西豊穣
福巴越嶺古道は、台湾北部では過去紹介した霞喀羅古道(石
鹿古道)と共に、林務局が力を入れ整備し、ハイカーに人気
のある古道です。古道の最終形態は、現在の台北県烏来郷烏
来(日本時代:ウライ社)と桃園県復興郷巴稜(バロン社)
との間を結んでいた拉拉山(ララ山)越えの原住民に対する
警備道(「理蕃道」)ですが、実際は沿線のタイヤル族に依
って狩猟道、婚姻道として数百年来歩かれて来た道です。
このように烏来地区と外部地域を結んでいる古道は福巴古道
以外に、哈盆古道、桶後古道と呼ばれるものがあり、いずれ
も最終形態は原住民に対する警備道だったものですが、これ
ら三本の中では福巴古道が最も良く整備されている為、週末
は多くのハイカーで賑わいます。
現在台北地区と宜蘭県を雪山山脈越えで結んでいる自動車道
は二本あります。一本は国道5号線(通称「北宜高速公路」、
正式名称「蒋渭水高速公路」)で、もう一本は省道9号線(
「北部横貫公路」、通称「北横」、註参照)です。後者は桃
園県大渓鎮大渓と宜蘭県宜蘭市街との間を結んでいる全長約
130キロの自動車道です。この北横のベースになったのは、
日本時代、西は大渓側の軽便鉄道終点角板山に始まり、タイ
ヤル族の集落を結びながら雪山山脈を越えて蘭陽渓(日本時
代は濁水)に降り、羅東市街から三星まで伸びていた軽便鉄
道終点に至る警備道で、今は角板山古道とも呼ぶ人もありま
す。大渓と、北横が蘭陽渓に降り切る地点である棲蘭間の凡
そ中間地点にあるのが巴稜、旧バロン社で、ここから北のウ
ライとの間を繋いでいた警備道が現在の福巴越嶺古道です。
このウライ−バロン間は理蕃道として大正11年(1922年)に
整備し直された後は、駐在所が以下のような具合に配置され
ました。( )内は日本時代の呼称です。即ち:
烏来(ウライ)−信賢(ラハウ)−屯鹿(トンロク)
−福山(リモガン)−茶墾(チヤコン)−檜山(同)
−拉拉山(ララ山)−塔曼(タマン、大満)
−比亜散(ビヤサン)−上巴陵(ララ渓)−巴陵(バロン)
現在の古道は、台北県烏来郷福山(リモガン社)と桃園県復
興郷側の拉拉山自然保護区内生態教育館とを繋ぐ全長17キロ
の部分で、ララ山から福山に向かい緩やかに下っており、そ
の高低差は約1,200メートル。片道だけであればどちらの入
口から入っても一日で歩き通せます。歩行時間は、ララ山側
からの下りが7時間、福山側からの上りが9時間程度です。
但し、どちらから入っても、その片方の出口に車なりを手配
しておかないと往復しなければならない羽目になりますから、
この古道を全部歩き通そうと考えたら最寄の山岳会、登山ク
ラブが募るツアーに参加するのが便利です。
ララ山一帯は台湾最大の台湾紅檜(通称「ベニヒ」)の一大
原生林が残存しており、1986年に自然保護区に指定されまし
た。その規模は台湾の日本向けの案内では東南アジア最大と
も表現されています。自然保護区に残る檜の大木には全く圧
倒されます。国民党の歴史観風に言えば、日本人に依る伐採
を免れたということになるのでしょうが、日本人はここに大
木があることはとうに知っていましたし、古道に沿った部分
は各所で僅かな大木を残してよく植林されていますから、で
は何故ララ山生態教育館付近だけ伐採をしなかったのか?そ
れはよく判りません。
ララ山(標高2,031メートル)は1975年には達観山という抹
香臭い名前に改名され、私が初めて同地を訪れた七、八年前
も達観山自然保護区と呼ばれていましたが、今は台湾人に通
りの良いララ山に戻っています。そして台湾人はララ山と聞
けば即座に水蜜桃を思い浮かべます。実際桃の花の咲く頃に
この地を訪れると山に掛かる霧とピンクの桃の花の取り合わ
せは文字通り桃源郷の趣があります。「ララ」とはタイヤル
語で美しいを意味する言葉だそうです。
全長17キロの現在の古道は、その中間点である檜山駐在所跡
で便宜的に福山段と巴稜段とに分けています。
一般の人に薦められるのは、省道9号線を経て巴稜側から入
る方法です。9号線から別れ上巴稜に向けて急坂を登り始め
るとすぐに料金所があり、ララ山生態教育館、通称ララ山神
木群を見る為にはそこで料金を払います。上巴稜まで上りき
った場所にタイヤル族の住居が集中しており、巴稜国民小学
校がある辺りが一番の高台で嘗て日本人が砲台を置いていた
場所です。そのまま桃の畑の中をずんずん登ると、ビヤサン
駐在所跡地に設けられた自然保護区管理処を経て生態教育館
に着きます。そこに車を停め歩き始めます。ベニヒ原生林を
ひと回りした後、古道専用のゲートを経て古道に入ります。
塔曼山(標高2,130メートル)とララ山の鞍部が古道と交わ
る部分は気象観測用施設がある広場になっており、タマン駐
在所跡地ではないかと考えられます。そこで折り返してくる
のがいいでしょう。この部分は往復7キロぐらいで全く平坦、
古道脇に往時の石積が残っていたり、檜の回廊状のような部
分もあり、存分に古道歩きを楽しめます。又、日本時代に原
住民を隔離する為に張り巡らした電線の碍子(がいし)が、
