【書評】 宮崎正弘著『あの人の死にかた』 山本 徳造(白井健康元気村ブログ編集人)

宮崎正弘著『あの人の死にかた  死ぬことは生きることである』ビジネス社 (2025年8月25日刊) 定価:1,760円

宮崎氏は「私はまもなく傘寿(さんじゅ)を迎える。

論壇秘史的な逸話も多々あって書き残しておきたいという衝動と心情が執筆の動機になった」と執筆の動機をつづり、「人生いかに生きるべきかではなく、いかに死ぬか。

死ぬことが生きることである」という視点から「人生いかに死ぬべきか」が大事だと、下記の阿川弘之氏ら36人を取り上げている。

本会関係では、冒頭の阿川弘之氏(初代会長)、加瀬英明氏(副会長)、黄文雄(副会長)、そして李登輝元総統を取り上げられている。

阿川弘之は瞬間湯沸かし器?安部譲二のあんぽんたん人生 石原慎太郎の涙井尻千男、男の美学を体現 江藤淳は甦るのか 岡潔の宇宙観は無限桶谷秀昭の原点は日本浪漫派 開高健『輝ける闇』の奥加瀬英明とビートルズ片岡鉄哉はハンナ・アーレントの教え子 川内康範の”助っ人”人生黄文雄の台湾独立論 高坂正堯はタイガースファン小室直樹は霊感に溢れた”天才変人”。

サイデンステッカーのネクタイコレクション竹村健一の時間割 田中英道の美術史論は思想だ徳岡孝夫は名文の英語遣い中川一郎と青嵐会 長嶋茂雄の笑顔ニクソンのネクタイ 西尾幹二の白刃は納まる鞘がない 西部邁は自ら予告し自死 林房雄とトインビー福田恆存の頑固藤島泰輔は「最後の江戸っ子」 フジモリ大統領はラストサムライ黛敏郎のパリミッキー安川はインテリだった三島由紀夫は永遠である 村松剛の醒めた炎 森田必勝は快男児だった保田與重郎とヤマトタケル李登輝の書斎は日本書籍が大半だった若泉敬は和製キッシンジャー渡部昇一のプライベート図書館

料理から医学、軍事、外交まで幅広いテーマをこなすフリーライターにして白井健康元気村ブログ編集人の山本徳造氏が達意の文章で宮崎正弘氏を紹介しつつ、本書を勧めている。

下記にご紹介したい。


無気力な時代に「生きる意味」を教えてくれる一冊【白井健康元気村ブログ:2025年9月6日】https://blog.goo.ne.jp/46141105315genkigooid/e/8821d174e5091d27e669f1495f4d19c5

タイトルだけを見ると、いかにも地味で暗い。

きっと面白くも可笑しくもない「終活」の入門書なのか。

そう思われても仕方がないタイトルである。

が、書店を頻繁に利用する読書家なら、著者の名前を知ってニヤリとするに違いない。

あの博学で知られる宮崎正弘さんだからだ。

そんなわけで、思わず本を手に取ってパラパラとページをめくることになる。

チャイナ・ウォッチャーという肩書でも世界的に知られている宮崎さんだが、経済、国際政治、資源、考古学、日本史など、ありとあらゆる分野にも精通している。

宮崎正弘ファンなら「今度はどんなテーマで本を書くのか」と気になって仕方がない。

テーマの切口が他の評論家とは一味も二味も違う。

至る所に散見するユーモアが冴えわたる。

「死にかた」を論じているのに、いやあ、面白い。

じつは私、宮崎さんを学生時代から知っていた。

同じ学生運動の先輩だったからである。

大阪の大学を卒業した私は、宮崎さんの紹介で東京の出版社に就職した。

日本浪漫派を復興せんとつくられた(株)浪曼である。

そのとき身元保証人になってくれたのが、林房雄だった。

宮崎さんも後で企画室長として同社に合流する。

そして作家の藤島泰輔が月刊『浪曼』の編集長に就任した。

同誌編集部員である私の上司になったのである。

藤島は『浪曼』で編集長対談を連載することになった。

毎回の対談相手を誰にするかが悩みの種だったようだ。

ある日の編集会議で私が「邱永漢さんはどうですか?」と提案したところ、「あ、いいね」と藤島編集長が同意してすんなりと決まった。

その後、邱永漢は選挙に出馬するが、その選挙を切り盛りしたのは、宮崎さんである。

評論家の竹村健一は、テレビ・ラジオ、講演と多忙を極めた。

竹村がゴーストライターを何人か雇ったと書いている。

そう言えば、私も竹村に頼まれて一冊書いたことがあった。

とにかく、その人脈の広さと多彩さには驚かされるが、芸能界にまったく興味のないことを公言して憚らない宮崎さんである。

なんとビートルズを知らなかった。

ましてやジョン・レノンのことも。

そんな宮崎さんがオノ・ヨーコとアメリカで会うことになった。

評論家の加瀬英明の従姉妹だったからである。

パリ留学中の黛敏郎の安宿に、闇の両替屋に騙されて途方に暮れる三島由紀夫が転がり込む。

それがきっかけで三島は黛と長年の親交を結ぶことになり、三島の小説『金閣寺』が映画化されたとき、黛が音楽を担当した。

三島由紀夫が「楯の会」第一期生の森田必勝(宮崎さんの早稲田時代の同志)と市ヶ谷で自決した直後、悲しみを振り払いながら宮崎さんは追悼会の準備に取り掛かった。

「憂国忌」と命名したのも宮崎さんだ。

そうそう、政治学者の片岡鉄哉も私の印象に残っている。

シカゴ大学で博士号を取得した片岡が日本に戻って来たとき、宮崎さんに紹介されて行きつけの赤坂のスナックで飲んだことがあった。

アメリカ暮らしが長かったせいか、日本に馴染めないもどかしさを感じたものである。

この本には、ニクソン元大統領、台湾の李登輝元総統、ペルーのフジモリ元大統領といった海外の政治家も含む36人の物故者が登場する。

私がお目にかかったのは、そのうちの10人だろうか。

さて、この本を読んでいると、不思議な感覚に陥ってしまう。

まるで宮崎さんが霊界の人たちと会話しているように思えてならないからだ。

本の締めくくりに、宮崎さんは竹本忠雄(筑波大学名誉教授)の新著『奇譚』を紹介する。

竹本は「愛と死を教えない戦後教育」を憂いてこう記した。

「学校というところは、人生における一番大事なことを教えない。

それは愛と死である(中略)。

愛はともかく、死は試すことができない」

私も今年で76歳。

いつの間にそんな歳になったのか。

自分でも驚くばかりだ。

そうか、死は「試すことができない」か。

だから楽しみでもある。

この本を読んだ若者が、宮崎さんが親しく、しかも深く交流した人たちに興味を抱くかも知れない。

霊界に旅立った彼らは、後世のために大きな足跡を残した人たちである。

彼らの生き方、死に方から、「生きる意味」を理解し、堂々と「旅立つ」ことができるなら、こんな幸せなことはない。

あまりにも無気力な時代に生きる日本人に、この一冊が活を入れる一助になるだろう。

それが宮崎さんの本当の狙いなのかもしれない。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。