――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘17)
橘樸「中國の民族道德」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)
「家族主義に依る農村社會の組織」を「今少し詳しく言へば、男系の血統に沿ふて家族團體の結束を固め、之を基礎とした村落自治體」となる。この組織は「朝廷にとつて二重の利益」を意味する。第一は社会の「無秩序から生ずる危險を防止するに足り」、第二は「新たに築き上げられた官僚政治の施行に著しい便宜が與へられる事」である。
じつは歴代王朝は精緻に築かれた官僚統制国家のようにみられるが、広大な領域に住む膨大な人口を一元的に支配・統治することは至難であり、財政的にも費用対効果が極端に悪い。そこで歴代王朝は、今風に表現するなら「大きな政府」としてではなく「小さな政府」として振る舞うことになった。
「偉大なる專制國家の官僚組織の神經末梢は知縣衙門に至りて止まり、而も其の組織が至つて小さい」ので、「官僚の手を其れ以下に伸ばす事は不可能であ」る。だから「縣以下の行政機關は之を人民の手に自營に委ねる外ない」のである。
そこで民衆の管理・監督を「鞏固な家族及宗族團體」を単位とする「村落自治體」に委ね、「知縣衙門」にまで伸びた中央権力の下請け組織に充て、「偉大なる專制國家の官僚組織」を維持・機能させることになる。かくて「貧弱な知縣衙門の編成を以てしても大體に於て地方の治安を維持する上に不便を感ぜぬ事になる」わけだ。
つまり「中國では――少なくとも秦漢以來――朝廷が人民に對する最高にして最大の搾取者であり、官僚は朝廷の爲に搾取する任に當り且つ其序に自らの懷を肥やすところの番頭乃至手代であります」。そこで朝廷が自らの「安寧、利益及威嚴を維持する爲に設けた道具立は法律及軍隊に外ならぬのであ」る。
「軍隊の事は本論と關係がないから」と省略した橘は、「中國の法律には被治者の權利利益を保證すると云ふ意味は――少なくも主觀的には――全くない」。だから「中國の人民は朝廷の法律に信頼する事が出來ません」し、であればこそ「自身及び彼の屬する團體の安全を企圖する爲には是非共彼等自身の力に頼る外ない」のである。
こう見てくると、橘が説く封建王朝の「偉大なる專制國家の官僚組織」は、そのまま現在の共産党独裁政権の官僚組織――習近平を頂点とする中央政府から最末端の郷鎮レベルの地方政府まで――に酷似しているように思える。「偉大なる專制國家」を維持・機能させるためには封建王朝においては官僚、共産党政権においては末端幹部の存在が必要となるわけだが、それが彼らの専横を許し、民衆に対する圧迫・搾取に繋がることになる。
ここで、橘と同じような視点から中国の官僚組織を捉えた佐野学(1892年~1953年)の見解を紹介しておきたい。昭和初期の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)で中央委員長を務め、1933(昭和8)年に鍋山貞親と共に「共同被告同志に告ぐるす書」と題する「獄中転向」を発表して世間を驚かせ、戦後は早稲田大学商学部で教鞭を執り反共・反ソの立場で論陣を張ったアノ佐野である。
「旧中国の官僚は単に国家の機構であるのではなく寧ろ国家の主人であった。又それは単なる社会層ではなく、むしろ一つの社会階級であった。旧中国国家は完全に支配階級たる広義の地主的階級の独占物で、この階級は在朝の官僚と在野の豪紳及び大地主より成り、官僚も官を罷めて帰国する時は豪紳となり、豪紳は官途に就けば官僚となる。彼らは国家を通じてその財産制(土地私有)及び政治的特権を擁護するのみならず、国家を通じて人民より誅求した獲物(主として地代)を分配し、之を生活、逸楽及び階級分化の源泉とする」(『佐野学著作集』第五巻 1963 佐野学著作集刊行会)とした。なお、引用文中の「帰国」は「官職を退職し故郷(自らが所有する土地)に戻ること」を意味する。《QED》