9月29日に行われた自民党総裁選は、前評判の高かった河野太郎候補や急追した高市早苗候補を押えて岸田文雄候補が制した。
岸田氏の台湾観ははっきりしないが、2012年12月に第二次安倍政権が発足し、外務大臣に就いた岸田氏は翌年1月末、台湾との窓口機関の「交流協会」が発足40周年を迎えた折の『交流』1月号に「交流協会設立40周年を祝して」と題する祝辞を寄せたことがある。
冒頭「台湾は、我が国との間で緊密な経済関係と人的往来を有する重要なパートナーです」と、日本の台湾に対する位置づけを明確に述べ、また「日台間の深い友情と信頼関係を支えているのは、民主、自由、平和といった基本的価値観の共有」と述べ、最後は「我が国と台湾の人々との間の友情が、時代を超え、世代を超えて、いつまでも瑞々しい輝きを放ち続けるよう強く願っています」と締めくくっている。
台湾を「重要なパートナー」と位置づけ、基本的価値観を共有すると高く評価する姿勢に貫かれたこの祝辞には驚かされた。これまでの日本の歴代政権は台湾と断交した1972年以降、台湾との関係を「非政府間の実務関係」と位置づけ、それ以上に踏み込んだ見解を表明してこなかったからだ。
この岸田外相の表明以降、この見解が日本政府の見解として踏襲され、安倍晋三首相の答弁書(2016年5月20日)でも、台湾を「我が国との間で緊密な経済関係と人的往来を有する重要なパートナー」と明記している。
もちろん、岸田外相の祝辞は岸田氏自身が書いたのではなく、外務省官僚が作成し、安倍首相も目を通した上で発表された可能性もある。とは言え、紛れもなく岸田氏が外務大臣として発表した祝辞だ。岸田氏自身が納得した上で発表したことは疑えない。
実は、岸田氏が自民党総裁選を制するや否や、台湾では「曽祖父・岸田幾太郎氏は日本統治時代、家族と台湾に渡り、北部・基隆で『岸田呉服店』や『岸田喫茶部』を営んだ。その建物は現存しており、飲食店や書店として地元民に親しまれている」(9月30日付「中央通信社」)と報道され、大きな話題となっていた。
ジャーナリストで元産経新聞台北支局長の吉村剛史氏がこのことを詳しく取り上げ、李登輝元総統との接点などにも触れてレポートしている。下記にご紹介したい。
—————————————————————————————–「岸田総裁」に期待する台湾、一世紀以上前から続く岸田家との縁総裁選で「対中強硬姿勢」見せ始めた岸田氏に神経尖らせる中国吉村剛史(ジャーナリスト)【JBpress:2021年10月2日】https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/67172
自民党総裁選で第27代総裁に岸田文雄氏が選ばれた。その岸田氏には、海洋進出に力を入れ覇権主義的姿勢を強めている中国にとって、どうしても気がかりな背景があるようだ。
米中対立の中で「台湾海峡の平和と安定」は国際的に極めて大きな注目の的だが、実は岸田氏の先祖は、戦前、台湾・基隆で呉服商などを営んでいた。そうした深い縁の存在は中国にとって面白いはずがない。
一方の台湾社会は、現存する当時の店舗建物について新たな名所として反応。岸田新総裁と李登輝元総統との生前の交流も注目されるなど、「岸田フィーバー」が起こっている。
第二次安倍内閣で岸田氏が外相を務めた2013年には、日本と台湾が沖縄県・尖閣諸島周辺水域の漁業資源の扱いを巡って折り合いをつけた日台民間漁業取り決め(協定に相当)も締結に至った。このことも台湾では好感されている。
このように台湾社会の歓迎ムードが濃厚である分、中国は4日発足する岸田新内閣に対する警戒感を強めそうだ。
◆曽祖父が台湾・基隆で呉服店や喫茶店を
新総裁誕生を受けて、台湾紙「自由時報」や「聯合報」系の電子版をはじめテレビ各局も、「岸田文雄將任日本新總理 曾祖父在基隆開過的店保存良好」(新たに日本国首相となる岸田文雄氏の曽祖父が基隆に開いていた店舗の保存状態は良好)などの見出しとともに、岸田氏の曽祖父、・岸田幾太郎氏が1895〜99年に台湾・基隆の現中正区信二路(日本統治当時は義重町)の一角で「岸田呉服店」「岸田喫茶部」を経営し、基隆発展の一端を担ったことを紹介。当時から人目を引いた優雅な洋風建築が100年以上の時を経ても良好な状態で残っており、今なおレストラン、ベーカリー店舗として利用されていることを相次いで報道した。
基隆は日本統治時代の台湾では、内地と台湾を結ぶ航路の玄関口にあたる港町。幾太郎氏が広島から家族とともに移住して構えた店舗は、当時の台湾で最も繁華だった場所のひとつとされている。
