国際社会で「台湾」が急浮上した3つの理由  河崎 眞澄(産経新聞論説委員)

【産経新聞「河崎真澄の中台両岸特派員」:2021年5月6日】https://special.sankei.com/a/international/article/20210505/0001.html

 実に52年ぶりのことだった。4月16日に行われた菅義偉(すが・よしひで)首相とバイデン米大統領の日米首脳会談の共同声明に「台湾」が明確に盛り込まれたことだ。「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」と書かれ、中国からの脅威に立ち向かう意思を示した。

 日米共同声明に「台湾」が明記されたのは、1969年の佐藤栄作首相とニクソン大統領との会談以来。当時は、台湾の安全保障にも直結する米軍基地がある沖縄の「72年返還問題」を控えた事情があり、日米とも台湾の「中華民国」と国交があった。

 だが、日本は71年(*註)、米国は79年にそれぞれ中国と国交正常化し、断交した台湾をめぐっては曖昧な外交戦術をとってきた。それが半世紀を経て、なぜいま首脳会談で「台湾」が急浮上する事態になったのか。日米を突き動かした伏線は、2020年に起きた「3つの理由」にあっただろう。台湾の存在感が国際社会でかくも強まったのは、史上初めてだと言ってもいい。

*註:日本と中国が国交を正常化したのは1972年9月29日。同日、日本は台湾(中華民国)と国交を断絶。

◆香港情勢の悪化と台湾の民主主義

 その「3つの理由」は(1)19年に悪化した香港情勢と、それを追い風にした20年1月の総統選での蔡英文総統の再選で、台湾の民主主義に改めて注目が集まったこと(2)新型コロナウイルス禍を引き起こした中国と、世界でも最高水準の防疫に成功した台湾の明確な違い(3)20年7月の李登輝元総統の逝去に伴う台湾の弔問外交の活発化と、日米の呼応─だ。

 20年1月の総統選で、民主進歩党の蔡英文総統が最大野党、中国国民党の韓国瑜(かん・こくゆ)候補を大差で破って再選された。一時は支持率低迷で再選も危ぶまれていた蔡氏だったが、19年半ばから、中国共産党政権による香港の民主派勢力への弾圧が強まって、風向きが変わった。

 19年6月に起きた香港の大規模デモは、犯罪容疑者が拘束された場合、香港から中国本土に移送するとの新たな規則への市民の反発だった。「反送中(中国への移送反対)」を掲げた抗議活動は、香港に保障された高度な自治を踏みにじる力への怒りであった。

 香港の旧宗主国である英国も、トランプ政権時代の米国も、それなりに香港の民主社会の保全に動いてはいたが、主権を握る中国の強硬な姿勢の下で、なお決定打を打てずにいた。むろん台湾の蔡政権も、共産党勢力の暴挙を真っ向から食い止める力はなかった。

 ただ、蔡政権や台湾社会には、民族的にも価値観も近い香港の民主派と危機感を共有し、民主主義を守らねばならぬとの強い意志があった。水面下で香港の民主派に支援物資や資金を送り、香港を逃れてきた人々の受け皿も、台湾は誠意をもって作った。

 こうした危機感が台湾の有権者に、対中融和に傾く国民党への強烈な反発と警戒感をもたらした。蔡氏は57%という過去最高の得票率で再選を果たす。香港が共産党政権の手に堕(お)ちれば、台湾が狙われるのは時間の問題だ、とする切迫感も投票行動に表れた。

 共産党政権による香港の抑圧を目の当たりにした国際社会は、民主主義社会を構築し有権者による直接総統選も7回目となった台湾の存在の重要性に改めて気づかされた。共産政権と対峙(たいじ)する台湾の民主社会も香港と同じく、最前線にあると認識した。

◆中国発の新型コロナと台湾の防疫

 そうした蔡総統再選と同時並行的に世界を震撼(しんかん)させたのが、20年初めに中国湖北省武漢から広がった新型コロナ感染症の流行だ。

 台湾当局は19年暮れ、中国大陸で正体不明の感染症が発生しているとの情報を得て、かねて準備していた感染症の対策プログラムを発動していたとされる。

 中国に地理的に近く、人的往来も多い台湾は、2003年に多数の死者を出した中国広東省が感染源の重症急性呼吸器症候群(SARS)流行の教訓から、中国との人的往来の停止を含む厳しい措置を早期にとった。

