◆五指山軍人墓地に眠る李登輝元総統の墓参
本会は去る11月3日から7日にかけ、台湾において「第35回・李登輝学校研修団」(団長:辻井正房・副会長、副団長:嶋田敦子・理事)を実施しました。
初日の3日と4日の台北市内は気温こそ24度前後と温かかったのですが、あいにくの雨模様でした。
5日と6日の台南・高雄は一転、30度を超える晴天。
最終日の7日の台北も、青空が広がる晴天に恵まれ、心地よい涼しい風が吹き抜ける一日でした。
初日の11月3日は、まず五指山軍人墓地に眠る李登輝元総統のお墓をお参りしました。
コロナが収まった直後の2023年12月の「役員訪台団」から5度目の墓参です。
宿泊先の台北凱撒大飯店から出かけるときは雨が降っているかいないかくらいの天候でしたが、新北市市汐留区にある五指山に近づくごとに雨足は強まり、霧も深くなってゆき、到着したときには弱いながらも雨。
山の上を切り拓いたところに墓地がありますので、風もあり、霧も濃く、視界があまり利かないなかを墓前に進み、嶋田副団長が献花し、研修団一行も拝礼。
今回は初めて参拝する参加者も多く、雨の中にあっても落ち着いて厳かな雰囲気でした。
一行は台北市内に戻るとそのまま李登輝基金会主催の歓迎夕食会に臨み、李登輝基金会の鄭睦群・執行長はじめスタッフの方々による温かいおもてなしを受けました。
◆片山大使や李世暉教授などの充実した講義
2日目の11月4日は、立法院のすぐそばにある濟南教会で丸一日、4人の先生方からご講義いただきました。
初めに李登輝基金会の李安[女尼]理事長に開会のご挨拶していただき、通訳は李登輝元総統の秘書をつとめた早川友久氏。
第一講は日本台湾交流協会台北事務所の片山和之・代表(駐台湾日本大使に相当)による「日台交流の問題点」と題した講義。
片山代表には李登輝学校研修団で3回続けての講義です。
片山大使はまず1)自由、民主、法の支配など日本と価値観を共有する、2)台湾はインド太平洋の要衝、3)半導体などハイテク製品の世界的生産拠点の3点から台湾の重要性について述べ、その後、10項目にわたって日台交流の問題点について解説。
日台関係は最良ともいえる交流が続いていますが、消極的な観点を強調することや、日本台湾交流協会台北事務所代表としてではなく個人的見解と断った上で「日台交流の問題点」について話されました。
例えば日台間の往来が台湾から日本へは年間604万人に対し、日本から台湾へは130万人と「交流の非対称性」がもたらす通訳者や土産店の減少という問題が出ていると指摘。
また、八田與一は日本でも知られるようになりましたが、蓬莱米を作った磯永吉や末永仁(すえなが・めぐむ)、感慨用水路の白冷[土川]を造った磯田謙雄(いそだ・のりお)、地下ダムを造った鳥居信平(とりい・のぶへい)など、日本統治時代にインフラ整備を手掛け、台湾の人々から尊敬されている日本人を日本からの訪台者にはほとんど知られていないことを挙げ、もっと日本人は台湾近代史を学ぶべきなどと指摘。
さらに、台湾有事で日本はなにができるのか、台湾有事が起こる前に、中国に冒険的選択をさせないことがもっとも重要で、日本は台湾有事が存立危機事態に当たるのか当たらないのかさえ明確ではないとも指摘し、問題点の一つとして挙げました。
折しも、高市早苗首相は、片山大使の講義から3日後の11月7日の衆院予算委員会で、台湾有事で中国の軍艦による武力行使があった場合、集団的自衛権の行使が可能となる「存立危機事態」にあたる可能性があるとの認識を示しました。
政府として初めて存立危機事態と台湾有事の関連について明らかにしました。
おそらく、片山大使の指摘は代表としてではなく、個人的な見解だったと思われますが、台湾という最前線にいる片山大使の指摘が的確であったことを示しています。
