――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(31)上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

【知道中国 2013回】                      二〇・一・初七

――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(31)

上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

なぜ「米國の對支政策は、終始一貫、親和主義を標榜して又變る所が無かつた」のか。

20世紀後半のアメリカにおける硬派ジャーナリストの代表格とされるD・ハルバースタムの遺作『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(上下)』(文春文庫 2012年)の次の指摘は、アメリカの対中姿勢の根柢を流れる雰囲気を窺わせるに十分だと思う。

「多くのアメリカ人の心のなかに存在した中国は、アメリカとアメリカ人を愛し、何よりもアメリカ人のようでありたいと願う礼儀正しい従順な農民たちが満ちあふれる、幻想のなかの国だった。〔中略〕多くのアメリカ人は中国と中国人を愛し(理解し)ているだけでなく、中国人をアメリカ化するのが義務だと信じていた」

彼に依れば、アメリカ人にとって中国は「かわいい中国」であり、終始一貫して「勤勉で従順で信頼できるよきアジアの民が住む国」だった。だが、そんな「かわいい中国」に、1949年10月に毛沢東率いる共産党独裁政権が誕生してしまった。19世紀以来のアメリカの努力は完膚なきまでに裏切られた。やはり「アメリカの失敗はアメリカのイメージのなかの中国、実現不可能な中国を創ろうとしたためだった」から、というのだ。

D・ハルバースタムの主張に従うなら、現在の米中貿易戦争を仕掛けざるを得なかった「アメリカの失敗」もまた、「アメリカのイメージのなかの中国、実現不可能な中国を創ろうとしたためだった」からか。

1969年には全面戦争一歩手前まで緊張が高まった中ソ対立状況を前に、“敵の敵は味方”とばかりに米中緊張緩和に舵を切った毛沢東の誘いに応じ、米ソ対立を有利に展開すべくニクソン大統領は北京・中南海の毛沢東の書斎を訪れる。1972年2月のことだった。

この時点で、毛沢東が建国以来堅持してきた対外閉鎖路線は幕を閉じた。以来、共産党政権はアメリカを通じて西側世界との接触を始める。その総決算が、1978年末の�小平が断行した“コペルニクス的転換”――国内的には国民の移動を禁止していた戸口制度のなし崩し的緩和と社会主義市場経済の導入であり、対外的には対外開放――だった。

 �小平が進めた内外路線の大転換に、アメリカは積極的に対応した。それというのも、「市場経済の動きが進展し国民が豊かになれば自ずから国民の政治意識が高まり、共産党による独裁体制への拒絶反応が生まれ、やがて民主化されるだろう」という見立てである。いわば共産党政権誕生と言う「アメリカの失敗」に懲りることなく、再び「かわいい中国」「アメリカのイメージのなかの中国、実現不可能な中国を創ろうとした」。淡い期待だった。

 経済が発展したにもかかわらず、「かわいい中国」が誕生することはなかった。習近平率いる中国は、「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」を掲げて、政治・経済・軍事・先端技術・情報・次世代通信システム・文化、はては宇宙空間に至るまでアメリカの覇権に全面的に挑戦するようになった。それが、トランプVS習近平の熾烈な戦い本質ではないか。

 両者(ということは両国)の戦いがどのような結末を迎えるのか。正直言って予想し難い。おそらく最高精度のAIを使ったとしても、米中対決の将来を見通すことは至難だろう。

 

最終的にはトランプ(つまりアメリカ)の勝利で決着がつくとの考えも聞かれる。だが、この主張が正しかろうと、「アメリカのイメージのなかの中国、実現不可能な中国を創ろうとしたため」に被った物心両面の負担は計り知れないはずだ。政策の費用対効果を考えるなら、共産中国を国際社会に引きずり出すことは壮大な徒労、いや罪悪だったと思う。

 やはり中国は永劫に「かわいい国」なんぞにはならない。それは「幻想のなかの国」でしかない。共産党政権が目指すのは「中華民族の偉大な復興」、言わばアヘン戦争以来の屈辱を晴らすこと。復仇である。アメリカは自らの不明を恥じ、深刻に顧みるべきだ。《QED》


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