【台湾紀行】台湾古道シリーズ―蘭嶼

【台湾紀行】台湾古道シリーズ―蘭嶼
【台湾紀行】台湾古道シリーズ―蘭嶼

作者: 西 豊穣

<楊南郡>
蘭嶼は台湾本島の南東沖(緯度上は墾丁国家公園の真東)、
台湾本土最南端の鵞鑾鼻から41海里(約75キロ)の太平洋上
に浮かぶ周囲40キロ程度の島である。台湾領有の島嶼の中で
は唯一原住民族が先住民として暮らす島である。その海洋原
住民族は、日本の台湾領有後間も無く同島を踏査した鳥居龍
蔵に依り、ヤミ族と呼称され、現在まで普(あまね)く使われて
きたが、1998年になりタオ族に改称された。タオ族の人口は現
在4,000人前後(註1)である。

蘭嶼は日本時代は紅頭嶼と呼ばれていた。その理由は現地に
出掛けてみればすぐ判るが、島の最高峰である紅頭山(標高
548メートル)とその両翼の頂上稜線上が赤いからである。私が
この島を訪ねた際この紅頭山に登頂することも目論んでいたの
だが、現地の方に今は登る人なんかいないと言われ、加えて
日中は半端な暑さではないことを即座に了解したので、あっさ
り断念した。従って、この赤の正体が岩なのか?土なのかは
未だに判らない。蘭嶼自体は火山活動に依り形成された島で
ある。

台湾古道シリーズの中で蘭嶼を取り扱うのは、日本時代作成
の地形図上の道路と現代の自動車道とが全く変わっていない
ことに気付いたからだ。島を一周する周廻道路と島のほぼ中央
部を南北に横断する一本の道路で構成されており、平野部が
ごく僅か、海岸沿いに点在する六つの集落は、日本時代とその
位置と数は変わらない。変わり様がないと言われればそうかも
しれないが、私にしてみれば立派な古道である。

もう一つ、「台湾の声」の読者に蘭嶼を紹介しようという気になっ
たのは、蘭嶼から戻った後程なくして或るDVDを見たからであ
る。そのタイトルは『縦横山林間―鹿野忠雄』(國史館、2011年
9月出版)、このDVDの存在を知ったのは、金子展也氏のブロ
グ『台湾に渡った日本の神々―今なお残る神社の遺跡』を通じ
てである。鹿野忠雄のことは以前にも台湾古道シリーズで何回
か紹介したことがある。台湾の博物学、民族学のパイオニアと
して大きな足跡を残しただけではなく、山岳家として、台湾人山
岳家に今でも読み継がれている『山と雲と蕃人』を残し、最後は
ボルネオで行方不明になったとされる。

このDVDを見始めて私があっ、と思ったのは、まず、導入が蘭
嶼から始まったこと、そして、その案内役が、台湾古道研究の
第一人者、DVD撮影時80歳の楊南郡氏(1931年・昭和6年生
まれ、現台南市龍崎区出身)だったからだ。つまりこのDVDは、
鹿野忠雄の足跡を楊氏が案内役として紹介する形をとってお
り、楊氏はこのDVDの収録の為、鹿野忠雄縁(ゆかり)の東京
大学と京都大学まで足を運んでいる。私は何時かは楊氏の日
本語を聞いてみたいものだと願っていたが、DVD中ではその日
本語で存分に語られておられる。尚、同DVDは字幕、ナレーショ
ンは日本語、英語でも供されている。先程、「台湾人山岳家に
今でも読み継がれている」と書いたが、それは楊氏がこの名著
を中国語に翻訳したからだ。日本では現在は文遊社から同書
は出版されているが、その解説、注釈は楊氏の手に成るもの
である。戦後70年になろうとしている現在、同書に本当の意味
で註を加えられる日本人は最早皆無ということである。

タオ族の伝統祭儀であるトビウオ祭り、チヌリクラン(タオ族の十
人乗り伝統漁船)進水式等を代表とする蘭嶼の観光地としての
魅力に併せ、台湾電力核廃棄物貯蔵所に関する台電対住民
の争議(註2)は、今現在は台湾に興味のある日本人、とりわ
け「台湾の声」の読者には広く知られていることだと思われるの
で、それらの紹介は最小限に留めることにし、今回は私が初め
て蘭嶼に渡り一泊二日した際の印象を時系列順に紹介するこ
とにする。