第二講は、交通大学で教鞭を執り、台湾安保協会副理事長などをつとめる李明峻氏による「頼清徳政権と立法院」と題した講義。
李明峻先生にはこれまで李登輝学校研修団で10回以上ご講義いただいており、特に台湾の内政問題の分析には定評がありますので、いまの少数与党というねじれ現象がなにをもたらしているかについてお話しいただきまいた。
立法院で中国国民党と台湾民衆党が結託する現状で、なぜ国民党議員の罷免を対象とした市民運動の大罷免(リコール)運動が成功しなかったのかについて、最大の敗因は立法院が投票日の1ヵ月前に1人1万元(約1万円)を給付するという法律を制定し、ばらまき政策で国民党が庶民の歓心を買ったからだと指摘。
また、国民党が市長や県長(知事に相当)などの地方選挙について強い理由として、56.3%に及ぶ女性の市長や県知事の背後には多くの場合、日本で言う反社会的組織(マフィア)がついていていわゆる「黒金政治」が罷り通っているからだと指摘し、また廟に作られている裏社会の存在についても、宗教団体は中国との窓口になっていると指摘されました。
さらに、国民党は党首が鄭麗君という女性党首が選ばれ、台湾政治が大きく変わるだろうとも指摘し、来年11月末の地方選挙では与党の民進党は嘉義県が安定しているくらいで、屏東県、台南市、高雄市も盤石とは言えないと予想。
一方、中国の習近平政権も盤石ではなくなりつつあり、4期目を目指すとしたら「台湾統一」くらいしか理由が立たず、台湾有事は2025年から2029年くらいまでがもっとも可能性が高いだろうとも分析されました。
第三講は、9月に安倍晋三研究センターを設立した李世暉・政治大学教授に「安倍晋三研究センターの設立と台湾」と題してお話しいただいた。
李世暉先生も今回で3回目の講義です。
安倍晋三研究センターは、政治大学の同僚教授たちと「台湾から見た安倍政権」という本を出版しようと話していたことや、講演先の高校で知っている日本人についてアンケートを取ったらその中に安倍晋三を挙げた生徒がいたことなどを挙げ、センター設立に至る経緯から、今後の計画についてかなり詳しく話していただきました。
今後は、安倍晋三台日交流貢献賞を制定し、できれば頼清徳総統から賞を授与し、また来年は安倍晋三に関する本を日本から3冊出版。
さらに、松下政経塾を手本とした安倍政経塾を設立し、1期を30時間受講として年に2期まで開き、台北だけではなく南部センターも開設する予定だそうで、講義には日本の書道も取り入れるそうです。
来年7月には「安倍晋三と現代日本」というテーマでシンポジウムを開き、米国から東アジア担当大統領特別補佐官もつとめたジョージタウン大学教授のマイケル・グリーンなどを招いていると披露しました。
壮大な計画ですが、安倍元総理の「自由で開かれたインド太平洋」構想やNSC(国家安全保障会議)の設置は、李登輝元総統からの助言によることを考慮すれば、台湾に李登輝研究センターも設立したいと語り、李世暉教授の構想はますます広がっているようで、拝聴している参加者にもそのワクワク感が伝わってきて、楽しくも充実した時間を味わいました。
第四講は、万葉集などの研究で知られる静宜大学の頼衍宏・助教授により「台湾と短歌」と題した講義でした。
頼先生にはこれまで2回、李登輝学校研修団でご講義いただいており、今回は東京大学で博士号を取得した「日本語時代の台湾短歌」に近いご専門の講義です。
特に、台湾における日本統治時代に、明石元二郎総督の秘書官だった鎌田正威(かまた・まさたけ)らが惟神道による皇民化運動の形成を促した歴史を解明した自著『日治時代台湾における惟神之大道派の展開と皇民小説の虚実』を基に、今回は李登輝元総統が淡水中学校時代に詠まれた和歌や「皇民化」という言葉の初出はいつだったのかなどについて講義されました。
