私にとってその逢うべき人、それが李登輝閣下でした。2003年、第1回産経新聞「李登輝学校」に参加。産経新聞の社長、専務も参加され、案内役は河崎真澄・産経新聞台北支局長(現・上海支局長)でした。
「日本人精神・武士道は今現在世界で通用する最高の倫理観である」との講話に大きなショックを受けたのが、その後の李登輝詣での始まりでした。その教えに励まされ、学園改革の教育理念を、神道・仏教・儒教が混合した武士道・日本人精神に基づく「立派な日本人育成」と自信を持って言えるようになりました。正に「一瞬早過ぎず」「一瞬遅すぎない時」でした。お陰さまで本学園はウナギ登りの成長を遂げております。
実は、初めて閣下にお目にかかる前の年、2002年に産経新聞に掲載された、慶応大学の三田祭で講演をするはずであった原稿を読み、八田與一(台湾の南部の山岳地帯に「烏山頭ダム」を、大正から昭和にかけて10年の年月を費やしながら完成させ、旱魃・洪水・塩害に疫病が蔓延する不毛の大地・嘉南平野を穀倉地帯に変え、台湾人から神様と尊敬されている日本人技術者)の存在を知ることになり、是非直にお目にかかりたいと思っていました。その折、持参した閣下の著書『「武士道」解題』に署名していただき、私の座右の書としています。(慶応大学三田祭での講演は外務省がビザを発給せず、入国を拒否され幻の講演となりました。)
その後、筆者が理事長を勤める岡山学芸館高校・清秀中学校の生徒約40名が、毎年台湾を訪問し、日本統治時代の日本人の事績に触れ、略奪・収奪を目的とした西欧の植民地政策とは根本的に異なった植民政策・日本人と同レベルの生活が出来ることを目標にした政策を実施し、台湾の近代化の基礎を造ったことを学んでいます。その台湾研修の最大の目的は、李登輝閣下から直接お話を聞くことでした。
閣下から台湾近代化に日本が果たした業績を聞き、また、「日本人精神・武士道は今現在、世界で通用する最高の倫理観である」とのお話に、生徒の顔は生きいきと甦り、日本に対する誇りを取り戻す貴重な機会となっています。
9月18日から4日間の日程で、岡山李登輝友の会・藤原一雅会長夫妻・私ども夫婦など7名が台北を訪問。19日午後3時から4時半まで、台北郊外の閑静な住宅街にある李登輝閣下の御自宅でお話を伺いました。
閣下は、台湾の現状に対して真の近代国家への道筋として3つの希望を話されました。 1)司法改革、2)教育改革、3)精神の改革です。三権分立に関して、司法の真の独立が望まれる、教育は精神改革でもありましょうが、台湾独立への道を確立せねばならい、さらに、台湾と日本は「運命共同体」である、という信念を披歴されました。
あわせて、「5つの心」を教育・精神の改革に対し提唱されました。1)「はい」という素直な心、2)「すみません」という反省の心、3)「私がします」という奉仕の心、4)「おかげさま」という謙虚の心、5)「ありがとう」という感謝の心、でした。これは日本の伝統的な教育・精神に他なりません。私共の学園の教育方針でもあります。
次に以下のようなお話を頂戴しました。
1998年の台湾大地震では甚大な被害を受けたが、台中の日本人学校も崩壊し、早期の再建が望まれ、土地を提供し再建に尽力した。完成の式典に出席した時のことです。生徒代表が「日本人は台湾人を搾取していた」と教えられていたので、そのようなことを話した。総統は「それは嘘です」「日本統治はそれまで台湾を支配したどの外国よりも優れ、素晴らしいものであった」と本当の事を話したら生徒は大喜びし、「明日から台中の町を大きな顔で歩きます」と。あわせて、総統夫人が日本の「こけし」を収集する趣味を持っていたので、日本人学校に「こけし」を60個プレゼントした、というお話でした。
これには学校教育に携わる者として、恥ずかしい思いと、日本の歴史教育を一日も早く「自虐史観」から転換せねば子供たちが可哀そうである、との思いに駆られました。
また、「こけし」を総統から寄贈していただいた、それは「逆」だろう、日本人が日本の伝統的な「工芸品」である「こけし」を台湾の方々にプレゼントするのなら「分かる」がと、これも戦後の日本の伝統を貶める教育のなせる業(わざ)と強く思った次第です。
「明日から台中の町を大きな顔をして、胸を張って歩けます」という台中日本人学校の生徒たちの感想は、戦後の「戦前の日本を悪者にする歴史教育」の誤りを示唆しています。現在の日本の歴史教育が転換すべき方向を示していると言えましょう。
最後に、閣下の日台の連携強化、日本はアジアにおいてリーダーシップをもっと発揮せよ、大陸中国共産党へ遠慮するな、というお話は、「蔡英文」現総統への不満・注文でもありました。
自宅の玄関までお迎え、見送り下さった李登輝閣下、並びにお世話下さった閣下の秘書早川友久氏に一同感謝の意を抱きながら訪問を終えました。
◇ ◇ ◇
森靖喜(もり・やすき)昭和16年(1941年)、岡山市生まれ。明治大学大学院政治学専攻修了。同43年(1968年)、私立金山学園高等学校(現、岡山学芸館高等学校)に教諭として勤務。同61年(1986年)、同校校長、平成元年(1989年)、学校法人森教育学園理事長を兼務。同12年(2000年)、岡山市教育委員長。同18年(2006年)、岡山県私学経営者協議会会長。同22年(2010年)から岡山県私学協会会長。同23年(2011年)7月より『産経新聞』岡山版に毎月1回「現代(いま)を問う」と題して寄稿。同26年(2014年)、教育再生をすすめる全国連絡協議会世話人、岡山正論友の会初代会長に就任。「反自虐史観」「保守的教育観」に基づく私立学校教育の可能性を奉じて、日本の教育改革に邁進。日本李登輝友の会理事、日本李登輝友の会岡山県支部顧問。主な著書に『奇跡の学校─なぜ滑り止め校が進学校に変わったのか』など。平成29年(2017年)度の「春の叙勲」で瑞宝小綬章を受章。