 このため台湾は国際社会に先行して防疫に成功。市中感染はわずか、域外からの流入による感染者は1000人に及ばず、死者数も10人ほどという世界でも最高レベルの成果を得た。

 国際社会からみて感染症の初動で失敗し、情報公開も不十分で流行の源となった謝罪もなく、逆にウイルスの来源は国外にあるなどと責任転嫁を図った中国当局と、政権をあげて防疫で大きな成果を上げた台湾との差が浮き彫りになった。

 感染源の責任逃れに徹する共産主義の中国、住民のため必死に防疫に徹した民主主義の台湾。欧米など国際社会は、従来はあいまいでしかなかった「中華人民共和国」と「台湾」の相違を明確に認識した。

◆李登輝元総統の逝去と弔問外交

 共産党政権が「香港国家安全維持法」を一方的に制定・施行し、香港の「一国二制度」が事実上、崩壊した20年6月30日。その1カ月後の7月30日に、李登輝元総統が満97歳で逝去した。

 国際社会の目が香港と台湾の情勢、新型コロナ問題にくぎ付けになっているまさにその時、李氏は世を去る。

 李氏は1988年に総統に就任した後、2000年の退任まで6回の憲法改正を成し遂げた。その中で総統の選出方法を台湾の有権者による直接選挙に変えている。96年3月に行われた初めての直接総統選は、54%の得票率で当選した。

 台湾のみならず中華圏で歴史上初めての民選トップとなった李氏を、米ニューズウイーク誌は、「ミスターデモクラシー」と称して表紙にした。2020年7月、李氏逝去のニュースは日本のみならず、欧米でも台湾の民主主義を強く印象付ける役割を果たした。

 そのことは日米からのハイレベルの弔問で証明される。米国からは1979年の断交後、閣僚として最高位のアザー厚生長官(当時)が20年8月に訪台した。弔問のみならずアザー氏は米台経済対話のスタートなど、新たな関係と枠組みについても直接、関わったとみられる。

 20年9月、台北郊外の淡水にあるキリスト教系の真理大学で行われた李氏の告別式には、米国務省のナンバー3、クラック次官(当時)が参列している。これも断交後、国務省の高官としては最高位で、外交関係のない米台が事実上、高度な関係をもつに至った。

 バイデン政権の発足後も政策は継続された。米国務省は21年4月9日、米政府と台湾の当局者間の非公式接触の制限を緩和する新たな指針を策定したと発表した。台湾をめぐる歴代米政権の「一つの中国」政策を維持しながらも、「米台間の非公式関係が深化していることを背景に台湾との関与を奨励する」とした。

 4月14日にアーミテージ元国務副長官ら代表団が訪台し、翌15日に蔡総統と会談した。アーミテージ氏は李政権の1990年代から水面下で、台湾との情報交換を行う役割を果たすなど実績があり、人脈もある。

◆2020年は潮流の転換点

 クリントン政権やオバマ政権など、対中融和策を進めた結果、中国共産党の覇権主義と膨張政策を助長させた民主党だったが、少なくとも2020年に台湾がみせた3つの存在感の大きさによって、バイデン政権も蔡政権を無視できなくなった、と言ってもいい。

 一方、日本は李氏逝去にあたり森喜朗元首相を2度にわたって派遣したものの、表面的には米国ほどの積極的な姿勢はみられなかった。ただ、20年9月の告別式で、首相を辞任したばかりの安倍晋三氏の追悼ビデオが会場で流されたのは意味があった。その後にバイデン政権主導型ではあったが、日米首脳会談で台湾問題を正面から取り上げるところまで進展した。

 日本にとって、あるいは欧米、民主主義の国際社会にとって、これまで中国の政治的抑圧の陰で、どちらかといえば弱い存在とみられていた台湾。一方、中国による軍事威嚇や感染症の蔓延(まんえん)、国際空間での活躍への妨害が台湾にかえってフォローの風となっていた。

 国際政治はときに潮の満ち引きのように、流れが大きく変わるときがある。20年は台湾にとって満ち潮の始まりであったと後世の歴史家は評価するだろう。

(論説委員兼特別記者)

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