冒頭、李登四郎という名前で発表し、『続支那事変歌集』に載った「皇(おほきみ)のみたてと散りし将兵の御霊迎ふる駅の静けさ」は李登輝元総統が詠まれた和歌だったことを突き止めたことを話されました。
頼氏は李登輝元総統に確認する機会があったそうですが、李登輝元総統は覚えていないと答えられたそうです。
しかし、李登四郎という名前の由来を調べ、遂に李元総統が淡水中学校4年生のときに詠まれた和歌であることを突き止められたそうで、これには驚きました。
新発見です。
また、皇民化という言葉が台湾ではどのように形作られていったのかについてもかなり詳しく話され、とても90分の枠の中では収まり切れず、その後に開いた夕食会に頼氏をお招きしていましたので、夕食会が始まるまで参加者の質問が続きました。
◆AI李登輝と対話
3日目の11月4日は、国立台湾図書館で開催中のAI李登輝特別展を参観し、その後、台湾高鐵に乗って台南へ向かい、台湾では行政院政務顧問に日本人として初めて任命された野崎孝男氏や台南市日本人協会の方々と夕食会を開きました。
AI李登輝特別展(PROTOTYPE 民主先生2.0 數位李登輝特展)の李登輝元総統はどのように話すのだろうかとおおいに期待して参観しました。
新北市の国立台湾図書館の6階フロアにある会場はほとんど特別展が占めていて、目玉は何と言っても李登輝元総統と話をすることができることでした。
案内者によりAI李登輝コーナーについて説明を受け、辻井団長が「辻井です。
覚えておられますか?」と問いかけると、AI李登輝さんが「辻井さん、元気ですか」などと返答。
辻井団長は覚えていてくれたと涙を流さんばかりに感激していました。
日本李登輝友の会についても「日本李登輝友の会の皆様とは、台湾と日本の民主主義の発展のために長年交流を重ねて来ました」などと話し、一行も驚くやら感激するやらで、生成AIの進化ぶりに目を見張りました。
その後、台北市内に戻って昼食を摂っていると、偶然にも本会理事でもあるマルチリンガルで知られる李久惟氏に会い驚きましたが、翌日に訪問した飛虎将軍廟に李久惟氏の顔写真入りの新聞が展示してあり、不思議なめぐり合わせも偶然ではないような思いでした。
昼食後は台北駅から台湾高鐵に乗り、台南へ。
台南での夕食会には先述したように、行政院政務顧問に日本人として初めて任命された野崎孝男氏や台南市日本人協会の奥西克彦・理事長と福田雄介・理事をお招きし、やはり台湾で身を挺して頑張っている方々の生の声は重みが違うと感じつつお三方のお話をお聞きしました。
参加者の皆さんも同じような感想をもらしていました。
◆飛虎将軍廟や紅毛港保安堂を参観
4日目の11月6日は台南市内の孔子廟、台湾司法博物館、飛虎将軍廟を巡り、高雄では紅毛港保安堂に立ち寄りました。
台湾司法博物館を最初に訪問する計画でしたが、ホテルから台湾司法博物館まではバスでものの5分くらいで着いたものの、9時の開館まで20分ほどあったことから孔子廟を参観することにしました。
この孔子廟は「全臺首學」の扁額が掲げられていることから分かるように、台湾で初めて建てられた孔子廟です。
いささか熱い朝の光が降り注ぐ中、台南の人々が散策したりしていましたが、その中に車いすに乗った老人が日光浴をしており、参加者の一人が声を掛けたところきれいな日本語で答え、お年はなんと98歳とのこと。
98歳の日本語世代にお会いし、二言三言のお話でしたが参加者に強い印象を残したようです。
台湾司法博物館はかつて台湾人で初の検察官になった王育霖氏とその実弟で台湾語学者の王育徳氏の特別展を開いていたそうですが、今は常設展だけでした。
しかし、そのバロック建築の建物は今も光彩を放っていて、総統府、台湾博物館とともに台湾三大古典建築と言われる理由が分かるような気がしました。
