――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(15/16)服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)

――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(15/16)服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)
【知道中国 2033回】                       二〇・二・仲八

――「彼等の中心は正義でもなく、皇室でもない、只自己本位でゐる」服部(15/16)

服部源次郎『一商人の支那の旅』(東光會 大正14年)

 「支那は完全な國ではない」と見做す服部は、さらに「支那人は天下といふ思想はあるが、國といふ觀念はない」と続ける。そこで「余は、支那は世界に對し外交上中華民國として一國家の外觀をなすも、其實質に至つては御氣の毒ながら完全なる國家ではないと斷定」するに至った。

古来、修身斉家治国平天下ということばがある。服部が言うように「國は諸侯即ち督軍を指すのである」なら、彼らのキバを抜かない限り「平天下」は果たせない。この法則を習近平に当てはめてみると、「平天下」を実現させるためには、省から末端の郷鎮に至るまでの地方政府に蟠踞する党委員会幹部を「治」めなければならない。だが、これが至難だろう。「上に政策あれば下に対策あり」である。「上」が強権発動という政策を振り廻せば、「下」は面従腹背の対策を弄する。カエルの面になんとやら、である。

「英國の東方政策」を論じて服部は、「支那は幾年ならずして英國のものとなる樣である」と、イギリスの大攻勢に警鐘を鳴らす。なにせイギリスは「香港上海を始め到る處經濟優秀の地位を占有し」、鉄道の主要幹線は「何れも彼の爪牙に罹」っているほど。「現に余は上海にて廣東人福建人北京人の三名が、お互いに支那語が通ぜぬから、英語で話しているのを見た」し、また「支那を旅行するに、一片の支那語のみでは通用せぬが、英語なら何處でも通用する」。だが、だからといって「支那は幾年ならずして英國のものとなる」ことはなかった。

ここで注意すべきは、彼らが多種多様な方言を話すことだろう。だから彼らの口にする言語を「支那語」として一括して捉えることは誤解のもとだ。共産党政権による漢語(=普通話)教育が全国で徹底している現在とは違い、かつて老百姓(じんみん)にとっては方言こそが第一言語だった。中国語は、やはり基本的には漢字を並べた書き言葉である。同じ漢字でも地方によって発音は千差万別であり、方言のなかには既存の漢字では表現できない音もあるだけに、その方言独特の特殊な漢字を使うことすらあるほどだ。

そこで「廣東人福建人北京人の三名が、お互いに支那語が通ぜぬから、英語で話してい」たとしても、さほど珍しいことでもない。英語を話せるなら、わざわざ意思疎通の不確かな方言で会話するより、英語を共通の言語とし使った方が簡便だろうに。だから「英語なら何處でも通用する」から「支那は幾年ならずして英國のものとなる」などと即断すること自体が間違いなのだ。事実、「支那は幾年ならずし」たところで「英國のものとな」らなかったではないか。

 アメリカの対中姿勢については、「世界戰亂でウント儲けた米國は、其の經濟力的威力を東洋殊に原料の豐富で需要の多い支那に向けた」。目下のところは埋蔵量が「驚く勿れ無慮一兆噸の多額になつてをる」し、「炭鑛の採掘企業に關し米國は頻りに策動してをる」。「白人の代表民族として英米の兩國が、黃色人種四億を有する支那に向つて、百數年來經濟的侵略を續け、今や其の目的の大半を達せしにも拘はらず」、さらに掠奪を逞しくしている。「今や世界の問題は東洋に移つた。そして人種的大戰爭がアリアリと眼前に迫つて來た觀がある」と警告を発する。

「歐米白人の東洋侵略が益々亂暴を極め、滿洲を占め、朝鮮を併呑せんとするや、東海の島國我日本は奮然起つた」。だが「協力して戰ふべき支那は無智なりしため、却て日本が支那を侵略するものと誤解した」。そこで「止むなく涙を呑んで友邦支那と戰ひ、朝鮮を保護した」とする。服部は「吾人の最も注目すべきは、中國人の國家的自覺の其であると」するが、はたして「友邦支那」と呼んでいいものか。首を傾げざるを得ない。《QED》

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