◆あの有名アーティストのご先祖とはご近所同士
このうち旧「岸田呉服店」は交差点に面した角地に位置しており、現在は1階がベーカリー、2階がレストランに。隣接する旧「岸田喫茶部」はかつて有名書店だったが現在は休業中で、地元当局による再生案が練られているといい、市中心部で歴史的景観整備を進める林右昌市長は地元メディアに対し「このような縁があることは非常に光栄」だとして、日本との交流深化に期待を寄せている。
このニュースへの反応は意外なところからも起こった。
実父が台湾屈指の名家、基隆顔家の出身である女優で歯科医師、エッセイストの一青妙さん(歌手・作詞家である一青窈さんの実姉)も、こうした報道に触れたことから、自宅にある昭和4(1929)年の「大日本職業別明細図」を確認したところ、なんと実父の実家「義和商行」「雲泉商会」とは当時の郡役所、警察署を挟んでごく近所だったことを知り、SNSやネット上の自身のエッセイ・ブログなどで紹介した。
一青妙さんは「祖父や祖母は着物も着ていたので顔家と交流があったのかしら・・・」と推測しつつ、通常の観光旅行が再開されるころには、「『日本・岸田総理所縁の地』の看板が出ていたりして・・・」などと、新名所の誕生を喜んでいる。
◆総裁選の際に中国へ厳しい姿勢を示したことを台湾社会は好感
台湾メディアはまた、岸田氏が1994年に訪台し、当時の李登輝総統とおさまった記念写真を「国史館」(総統府直属の歴史研究機関)が公開したことなどを大きく報じた。
岸田氏は2020年7月に李登輝元総統が死去した際は自民党政調会長として、自身のツイッターで「謹んで心から哀悼の誠をささげます」と投稿。党青年局長時代に台湾を訪問し、李氏と面会して「日本語で親しく懇談する機会をいただきました」と振り返り、「お話をする中で、高い識見や温かいお人柄に接し、強く印象づけられたことが懐かしく思い出されます」と発信していた。
現地の討論番組なども、ハト派と目される「宏池会」の会長ながら、対中姿勢に関して外交・安全保障戦略のなかで中国への対抗姿勢を鮮明にしたことにも着目している。
総裁選期間中には、台湾が環太平洋連携協定(TPP)への加盟を申請したことについても「歓迎したい」と発言。「敵基地攻撃能力」の保有に前向きな発言をしたり、中国の人権問題に言及したりしたことにも好意的に焦点をあてて取り上げているのだ。
また岸田氏は、第二次安倍内閣で外相となった際、沖縄県の尖閣諸島の国有化をめぐって中国が反発するなか、同諸島周辺水域では台湾とも緊張状態が生じていたが、水産庁や沖縄県漁連とも調整して長らく暗礁に乗り上げていた漁業問題の解決を急ぎ、2013年4月には事実上の二国間協定に相当する日台民間漁業取り決めを締結。尖閣問題を軸にした中台の連携にくさびを打ったという経歴もある。
こうした経緯などもあってか、9月29日に総裁選の結果が判明するや、台湾の与党・民主進歩党は、即座に同党の主席(党首)を兼務する蔡英文(さい・えいぶん)総統の言葉として、岸田氏の当選を祝福するとのメッセージを表明。同党としても、日台の友好関係に基づいて引き続き自民党との交流を深め、日台の協力、発展のための相互努力に期待する姿勢を示した。
◆中国は「岸田首相」の外交姿勢に警戒感
同様に祝意を示した台湾の外交部(外務省に相当)でも、引き続き日台の各方面における友好的で実質的な協力関係を推進し、インド太平洋地域の平和と安定、繁栄を促進で連携することを期待する、とした。
一方でこうした岸田氏の台湾との縁や、総裁選期間中、岸田氏の対中政策が厳しさを増したのを目の当たりにし、警戒感を強めるのは中国だ。
総裁選の行方は、中国メディアも熱心に取り上げてきたが、岸田新総裁誕生を受けて中国中央テレビは、解説のなかで「首相に就任したあとも、中国に強硬な姿勢をとるだろう」と展望。政策的には元来穏健派ながらも、日米同盟の堅持とインド太平洋地域を重視する姿勢の延長から、総裁選期間中に強硬路線に転じたとの分析も紹介した。
人民日報傘下で中国共産党の影響が強く、攻撃的な論調で知られる環球時報も「岸田氏は中国との関係を敵対させないよう望む」という社説を掲載して、新内閣の対中姿勢を強く牽制している。コロナと経済対策の両立という内政上の難問とともに、「自由で開かれたインド太平洋」「台湾海峡の平和と安定」という安全保障面でも中国とどう向き合うか、岸田氏には大きな試練が待ち受けていそうだ。
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