――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘23)橘樸「中國の民族道�」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

【知道中国 2062回】                       二〇・四・仲六

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘23)

橘樸「中國の民族道�」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

乳母の訓えは、もう少し続く。

「では、災禍なぜ起こったのだろう? それは灯明を叩き壊した和尚が寺を呪うようなものだ。自分自身がその原因だったにもかかわらず、個人の責任を問えば、人々は、残酷な政治の圧力や、盲目的な信仰、集団の決定とかを持ち出すだろう。だが、あらゆる人が無実となるとき、本当に無実だった人は、永遠にうち捨てられてしまう」。

中国において、はたして「あらゆる人が無実となるとき」がやって来るのだろうか。

橘に戻る。

彼の考えを総括するなら、「中國の民族道�」――個人的には「面子」「應報觀」「没法子」で律せられ、社会的には「孝悌忠信」、わけても「孝」が柱となる――によって支えられた「村落自治體」の集合体が中国ということになるだろう。

たしかに歴史的に振り返っても、「村落自治體」が長期に安定していたからこそ中国が維持されてきた。中国という統治システムの柱である「村落自治體」の安定的維持に、中国の存亡が掛かっているわけだ。この構造を「中国社会超安定結構(中国社会の超安定構造)」と規定したのが金観濤・劉青峰である。

彼らは1989年の天安門事件を機とした中国政府当局による“民主派狩り”から逃れるべく、香港の中文大学に身を寄せた。そして共産党政権の下で民主化は絶望的であり、政治的危機を重ねても共産党政権が安定的に維持されている社会の構造にメスを入れ、そのカラクリを解き明かそうと『開放中的変遷 再論中国社会超安定結構』(香港中文大学出版社 1993年)を著した。彼らの主張の骨子は、次のように纏めることが出来る。

「中国の宗法組織の内部は、まさに厳然とした一個の小社会であり、族長・家長は財産を支配し、族規・家法を執行し、同族の公共事務の大権を掌握する。清代に『国法は家法に如かず』とか『郷評は斧より厳』といった諺があったが、これは宗法組織が社会の基層部分で個々人を管理していることを言い表したものだ。また宗法組織は政府と結びつくこともできる。

宗法・族長・家長は往々にして族人が税を納めたとか、役に服したとかを監督し、公的業務の代行を自分のなすべき用務としている。〔中略〕このようにして中国の封建社会は、最上層の国家機器――大一統官僚機構を通じて各県を経て、さらに郷紳自治を仲介として最後に最終底辺の宗族組織から各家庭に達し、見事に仕組みあげられた農業社会を実現したのである」。

ここに示される「国法は家法に如かず」とは「家法」(家訓=宗族の掟)は国家の法律に優先する。「郷評は斧より厳」とは先行する「郷評」(村落自治体内での裁判で下された判決)は極めて厳格に執行される――ということだ。また「最上層の国家機器――大一統官僚機構」は、王朝を頂点に全国を統一して統御する官僚体制を指すものと考えておけばいいだろう。

いわば国家権力の介入を受け入れない代わりに、徴税など国家として果たすべき仕事を「村落自治體」が代行したことになる。ここで疑問に思うのだが、国家権力が国家を経営するうえで最も枢要な柱である徴税という任務の実権を手放してしまっていることだ。

いったい徴税の網は、どのように掛けられていたのか。誰が税額を定めていたのか。常識的に考え、宗族の「財産を支配し、族規・家法を執行し、同族の公共事務の大権を掌握する」ところの族長・家長が宗族全体の経済規模(田畑からの収穫量・一族の男女比・年齢構成などの徴税基準)を正確に申告するわけはないだろう。疑問は募るばかり。《QED》


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