――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘24)
橘樸「中國の民族道德」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)
いわば庶民は「最上層の国家機器――大一統官僚機構」からの支配を受けない代わりに、宗族という「厳然とした一個の小社会」のなかで「族長・家長」の支配下に置かれる。であるとするなら、「族長・家長」が絶対的な権限を握る「厳然とした一個の小社会」は国家としての機能を持つことになる。
橘の考えに従うなら、小国家然とした「厳然とした一個の小社会」を精神面で支え維持しているのが「中國の民族道德」であり、それは個人的には「面子」「應報觀」「没法子」であり、社会的には「孝悌忠信」、わけても「孝」が柱となっている、というわけだろう。
だとするなら封建中国を下支えしていたのは「族長・家長」となる。ここで飛躍させて、毛沢東に登場願おう。
毛沢東は考えた(に違いない)。
倒しても、倒しても、歴代封建王朝がゾンビのように息を吹き返すのはなぜか。それは「厳然とした一個の小社会」が確固として維持されているからだ。ならば「厳然とした一個の小社会」をぶっ潰せば旧い封建中国は崩壊し、毛沢東率いる新しい中国に「翻生(うまれかわ)」るはずだ。そのためには「厳然とした一個の小社会」の頂点に立つ「族長・家長」、つまり地主を抹殺して土地を奪い取ってしまえ。かくして「土地改革」と呼ばれる地主殺しが始まった。
そこで「憶苦思甜」の思想教育が徹底される。つまり封建社会の苦しく惨めだった生活や国民党の悪政を思い出させ(「憶苦」)、共産党政治の素晴らしさを讃えて人々の脳内に刷り込んだ(「思甜」)のである。その一方で、各地の地主に恨みを抱いて居る者やゴロツキを使って地主を締めあげ、人民裁判の場に引きずり出し、公衆の面前で罵倒し、虐め倒し、死刑に処したのである。
常に毛沢東に影のように“扈従”し、特務工作という汚れ仕事の一切を取り仕切ることで毛沢東と共産党を支えた康生(1898年~1975年)の人生を描いた『龍のかぎ爪(上下)』(J・バイロン R・パック 岩波書店 2011年)に、土地改革の一面が次のように描かれている。
――「『土地改革団』(主として無法者、盗賊、無教育な共産党員からなる、土地改革に責任を持つグループ)」を組織し、「社会正義の名のもとに康は、農民たちが、仕返しとして地主や富農を殺すことさえ奨励した」。多数の地主は銃殺、斬首、撲殺、磔、生き埋めにされたが、「厳寒の季節に薄い綿の服を着せ水をかけ、氷点下の戸外に出しておいて凍死させる『ガラスの服』や生きたまま顔だけ出して雪に生める『冷蔵庫』、穴に埋めて頭をかちわり脳を露出させる『開花』など」の「最も恐ろしく変わった死刑の方法」も使われたのである――
「土地改革」について、「紀実文学(ドキュメンタリー)の手法で、この偉大なる運動を最初に描いた。第一次資料を基にして、農民に対する地主の残酷な搾取と血腥い圧迫を迫真をもって抉り、封建地主による土地制度を改革しなければならなかった緊要性と必要性を明らかにしている」と”自画自賛”する『開国大土改』(白希 中共党史出版社 2009年)には、農民に対する地主の悪行・蛮行の数々が、ウンザリするまでに記されている。
たとえば年貢を納められない農民に地主が加える折檻だが、5本指を固く縛り上げ鋭く削った竹片を爪の間に打ち込む「吃毛竹筷」。厳寒に裸にして冷え切ったレンガに足を投げ出すように座らせ、レンガが温まったら冷たいのに換える「冷磚頭」。鋭い棘のある竹で編んだ籠に農民を入れ、ゴロゴロと激しく転ばす「滾笆簍」・・・こんなのは序の口だ。《QED》