(1899年)5月に
掛けて行われ、明治33年(1900年)2月に開路碑を建立した
と解説されている。西郷、児玉揮毫の刻字と恐らく「坪林礁
溪道路闢建記」と題された碑文本文は、「金面大観」碑の裏
側、今現在「亢懐今古」と彫られた面に刻まれていたはずだ。
現在この碑を仔細に眺めると僅かに当時の碑文の残骸が散見
される。
このような改竄例は、台湾では特に道路開鑿記念碑には少な
からず見られるケースである。筆者の以前の投稿『蘇花
古道−2』で紹介した東澳慶安堂内安置の「遭難碑」(今現在
は「開路先鋒爺」)はその一例である。
湖底嶺開路碑の傍には、「虎字碑」もある。これは前回紹介
した草嶺古道上の台湾総兵、劉明燈揮毫の同碑の雄(オス)
字版、元々当地に存在したが、今現在当地にあるのはレプリ
カ、オリジナルは坪林市街にある茶業博物館内に保存されて
いる。
さて、「石牌」とは石碑の意味であるが、何故当地がそう呼
ばれるか?には台湾では二説ある。劉明燈が草嶺古道を踏破
した翌年、即ち同治七年(1868年)に、今度は北宜古道に分
け入り、当地に虎字碑を建立した。碑とはこの虎字碑を指す
というのが第一説である。もう一説は、西郷、児玉縁(ゆか
り)の湖底嶺開路碑の存在故である。
<「跑馬古道」=日本時代開鑿北宜道路の唯一の生き残り部分>
「跑」とは走るの意味で、「跑馬」とは従って、馬
に乗って走る、即ち騎馬のことになる。林務局の国家歩道系
統解説に依ると、日本時代は同道を大日本帝国陸軍軍人さん
が騎馬で巡邏していた為、陸軍道とも呼ばれたと謂う。更に
同解説には、同古道は嘗て、木馬道とも呼ばれていたともあ
る。木馬とは、木材運搬の為に道路上に並べた木材のコロ(
転)、並びに木材を運搬するコロ車のことである。このよう
な特徴を有した道路は嘗て台湾に五万と存在したはずだが、
現代台湾では跑馬古道と言えば、まず今回紹介する段を
指す。
北宜古道、並びに明治32年完工の北宜道路と現在の北宜公路
と唯一相違する部分が跑馬古道の段である。つまり、
跑馬古道は北宜古道の唯一の生き残り部分である。最高
点である石牌から頭城方面へ、所謂「九彎十八拐」(「拐」
はこの場合曲がるの意)と呼ばれる大掛かりな九十九折(つ
づらおり)を経て真っ直ぐ東進、太平洋岸に降りていくのが、
現在の北宜公路だ。
他方、北宜古道、並びに日本時代初期の北宜道路は、石牌か
ら南下しながら現在台湾有数の温泉街の一つである礁渓に降
りていた。九彎十八拐の段は、大東亜戦争末期に開鑿、戦後
台湾でもモータリゼーション時代に入ると、当該段での交通
死亡事故が多発、一昔前までは、ここを車で走る台湾人は、
悪霊祓いの為の紙を撒きながら走っていたそうだ。その後拡
張工事を繰り返した為、今では極めて安全に走行出来るよう
になっている。
跑馬古道は上下二段に分かれ、その間は自動車も走れる
産業道路で繋がれている。湖底嶺開路碑の袂が、同古道の最
高点にして北段出入口になり、総延長は1キロ弱、この間は丸
太とコンクリート石材で整備され、古道の趣は消失してし
まったが、沿線の木立は美しい。それに続く約1キロ強の産業
道路の後は、古道の雰囲気をたっぷり味わえる約3キロの南段
になり、礁渓温泉街郊外の出入口、つまり古道最下段に至る。
従って北・南段の総延長は5キロ程度、北口標高520メートル、
南口260メートル、南北出入口の標高差は250メートル強、南
口から入り登り一方の北口に辿っても二時間程度のハイキン
グになる。旧幹線なので道は広く、危険箇所も無い。南口は
市街地内にあり公共バスの停留所もある、珍しい国家歩道で
あり、礁渓温泉に出掛けたらついでにぶらりと散策されるこ
とをお薦めする。
<雪山トンネルと北宜高速公路=「新北宜公路」>
雪山トンネルについては、開通して一年ぐらいしか経ってい
なかった時分に、『蘇花古道−1』で「台湾の誇り」として紹
介したことがある。同トンネルを擁する国道5号線、通称「北
宜高速公路」、正式名称「蒋渭水高速公路」(註3)が全線正
式開通したのは2006年のことである。最も新しい北宜道路は