いまだに樹木にめり込んだまま残っている様子を観察できま
す。理蕃政策下の遺物であるこの種の碍子は台湾各地に残っ
ているという報告、写真は見ていましたが、私自身が実際目
にしたのはこの古道沿線が初めてでした。
気象観測用施設、即ちタマン駐在所跡地を過ぎると古道は緩
やかな下りに掛かります。原生林の中に、樹齢が優に千年を
超えていると想像される檜の大木が散在しています。ララ山
駐在所跡地は今は余程注意しないと見逃してしまうぐらいに
草茫々。これに対し、中間点の檜山駐在所跡は案内板も設け
られており格好の休憩地になっています。そこまで辿りその
後巴稜側に折り返しても然程苦にならない程度の勾配です。
他方、福山側から古道に入る場合、台北県新店市街を出発、
ウライ温泉から台北県郷道107号線を終点まで辿ると福山、旧
リモガン社に着きます。道路状況は極めて良好で、新店-福山
間は約一時間半のドライブ。リモガン社に入る少し手前に今
は立派な古道入口が調えられていますので迷うことはありま
せん。但し、福山の手前の村、信賢(旧ラハウ社)に検問所
があり入山証を取得する必要があります。
私が入山しようとした日はチャンミー台風(2008年15号)が
台湾北部を横切った翌日で、「今日やっと福山までの自動車
道が開通したばかりだ。山に入る?とんでもない、頼むから
我々に迷惑を掛けないでくれ。」と懇願されたので、その日
は引き下がり、検問所のすぐそばにある営業停止状態と見受
けられる農場に入り込み露営、翌朝検問所が開く6時に再度訪
ねたら、昨日とは別の警官が詰めており、何も言わずに入山
証を出してくれたことがありました。
確かに台風一過の後で各所で倒木には難儀しましたが、台風
の後でも即座に歩けるぐらいに道は広くしっかりしているの
がこの古道の特徴で、前述したように20キロ弱の距離の高低
差が1,200メートルしかありませんので、福山側からは登り一
方になるにも拘らず全程勾配を感じずに済みます。1キロ毎
に林務局設置の里程標が立ちます。登山口から1キロを過ぎ
た辺りから檜の植林が現れ、水量の多い季節であれば沢があ
ちこちで古道を横切ります。チヤコン、檜山駐在所跡とも敷
地のみ。往時の面影を残すものはチヤコン駐在所跡で見付け
た大日本麦酒の空き瓶のみでした。
台風後で雨が残り山中湿っていた為、山蛭の多さには驚かさ
れました。山蛭は動物が発する呼気、二酸化炭素に反応する
そうですから、先頭を歩く人よりその後を歩く人の方に食い
ついていくことは覚えておいてよいでしょう。どんなに血を
吸って膨れてもせいぜい赤ちゃんの小指ぐらいですから生命
への危険はありません。
リモガン社に下山して来て、ウライ寄りの次のタイヤル族の
村、ラハウ(信賢)の村を散策していたら、「内洞国家森林
遊楽区」の小さな表示板が目に付きました。この村の袂を流
れウライまで到る南勢渓を隔てた向かい側にありましたが、
残念ながら台風の余波で入園禁止になっていました、料金所
で貰った同区のパンフレットを見ていたら、日本時代に纏わ
る遺構が二つ紹介されていました。一つは同区内にあり、南
勢渓に掛かる昭和17年(1942年)の竣工のラハウ・ダム、も
う一つは同区の外にありますが、同じ南勢渓に掛かる「黒橋」、
今はすっかりモダンな吊橋に替わりましたが、日本時代の鉄
線橋の頃からそう呼ばれていたのだそうです。ウライ社から
リモンガン社に到る現在の郷道107号線は南勢渓の左岸を
走っていますが、以前は、この黒橋で右岸に渡り、内洞国家
森林遊楽区の入口手前で再び左岸に渡ってラハウの村に入る
のですが、この間、約1.5キロ、今はこの旧自動車道が「信賢
歩道」として整備されています。歩道の山側は瀟洒な自然の
滝が何本も掛かりハイカーの目を楽しませてくれます。歩道
化されてそれ程時間はたっておらずアスファルト敷きですか
ら変な感じがしますが、今後五十年も経てば、この旧自動車
道も立派な古道に変遷していくのですから、福巴古道との対
比でおもしろいと思いました。
ウライ温泉まで訪れた折は、折角ですからその喧騒を離れラ
ハウ、リモガンの村々まで足を延ばし、福巴古道に少しでも
足を踏み入れてみられることをお薦めします。普通の運動靴
で十分です。(終わり)
(註)「省道」は本来は「国道」と称すべきものだが、行政
院交通部は未だに変更していないので現在の呼称に従った。
現在の台湾で「国道」とは高速公路(道路)に対する呼称で
ある。
西豊穣 ブログ「台湾古道〜台湾の原風景を求めて」
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西豊穣 台湾紀行古道シリーズ バックナンバー
2009/05/09関山越嶺古道
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2009/01/12 苗栗県の古道
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