――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港143)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港143)
【知道中国 2261回】                       二一・八・仲四

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港143)

「そうか、越後屋がのう。なかなかヤルわい」などと鷹揚に構える。だから李嘉誠に向かっては、「貴公、白皮猪(イギリス人)なんぞとワルサをしておるのか・・・え~い、拙者の顔のドロを塗る気か」などとヤボなことは言うはずもない。なぜならオ殿サマと越後屋はワンセットであり、いずれの片方がいなくても、芝居は成り立たないからである。

かくて太っ腹に、「結構、けっこう。大いにやってくれ。ヤツラから巻き上げられるだけ巻き上げるがヨカロウぞ! グーの音の出ないほどに痛めつけてやってくれ。それこそがアヘン戦争以来わが民族が被った屈辱へのお返し。雪辱というものだ。倍返しだ!」と太っ腹。これが共産党得意の統一戦線工作のキモというものだろう。

李嘉誠のみならず、ここに列記した企業家が返還バブルで資産を一気に増やしただけではなく、愛国商人の看板を背負って中国市場に雪崩れ込んだ。地方幹部が無理無体を押し付け、横暴に振る舞ったら、当然のようにオ殿サマの印籠を持ち出し、「え~い無礼者、下がれ下がれ、この印籠が目に入らぬか!」である。もちろん印籠にはクワにハンマーの共産党の“家紋”が記されていて絶対無敵。幹部とはいえ地方で燻ぶっているヤツなんぞ、しょせんは北京のオ殿サマには弱い。かくて越後屋はウハウハの大儲けとなるカラクリだ。

 ここで大川博(ひろし)チョフ全盛時代の東映映画「七つの顔の男シリーズ」で片岡千恵蔵が演じる多羅尾伴内の決めセリフに倣うなら、「ある時は実直な商人、ある時は血も涙もない守銭奴、ある時は全財産を投げうって困窮者・社会的弱者救済に尽くす全身慈善家、ある時は芸能人相手にスキャンダルをまき散らす嫌味な遊び人、ある時は国民党支援者、ある時はカジノの胴元、ある時は民主化運動に尽燃える若者のパトロン、ある時は祖国の繁栄への貢献を熱望する愛国商人・・・して、その実態は香港の企業家」となるような。

このカラクリが分からない限り、香港における民主派弾圧に対する義憤は空回りするばかり。時に戯憤、あるいは偽憤、さらには擬憤で終わりかねないのである。

さて軽口はこの辺で止めて、事実を示しておきたい。そこで時空を一気に飛び越えて、視線を2014年9月22日の北京へ・・・。

ここで改めて確認しておきたいのは、この日は、「雨傘革命」を掲げた学生たちが街頭占拠行動に踏み切った6日前ということ。いわば学生たちが表明した実力行使開始予定日の6日前に、オ殿サマと越後屋は北京で“密談”を交わしていたのである。

 9月22日、習近平政権は香港の有力企業家で構成された「香港工商専業訪京団」――代表は経済人のトップである長江実業グループ創設者の李嘉誠。総勢で70人ほど――を北京に招き寄せていたのだ。一行の先導役を務めたのは初代行政長官で、2期目の途中で失政を理由に胡錦濤政権から詰め腹を切らされ、香港住民からは「デクの坊」と無能者呼ばわりされた董建華。この時の肩書は全国政協副主席だから、出世したものだ。

 一行を待ち構えていたのは北京のオ殿サマ、つまり習近平国家主席でなければならなかった。彼は中央政府部内の香港問題担当者――張徳江(全人代常務委員会委員長)、李源朝(国家副主席)、栗戦書(中共中央弁公室主任)、楊潔篪(外交担当国務委員)、王光亜(国務院港澳弁公室主任)、張曉明(中央人民政府駐香港特別行政区連絡弁公室主任)、李飛(全人代常務委員会副委員長)――を従え、香港から馳せ参じた企業家たちの前に立ち、「雨傘革命」に対処するための次の「三大原則」を伝えたのである。

 曰く、中央政府は①「一国両制」を貫徹し香港基本法を断固として守る、②香港における民主法治の推進を断固として支持する、③香港の長期安定と繁栄は断固として維持する――である。これを言い換えるなら、香港における学生ら民主派の要求は一切認めない。彼らの“策動”は断固として粉砕するという厳然たる決意の表明になったわけだ。《QED》

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