このようにして、とうとう雪山山脈内に潜ったわけである。
お陰で、台北地区と蘭陽平野を含む東海岸との時間的な距離
は格段に短縮された。
同高速道路上で、北宜公路(省道9号線)に相当する部分は、
南港ジャンクション(台北市南港区)と頭城料金所の約30キ
ロの区間だ。この間を五本のトンネルで繋ぎ、そのトンネル
の総延長は凡そ20キロ、その内最長のものが十三年にも渡る
難工事を征し開鑿した雪山トンネルの13キロである。自動車
道トンネルとしてはアジア第二位、世界第五位の延長を誇る。
台湾第二の山脈下を僅か半時間で走り抜ける。
同区間に設けられたインターチェンジは石碇と坪林、週末に
は遊楽客で猛烈な混雑を極める。これら山間の二つの街も新
北宜公路開通の最大の受益者に含まれる。他方、その陰で閑
古鳥に鳴かされているのは、恐らく嘗て昼夜を問わずホット
なデートスポットだったと想像される石牌県界公園である。
週末の同地は満足に駐車も出来ないという噂を聴いていたが、
先日とある日曜日の午後訪れたら、駐車場に留められた車の
少なさに拍子抜けしたものだ。
<淡蘭古道「石碇段」=ユニークなコンクリート古道>
北宜高速公路は石碇市街地付近では、その街の真上を覆うよ
うに高架となって建設されている。誰のアイディアか判らな
いが、この段を建設する際、同時にその高架に沿って古道を
復元した。その名も「淡蘭古道」、もともと北は大台北地区
と南は坪林を繋ぐ道路は古来存在していたわけで、それを淡
蘭古道と称するのは正しいはずだ。
古道総延長は僅かに2キロ弱、その名も景美渓西岸に沿って整
備され、古道の中程を自動車道が通って北段と南段を分けて
いるが、この自動車道沿いに駐車が可能なので、古道歩きを
楽しむには、ここを起点に南北各々の方向を往復するのが便
利だ。全段殆どフラットで南北端とも景美渓に渡された橋で
終点になる。北段はコンクリートの石板が高速道路高架に沿っ
て敷かれているだけ、古道と呼ぶには大いに苦しい。南段は
不粋な砂利が敷かれてはいるが、古道は木立の中を通り、景
美渓の流れも身近なので、北段よりは落ち着いた気分に浸れ
る。最後は石碇老街に繋がっているが、同老街は週末になる
と車と人で溢れ返るので、古道経由で歩いて老街に入り散策
することをお薦めする。
スーパー淡蘭便道たる北宜高速公路の巨大なコンクリートの
塊と旧淡蘭便道を対比させるアイディアは、嘗て存在した往
時の淡蘭古道の啓蒙の為には悪く無いアイディアだと思った。
(終り)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
(註1)「省道」とは本来は「国道」と称すべきものだが、行
政院交通部は未だに変更していないので現在の呼称に従った。
現在の台湾で「国道」とは高速公路(道路)に対する呼称で
ある。
(註2)当該館の住所は:宜蘭県頭城鎮城東里開蘭旧路四号、
東北社区活動センター隣。尚、台湾鉄路頭城駅前広場横にも、
「文創頭囲園区」が付設され日本家屋三棟が復元されている。
「頭囲」は日本時代の「頭城」。
(註3)蒋渭水(しょう・いすい、1890年〜1931年)は宜蘭出
身の医師。台湾文化協会及び台湾民衆党の創設者。
西豊穣 ブログ「台湾古道~台湾の原風景を求めて」
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西豊穣 台湾紀行古道シリーズ バックナンバー
2012/11/10台湾古道シリーズ―淡蘭古道(上)
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2012/05/01台湾古道シリーズ―蘭嶼
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2011/10/25西郷家と台湾古道
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2009/01/12 苗栗県の古道
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