<トビウオ>
台湾に住み始めてから十一年目にして初めて蘭嶼に渡った。昨
年八月のことだ。それまで何度もそうしたいと願ってはいたが踏
ん切りが付かなかった。これまで台湾山中の古道ばかりを紹介
してきたように私の関心は専ら山であり、海では無かったという
のが言い訳である。

その日は、タロコ渓谷奥深くに残る日軍墓葬群(「合歓山越嶺古
道」で紹介したタロコ戦役時の佐久間総督騎下の戦死者墳墓、
同投稿末尾註4を参照)の探索を企図し花蓮方面へ向かう準備
をしている最中、突然、蘭嶼に行こう!と閃いた。台湾南部の天
気予報を確認すると、当分晴天が続きそうである。直ぐに、旅行
社に当ると翌朝のフェリーの席に空きがあった。蘭嶼に渡るには、
フェリーと飛行機の二つの方法があるが、前者は台風の関係で
通常は清明節(墓参りを行う。凡そ新暦4月5日)から仲秋節(十
五夜、旧暦8月15日)までの間だけ運航されている。本土側発着
港は後壁湖(屏東県恒春鎮)と富岡(台東市)の二魚港。どちら
からも蘭嶼まで三時間程度掛かる。後者は徳安航空が日に往復
6便を台東空港との間で運航させている。私が断然墾丁国家公
園の南湾西岸に位置する後壁湖漁港からのフェリーを選んだ理
由は二つ、台湾本島最南端沖を通過し、且つ、本島を海上、つま
り海抜ゼロ・メートルから望むこと。それと、トビウオの飛翔を見る
こと。

私は、所謂南洋にはツアー等これまで全く縁が無いので、そこに
広がる空と海の色は全く想像の世界である。フェリーが出航して
暫くして気付いたのは海の色が急速に濃くなること。和色で表現
すると、空は紺碧(こんぺき)で青が主体だが、海の色は簡単に
紺色(こんいろ)、紺青(こんじょう)を通り越し、最後は黒一歩手
前の鉄紺(てつこん)まで変化する。何時かは高雄−基隆間を運
行するフェリーに乗り、嘗てのオランダ人、スペイン人の船乗り達
と同じように新高山(現玉山)を台湾海峡から望んでみたいという
ささやかな夢がある。というのは、海上から見る新高山は、地上
から眺めるのと異なり、海上から競り上がるようにして相当な高
度感を持ち天空に浮かぶ感じがあると何処かで読んだことがあ
るからだ。新高山は無論見えないだろうが、せめて中央山脈南
部、例えば関山とか北大武山が普段とは全く異なるイメージで見
えてくることを期待したが、残念ながら当日は天気は良くても本
土側は雲が多く確認出来ず。

フェリーに同乗している人々が口々にトビウオが見えたと言い出
し始めた。私には一向に見えない。随分後になって私には何故
見えなかったのか?合点が言った。私はトビウオに対し固定した
イメージを持っており、そのイメージに合致したものを懸命に海上
に探し求めていたからだ。全長30〜40センチは食卓に乗るサン
マと同じ程度だから目の前にある限りは相当大きい。ところがこ
の程度の大きさは大海原では点でしかないことがまず大きな誤
解。トビウオはそう呼ばれるぐらいだから、文字通り飛ぶわけだ
が、私の中の飛ぶとはイルカの跳躍、つまり、飛ぶ、或いは翔ぶ
では無く、跳ぶをイメージしていた。ジャンプしては海に暫く潜り
又ジャンプを繰り返す。。。初めて目撃出来た時は、予め強固に
形成されたイメージと余りにも掛け離れており拍子抜けした。そ
う、文字通り、飛んでいる、小鳥のように―すぐに想起したのは、
嘗てアメリカに住んでいた時分によく庭先で見掛けたハチドリ(ハ
ミングバード:最も個体の小さな鳥類グループ)であった(註3)。

<ヤギ>
フェリーが蘭嶼の玄関口、開元港に近着き、鮮やかな緑の滑ら
かな山肌が目を射るようになると、まず私の頭の中で響き始めた
のは「バリ・ハイ」、1949年初演のブロードウェイ・ミュージカル
「南太平洋」の中のナンバー、尤も私が記憶しているイメージとサ
ウンドはその後1958年に映画化(註4)されたものであるが。そ
れらのイメージは同時に私の南洋でもある。ああ、とうとう南洋の
島に来た!

