――「民國の衰亡、蓋し謂あるなり」――渡邊(7)
渡邊巳之次郎『老大國の山河 (余と朝鮮及支那)』(金尾文淵堂 大正10年)
「支那人學童に對して強ひて『君が代』を學習せしめ、彼等の無意識に之を歌ふを見て大に喜」ぶのは余りにも単純でお人好しが過ぎるのである。そんなことをしたら「却つて其父兄の内心に憤慨を煽動する」ことに思いが至らなかったのか。それを小林秀雄流に表現するなら「素人」ということだろう。「素人」は飽くまでも誠心誠意を心掛ける。いや唯一の武器が誠心誠意である以上、生真面目に誠心誠意に振る舞うしかない。
第三者の意図に心を働かせることなく、ひたすら真っ直ぐに、誠心誠意に対処する。こちらが良かれと思っていることは、相手にとっても良いはずだとの信念が揺らぐことはない。日本人は「素人」のままに台湾に上陸し、朝鮮に進み、満州を開墾し、下って東南アジア各地の民族に向き合った。「一視同仁」の4文字こそが、「素人」が掲げた方針である。だから「支那人學童に對して強ひて『君が代』を學習せしめ、彼等の無意識に之を歌ふを見て大に喜」んだんだろう。だが素人の哀しさである。日本人が示す誠心誠意がじつは「却つて其父兄の内心に憤慨を煽動」してしまうことに気がつかなかった。いや、そこまで心が働かなかったのだ。なにせ日本人は素直だが、相手の多くは極めて素直とはいえない。
その点、長い殖民地行政で積み上げた経験を身に着けた欧米列強は違う。異民族を“手籠め”にするノーハウを持つ彼らの頭の中には、「一視同仁」などという素人っぽいヤワな考えは微塵もなかった。オランダ人はインドネシアで、イギリス人はインド・ビルマ・マレー半島で、フランスはヴェトナム・ラオス・カンボジア人で、アメリカはフィリピンで、まさか「一視同仁」などと口にしなかっただろう。支配者と支配される者の間には断固とした違いがあることを非情なまでに見せつけた。被支配者が「内心に憤慨を煽動」を持つことないように徹底して、冷酷に骨の髄まで教え込んだはずだ。
誤解を恐れずにいうなら、かつての日本の外地経営は温情溢れるものであり過ぎた、ということではないか。だが、ここで日本人の宿痾が顔を覗かせてしまう。日本人は非情になれそうにないのである。日本人にとって相手は飽くまでも友人であって欲しい。だから「一視同仁」である。「友人」を口にしながら被支配者として対処する擦れっからし欧米列強のようにはなれない。ヤワな日本人は「友人」を求めながら結果として彼らの「内心に憤慨を煽動」させてしまう。百年前の1919年3月1日に京城で起きた「三・一万歳事件」なども、果して、その類ではなかったか。
だが、だからといって日本人は欧米列強流の方法を学ぶわけにはいかない。なぜなら、擦れっからしになってしまったら、日本人ではなくなってしまうからである。
閑話休題。
満鉄経営の撫順炭鉱を見学した渡邊に向かって、同炭鉱技師長は今後の近代化におけるエネルギー問題を考えるなら、撫順炭鉱に加え「無盡蔵と稱せらるゝ山西の炭坑採掘権を握らざるべからず」。だから山東と山西とを結ぶ鉄路を確保することが肝要だと説く。そこで渡邊は「日本たるもの、かの自主、自立、自營の力なき支那を助けて誘掖補導し、親善提携して以て死活一致の實を擧げざるべからざるなり」と。だが、所詮は「自主、自立、自營の力」がないわけだから、これまた「支那人學童に對して強ひて『君が代』を學習せしめ」る類の“大きなお世話”ではないか。
そんな鷹揚に構えているから、山西省督軍閻錫山はイギリスとの合弁事業として同省の石炭と鉄鉱の採掘、さらには製鉄業を許可しただけではなく、将来は必要に応じて鉄道敷設権を与えてしまったのだ。なお同事業は「近年支那官憲より外國人に與へられたる特權中最大のものなり」。だから「死活一致の實」なんぞは、やはり余計なお世話だ。《QED》