――「彼等の行動は生意氣の一語に盡きる」――石井(2)
石井柏亭『繪の旅 朝鮮支那の巻』(日本評論社出版部 大正10年)
画家である石井は上海図画美術学校を見学する。「生徒の成蹟と同時に先生達の自身の畫も觀た。裸體モデルは得難いと見えて生徒自身がモデルになつたのを、數人の生徒が油畫で寫生したのもあつたが、素描がすべて怪しい」と厳しい評価を下す。だが、「併し支那の青年間に洋風畫の熱が次第に昂まりつゝわることは證據立てられる」と前向きに捉える。
汽車に乗る。車内は大分混雑していた。「支那人が坐り、それに隣して一佛國人が其連れの女と向つて坐を占めて居た」。そこへ「一ヤンキーがやつて來て其支那人に向つて何を云ふかと思ふと、『レーデーが支那の人の傍に坐ることを好まないから退いて呉れ』と」。これを石井は「依頼、云ふよりの寧ろ命令に近い言葉だ」と見た。だが「支那人にはこれに反抗する勇氣はないらし」く、「支那人を退かしてヤンキー連の男女二人が割込んだ」というのだ。かくて「其橫暴は傍觀の私を憤らせた」。
この「一ヤンキー」と同じように日本人が振る舞ったとしたら、彼らはどのような対応を見せただろうか。少なくとも「反抗する勇氣」を発揮したに違いない。一方、日本で「一ヤンキー」のような行動に直面した時、はたまた支那人が「一ヤンキー」のように振る舞ったとしたら、日本人は「其橫暴」を見て見ぬふりをして遣り過ごしただろうか。
杭州から戻ろうとした頃に起こった「山東問題に關聯する排日運動は段々に其火の手を擧げて來た」。上海では「辻々の少し明いた壁面には種々樣々な傳單が盛んに貼られていた。『餓死東洋奴』と云ふやうなひどい誹謗的な文句も見える。日本と云ふ文字を龜の形にもじつたものもある。稚拙笑ふ可き漫畫の類もある」。上海の租界では、治安当局が「それ等の誹謗傳單禁止する旨の觸れを出し、巡警が一々それ等を剝して歩いたりしても、又何時の間にか貼られる。まるで飯にたかる蠅と同じで始末にいけない」。
「始末にいけない」ことは確かだが、それほどまでに執念深かったということだろう。ところで石井は「日本と云ふ文字を龜の形にもじつたものもある」と記すだけで、その亀の形の「日本と云ふ文字」の寓意に思いを致してない。彼は亀が何を指すのか知らなかったのだろう。じつは亀は他人に女房を寝取られたアホな男を指すのだ。つまり「日本と云ふ文字」には日本に対する悪意が込められていた。だから漫画の稚拙さを笑う前に、「日本と云ふ文字を龜の形にもじつた」彼らの底意を怒るべきだろう。
亀について付言するなら、かつてアメリカが正義の旗を掲げてヴェトナム戦争を突き進んでいた頃、Mr.アメリカともいえるジョン・ウエインを主人公に『グリーン・ベレー』というハリウッド映画が作られたことがある。ハリウッドとしてはヴェトナムのジャングルで憎っくき共産主義ゲリラを撃破するグリーン・ベレーで呼ばれる最強特殊部隊の活躍を通じて、戦意高揚を狙ったに違いない。当時、この映画は香港では流行らなかったうえ嘲笑の的だった。それというのもグリーン・ベレーは亀を意味し、ズバリ役立たずのダメ男そのものだったからだ。つまり漢字文化圏では、グリーン・ベレーは全く以て勇ましくはないのである。
閑話休題。
上海で美術学校の先生に夕食に招かれた。やはり「談は自ら現下の風潮に及ばざるを得なかつた」のだが、1人は「現下の風潮」である反日運動について、「學生等這回の運動に同情する方ではなく、“Foolish”の一言を以てこれを斥けて居た」。だが、先生たちは「日人と同行することの人目に觸るゝを慮つてひたすらに夜の幕の閉さるゝを待つて居た」という。やはり「“Foolish”の一言を以てこれを斥けて」はみたものの、反日運動に狂奔する「“Foolish”」な学生の振る舞いが怖いのだろう。盲動は虎よりも猛し・・・かな。《QED》