台湾本土の人気観光地を巡る足はとうに環境に優しい自転車に
取って代わられた。無論、台湾大手自転車企業の成功もそれを
後押ししている。台湾の島嶼を巡る観光客の足はまだまだオー
トバイ(日本で云う原付に加え、更に排気量が高いものが多い)
が主流。但し、免許証を提示する必要は無い。殆ど日陰の無い
周囲40キロの島を二日足らずで全部廻り切り、且つ興味のある
場所を複数回探訪し直すには、自転車では体力が持たない。

開元港に着いてまず驚かされたのが、炎天下、テトラポットの上
で思い思いのポーズで佇むヤギ。ヤギは野生ではなくすべて飼
い主が明確になっているそうだ。昔から大事にされてきて、重要
な祭事に供する以外には屠殺しないとのこと。この後、全島で自
動車道を闊歩するヤギを見ることになる。開元港で遭遇したヤギ
は暑さをものともせぬ風情であったが、別の場所で遇った一団
は、橋の欄干の袂、僅かに日陰になった場所を求め、ずらり一
列、腹ばいになって休んでいた。

<先達>
蘭嶼郷公所(役場)公式サイトに曰く、1895年(明治28年)、下
関条約後台湾領有を開始した台湾総督府は、蘭嶼を台東庁下
に置き、人類学研究区域に指定、外来者の開発を禁じた為に日
本時代を通じタオ族の伝統文化は保護されることになった。日
本では文化人類学等の学問はその端緒に就いたばかりの時期
であることを勘案すると、当時のこの日本政府の政策は優れて
革新的だ。1933年(昭和8年)に出版された『東台灣展望』(註5)
の中で著者毛利之俊が「商店も旅館も無い」と不便さを託つ(?)
{かこつ}記述がある。その間、台湾研究草創期の泰斗が次々
とフィールドワークに赴く。これまで私が「台湾の声」でも紹介し
たことのある研究者を列挙すると、以下の通りである。年号は蘭
嶼への初渡航・踏査である:

鳥居龍蔵(とりい・りゅうぞう)、1897年、明治30年
伊能嘉矩(いのう・かのり)、1897年、明治30年、但し数時間のみ寄港、鳥居と面会
森丑之助(もり・うしのすけ)、1901年、明治34年
浅井恵倫(あさい・えりん)、1923年、大正12年
鹿野忠雄(かのう・ただお)、1927年、昭和2年

これらの錚々たる先達が嘗てこの島を訪れたことがあるというの
も私が何時かは蘭嶼に渡ってみたいと想い続けた動機の一つ
である。

<タタラ>
島内六村の日本時代と現在地名の比較は以下の通りである。
蘭嶼の玄関口である開元港(西海岸)を起点にして、南、東、北
(地図上では半時計周り)の順である。環島公路と通称される
屏東県郷道80号線が周廻道路であり、すべての集落はこの周
廻道路上に点在している。又、紅頭村と野銀村を郷道81号線が
山越で80号線と繋がっている。基本的にはこれが蘭嶼の全自
動車道「網」で、例外は80号線から分岐し島の最北端にある灯
台まで繋がる自動車道のみである。

ヤユウ、椰油―開元港、蘭嶼郷公所
イラタイ、魚人―蘭嶼飛行場
イマウルッル、紅頭―日本時代に最初に駐在所、蕃童教育所
 (紅頭嶼教育所、現在の蘭嶼国民小学校=既に廃校、東側に
 移転)が置かれる。大型商業宿泊施設あり。
イワギヌ、野銀―タオ族の伝統家屋群
イラヌリミク、東清―島内人口最大の村落
イララライ、朗島

東清村では、観光用のタタラに載った。六つの村落の中でこの
村が最も多く観光用の伝統漁船を擁しているように見えた。恐
らく村落前に開けた海岸が一番広いからだろう。白をベースに
赤と黒で彩色されたこの夙に有名なタオ族の竜骨を持つ寄せ
板造りの舟は、3メートル程度の2〜3人乗りをタタラと称し、
7メートル程度の10人乗りをチヌリクランと称している。「タタラ」
の音(おん)を聞いた時、私は或る偶然に小躍りする。というの
は、私は大学時代、ボート部に属しており、タタラ川でタタラと名
の付いたボートを漕いでいたからだ。博多湾(福岡市)に流れ込
む多々良川のことである。タタラは現代ボート競技で云えばダブ
ル・スカルぐらいに相当することになろうか。チヌリクランは差し
詰めエイトということになろう。