飛虎将軍廟では、宿泊した日升大飯店を経営されている郭秋燕さんが飛虎将軍廟の管理委員を兼ねており、辻井団長とも昵懇の間柄でもあったことから廟を案内していただきました。
参加者全員で、祝詞だという「君が代」と「海ゆかば」をご祭神の杉浦茂峯少尉に届けとばかりに大声で歌い、お線香の代わりだというタバコを奉げました。
ちなみに、飛虎将軍廟や書物でも「杉浦茂峰」となっていますが、靖國神社のご祭神名簿では「峰で」はなく「杉浦茂『峯』」となっていることを注記します。
次に訪問したのは、高雄の紅毛港保安堂。
飛虎将軍廟から専用大型バスで1時間ほど走り、12時過ぎに着くと、主任委員(会長)の張吉雄氏や日本人顧問の木村利行氏、高木義氏などが待ち受けていて、大歓待いただきました。
張会長は、お祀りしている145名の戦歿者はすでに靖國神社にお祀りされているが、日本に栄誉ある帰還儀式を経て帰国させたいと話し、また日本版台湾旅行法の成立を期待しているなどと挨拶。
お昼の時間帯でしたので昼食をふるまっていただきましたが、その台南料理は実においしく舌鼓は鳴りっ放しでした。
昼食後は参加者と保安堂の皆さんと安倍晋三総理の銅像とともに記念撮影し、また、高市早苗総理が総理就任前の本年4月に訪問した折に除幕式を行った「安倍記念公園」を、張会長自ら11基の石碑について解説しながら案内いただきました。
公園には台湾では珍しいことに一面に芝が植えられていて、公園を設計して芝を植えた木村氏は「台湾では芝が伸びやすく苦労したが、この公園は台湾でもっとも広い芝生です」と説明。
保安堂を後にし、次に向かったのは、屏東県のバシー海峡を望む猫鼻頭に建てられている潮音寺の管理委員長をつとめる鐘佐榮さんにお会いするため、高雄市内で経営する土産物店の高雄藝品百貨公司を訪問。
台湾高鐵の乗車時間までいささか時間が空き、急遽決めた訪問でしたが、お世話になった台湾の旅行代理店の方と鐘さんが親しい間柄だったことから快く訪問を受けていただきました。
鐘佐榮さんは昨年11月、潮音寺にて戦歿者を慰霊するとともに、日本などから訪れたご遺族より託された物品や遺品などを管理・展示し、バシー海峡における惨劇を後世に伝えてきた功績により外務大臣表彰を授賞しています。
店内には外務大臣授賞式や、本年10月に保安堂を訪問した安倍昭恵夫人との記念写真も展示されており、鐘佐榮さんにそれらの展示をご説明いただきました。
その後、一行は予定の台湾高鐵に乗り込み、車中で台鉄弁当を食べながら台北へ。
◆参加者全員が無事に帰国の途に
5日目の11月7日の最終日は、午便に搭乗するため7時や9時にホテルを出る方もいましたので自由行動にしました。
それぞれ台北市内を散策したり買物をしたり、中には六士先生のお墓がある芝山巌を訪れる方など思い思いに出発便までの時間を過ごしました。
それにしても、最終日まで体調を崩す方も出ず、事故にあったりパスポートや財布などを紛失する方もなく、ともかく全員が無事に帰途に就けたのは何よりのことです。
すでに参加した方からは「とても充実した研修だった」「また参加します」といったうれしい感想を寄せていただいています。
いろいろ至らない点も多々あったと思いますが、疲れが一気に吹き飛ぶようです。
お世話になった李登輝基金会や講師の方々、訪問先の方々のお陰で充実した李登輝学校研修団となったことに深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。
眞多謝!
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※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。





