台湾に来ている。次作のノンフィクションの取材のためである。明日(21日)からは南部の高
雄、明後日からは、恒春より猫鼻頭(マオビトウ)に至る台湾最南端各地での取材となる。
太平洋戦争下、台湾とフィリピンの間に横たわる「バシー海峡」で亡くなった兵士たちにまつわ
るノンフィクションだ。しかし、今回も“時間の壁”にぶち当たって取材が苦戦を余儀なくされて
いる。なんとか局面を打開したいものである。
昨夜は2年3か月ぶりに訪台した私を、メディアの台北支局長や在台ジャーナリスト、領事館員、
あるいは自治体の駐在員たちが集まって歓迎の宴会を開いてくれた。
そこでは、次作のノンフィクションの話はもちろん、3月18日から4月10日まで続いた台湾学生に
よる立法院占拠の話題に至るまで、さまざまな問題が俎上に上がった。
今年3月、日本の国会にあたる立法院を占拠した学生運動は、今後の政局に影響を及ぼす大きな
ものとなった。台北市・新北市・台中市・台南市・高雄市の市長と議会議員を改選する統一地方選
が今年11月におこなわれるだけに、台北駐在の日本人たちもあの学生運動の選挙への影響がどの程
度のものとなるのか、関心が非常に高いようだ。
そんな中で、話題が映画『KANO』に及んだ。今年の2月から台湾で上映されている人気映画であ
る。昭和六年の夏の甲子園で見事準優勝を遂げた嘉義農林野球部の実話を映画化したものだ。
日本人、台湾人、原住民の三つの民族で構成される嘉義農林は、常勝ならぬ“常敗”のチーム
だったが、松山商業、そして早稲田大学という野球の名門で活躍した近藤兵太郎氏を監督に迎え
て、めきめき腕を上げていく。
さまざまな出来事を乗り越えて甲子園の決勝まで駒を進めた嘉義農林は、決勝でこの年から3連
覇を果たすことになる強豪・中京商業と激突。連投で指を痛めた嘉義農林の呉投手が血染めのボー
ルを投げ続けるシーンはこの映画のハイライトと言える。
映画には、烏山頭ダムを建設し、嘉南一帯を有数の穀倉地帯に生まれ変わらせた技師・八田與一
も登場する。その豊かな水がそれぞれの水路に流れ込む場面と全島制覇を成し遂げた嘉義農林を同
時に描いた部分が斬新であり、感動的だった。
私は、ここまで日本の統治時代を前向きに捉えた作品は見たことがない。戦前の日本と日本人の
凄さが、そのまま描かれた作品だったと思う。
私は、拙著『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡―』(角川文庫)を取材し
ていた5、6年前、「門田さんは嘉義農林のことを書くつもりはりませんか?」と台湾で持ちかけら
れたことがある。私が拙著『ハンカチ王子と老エース』(のちに『甲子園の奇跡』と改題。講談社
文庫)で昭和六年の甲子園大会のことをノンフィクション作品として発表していたからである。
その時、すでに嘉義農林の当時の選手たちが若くして戦死したり、あるいは老齢で病死してお
り、ノンフィクション作品として描くことが難しいことを理由にお断りさせてもらった経緯があ
る。それだけに、映画『KANO』が、どのように当時を描いたのか、そこに関心があった。
折しも、中国が南シナ海一帯で周辺国との摩擦を繰り返している。そんな複雑な国際情勢の中
で、制作者の魏徳聖氏はこの作品で何を訴えたかっただろうか、と思う。魏徳聖氏は、『海角七
号』や『セデック・バレ』という話題作を次々発表している台湾ナンバーワンの映画監督である。
少なくとも、「日本なくして台湾なし、台湾なくして日本なし」ということに改めて気づかせて
くれる貴重な映画であったことは間違いない。私は今日、取材の合間に映画『KANO』を観にいき、
そのことを強く感じた。映画の後半では、映画館が観客のすすり泣きで覆われたのが印象的だった。
覇権主義と領土的野心を隠すことさえしなくなった中国に対抗する唯一の方法は、日本と台湾が
強固に結びつくことである。そのために、この映画は多大な影響をもたらすに違いない。
私は、これを日本でも上映して欲しいと思った。多くの日本人が、ひたむきな日本と台湾の戦前
の人々の姿に心を打たれるだろう。日本と台湾の“絆”が深まれば、中国も簡単には手が出せな
い。その意味でも、日本での一刻も早い上映を待ちたい。そんなことを考えながら、私は今日の午
後、台北の映画館にいた。