さて、同村で、軒先に下がった魚の干物を撮影してよいかどう
か?を傍に居た或るご老人に尋ねた所、暗にお金を払うよう促
された。幾ら払えばよいのか?と聞くと500元(現在のレートで
約1,400日本円)という法外と思える値段を言われたので愕然
とした。近くのお店の中年のご婦人に、ここでは何処でもそうな
のか?と聞くと、皆が皆そうではないが、写真を撮る時は一応
聞いた方がよいということだった。野銀村の台風対策を意識し
た半地下の伝統家屋は、今でも現地の方が起居しているので、
外来者にとっては格好の被写体なのだが、ここで撮影していた
ら大声で怒鳴られた。撮影を止めろというメッセージだ。では、
どのようにしたら怒鳴られないのか?現地の方に案内を頼みお
金を払えばいいことに程無くして気付いた。

蘭嶼を含む台湾が日本の版図に組み込まれて以来、タオ族は
良くも悪くも好奇の対象として外来人に晒され続けてきた帰結
だろうと理解した。特に、戦後間も無く一般の観光客にも門戸
が開かれて以来、島内の動植物、珊瑚の乱獲が進行し自然生
態系が大きく破壊されると同時に、タオ族の伝統文化も大きく
変遷、大部分は消失していくというお決まりのコースを辿る。し
かも観光産業資本は外来の所謂「漢人」(通常原住民が原住
民以外の台湾人を指す呼称)に完全に牛耳られている。尚、蘭
嶼と呼ばれるようになったのは戦後、1947年からで、本島特産
の胡蝶蘭に因んでいる(註6)。

何を期待して蘭嶼を訪ねるにせよ、「台湾の声」の読者に是非
立ち寄って欲しい場所は、自動車道の最高点にある測候所(正
式には交通部中央気象局蘭嶼気象站)である。ここは前述のよ
うに紅頭村と野銀村を結び、蘭嶼を南北に横断する道路の最高
点に位置する。島を囲む太平洋となだらかなスロープを繰り返
す山々の緑の絨毯の取り合わせは絶景である。又、ここを吹き
抜ける風も一品である。景観、水等の百選は今や何処でもポ
ピュラーであるが、風の百選は聞いたことがない。台湾の風百
選が募集されれば私は蘭嶼測候所を推すことにしている。この
測候所は1940年(昭和15年)に開設、私が二日間の滞在で確
認した唯一の日本時代の遺構である。構内には、大東亜戦争
時の米軍戦闘機に依る弾痕が残る建造物がある。 (終り)

(註1)蘭嶼の全人口は4,644人(2011年9月現在、蘭嶼郷戸政
事務所公開の最新人口動態に依る)。この内、タオ族は3,956人
(2011年4月現在、行政院原住民族委員会に依る)。

(註2)台東県の公式観光サイトの日本語ページ(
http://tour.taitung.gov.tw/jp/index.aspx )の「蘭嶼」の紹介に
も同貯蔵所の判り易い案内が出ている。

(註3)ハチドリは南北アメリカのみに棲息。日本でハチドリの飛翔
を想像する場合は、夏の夕方、花の蜜を求めて飛び回るスズメガ
類を思い浮かべればよい。

(註4)ハワイ諸島最北端のカウアイ島がロケ地。

(註5)毛利之俊原著の復刻中文版。原民文化事業有限公司か
ら2003年4月初版。

(註6)戦後間も無く開催された国際花卉(かき)展で蘭嶼産の胡
蝶蘭がグランプリを獲得したのが切っ掛けである。尚、胡蝶蘭の
乱獲が進み絶滅寸前まで至ったのは何も戦後だけのことではな
さそうだ。『東台灣展望』に依ると、日本統治時代も原住民は胡
蝶蘭の採集・外地人への販売を許可されていたようで、1931年
(昭和6年)になりやっと全面採集・販売禁止令が台東庁から出さ
れている。

西豊穣 ブログ「台湾古道~台湾の原風景を求めて」
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