*読みやすさを考慮し、小見出しは本誌編集部で付したことをお断りします。
◆台湾独立運動の史明氏と台湾基督長老教会牧師の高俊明氏の死去
台湾独立運動のゴッドファーザーとの異名を持つ史明氏が死去しました。100歳でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。このメルマガの読者の皆さんは、彼の経歴はよくご存知かと思いますので、ここでは報道の引用で簡単に済ませたいと思います。
<史氏は日本統治時代の1918(大正7)年11月9日生まれ。本名は施朝暉。早稲田大学に留学中、社会主義に傾倒した。太平洋戦争開戦後に中国に渡り、上海や北京などで抗日運動に参加するも、共産党に幻滅して決別。戦後台湾に戻ると、今度は国民党による一党独裁に反発し、50年に「台湾独立革命武装隊」を結成。蒋介石暗殺を企てたが発覚して指名手配され、52年に日本に亡命した。東京で中華料理店を営むかたわら台湾独立運動を推進し、この時期に代表作「台湾人四百年史」(日本語)を完成させた。
史氏が台湾に戻ったのは李登輝政権下の93年。台湾独立を目指す複数の団体結成に関わり、理想実現のために奔走した。2016年の総統選では蔡総統を支持。蔡政権発足後は98歳の高齢で総統府資政(顧問)に就任した。愛称は「欧吉桑」(おじさん)。>
奇しくも、今年2月に台湾基督長老教会牧師の高俊明さんが死去したばかりでした。高さんは慈善活動に生涯を捧げ、長きにわたって台湾の民主化運動に身を投じてきた人物です。以下報道を引用します。
<教会総会総幹事在任中の77年に発表した「台湾基督長老教会人権宣言」では台湾を新しく独立した国家にすると主張し、世間を驚かせた。国民党政権が反体制デモを弾圧した「美麗島事件」翌年の80年には、デモ指導者の逃亡を手助けしたとして逮捕、投獄された。>
台湾の自治、主権、人権を支えてきた人々が次々と亡くなっていきます。台湾独立運動家の一人として、彼らと交流があった私にとっては、寂しい限りです。ただ、同時に時代の変化による当然の流れだという気持ちもあります。
私は、独立運動を支える若者を育てていこうと、これまでさんざん努力してきました。しかし、史明や私たちの世代と若者たちとは独立に対する意識が全く違いました。彼らは我々のように独立を渇望してはいなかったのです。それも当然です。彼らは、李登輝が民主化を果たした後に生まれた世代なのですから。若者世代にとって、自由や民主は享受して当然のものになっていたのです。李登輝の民主化は、それほどまでに台湾を変えてくれたのです。
◆池袋の「新珍味」というサロン
ここ数年、史明が東京の池袋で経営している小さな中華料理店が台湾人観光客の間で「聖地巡礼」として話題になっていました。
彼は、日本に亡命した後、早稲田大学を卒業して池袋で「新珍味」という名前の中華料理店を営んでいました。1993年に帰国を果たすまで、彼は「新珍味」で約40年間にわたって台湾独立運動に積極的に関わってきました。
彼の交友関係は広く、かつての「新珍味」は、自らを含めた革命家のほかに学者、研究者、芸術家、文学者、編集者などの文化人が集うサロンのようでした。さらに池袋で勢力を張るヤクザから、池袋地域を担当する日本の公安幹部までもが来店していたそうです。
あらゆる立場の人々を引き寄せるだけの情報や人物が集まっていたからでしょうが、それもひとえに史明氏の人柄でしょう。刑務所から出てきた身寄りのない若者を店で雇ったり、誰とでも同じように接して、豪快に飲み、愉快に語る史明氏に誰もが魅了されたのかもしれません。「新珍味」についてもっと知りたい方は、以下の記事をご覧ください。よくまとまっています。
・田中淳「池袋西口の中華『新珍味』はなぜ台湾独立運動の聖地となったか」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64326
2013年、台湾で「ひまわり学生運動」が起こり、学生たちが立法院に立てこもった際、史明氏は何度も立法院にかけつけ彼らを鼓舞し、叱咤激励しました。その後、蔡英文政権が誕生すると、史明は98歳で「総統府資政(総統最高顧問)」として蔡英文の相談役に就任しました。
「ひまわり学生運動」の中心メンバーから生まれた政党「時代力量」との交流はその後も続きました。「時代力量」の主要メンバーで(8月に離党)、ヘビーメタルバンドのボーカルでもある立法委員の林昶佐は、「友人」の史明はコンサートで杖をついて二時間立ったまま応援してくれたとの秘話を披露したこともありました。また、史明の100歳の誕生日には、1歳の娘と史明が握手している写真をフェイスブックに上げて、誕生日を祝いました。
台湾では民主の伝説と呼ばれたり、総統の相談役となったり、かつて「新珍味」で執筆した著書『台湾人四百年史』が今でも評価されたりしても、一切奢らず、誰とでも同じように接する姿勢。それが史明です。
◆台湾を正常な『国家』にしようとした史明
史明が目指したのは、台湾を正常な『国家』にすることでした。『中華民国』という名前や『中華民国憲法』を維持したままでは本当の独立ではない。国民党時代にもたらされたものを一切捨てて、台湾の独自のものを創り上げる。それが史明の目標でした。今の台湾は民主化が進んではいますが、史明のいう本当の独立は果たしていません。それどころか、中国が本気で台湾を潰しにかかってきており、台湾と国交を維持する国は15か国に減ってしまいました。
史明の「新珍味」は池袋にまだ健在で、報道によれば二号店も出店予定だとか。ここを訪れる日台の若者たちは、もう一度民主主義や政治について、史明を思いだしながら熟考して欲しいと思います。
私は戦中世代で、中学一年生の時に中華人民共和国が正式に樹立されました。史明氏とは、60年代からの長い付き合いです。彼のように100歳まで生きるのは例外で、多くの戦前生まれの諸先輩方は、次々と天に召されていきました。
台湾に戻ってからも彼とは数度会いましたが、その時はすでに車椅子でした。台湾基督長老教会牧師の高俊明とも、もちろん交友はありました。訃報に触れたときはとてもショックでした。
◆「ひまわり運動世代」が担う台湾
終戦後、台湾社会の主役は「多桑(トーサン)世代」と言われる日本語世代でした。その後、90年代の主役は「哈日族」とか「新人類」とか言われた次の世代へと移りました。そして今の台湾の主役は、「ひまわり運動世代」でしょう。時代は移り変わり、人は世代交代を繰り返します。
そして、これからの世界は、人とAI、ロボット、ゲノムなどが共存する世界になるでしょう。つまり「超世代(N次元)」の世界となり、我々の理解と予想をはるかに超える時代となるでしょう。
中国はすでに計数権利の社会になっています。人類の進化は、すでに新しい段階に入っており、これからは予想もされない危機に人類は直面するかもしれません。
2020年の台湾国政選挙が米中貿易戦争の延長戦だというならば、私は蔡英文総統の親米路線と現状維持を支持します。人類の未来にとって大切な一戦となるでしょう。