日本による統治が始まった1890年代の台湾ではきれいな水が飲めなかった。そこで、総督府の衛生顧問を務めていた後藤新平に乞われて訪台したのが、帝国大学工科大学のお雇い外国人教師として来日していたウィリアム・K・バルトン(William Burton)だった。
バルトンは1896年に大学の教え子の浜野弥四郎を伴って台湾に渡り、浜野とともに台湾中の水源地を調査し、上下水道システム計画を構築した。しかし、調査の途中でマラリヤに罹り、1899年8月5日、無念の死を迎える。43歳という若さだった。
バルトンの遺志を受け継いだ浜野はその後、20年以上にわたって公衆衛生や疾病予防という概念を都市建設に導きながら上下水道を敷設した。
バルトンが亡くなって20年後の1919年3月30日、バルトンの胸像が台北水道水源地(現在の台北自来水園区)建てられ、1919年3月30日に除幕式が行なわれた。日本に帰国する直前の浜野が銅像の建設委員長をつとめ、除幕式を主催した。
バルトンの銅像は戦時中の金属供出で失われたが、浜野弥四郎の軌跡を描いた労作『都市の医師』の著作もある日本下水文化研究会創設者の稲場紀久雄・大阪経済大名誉教授や日本下水道協会、台北自来水事業処の協力により、台湾の彫刻家、蒲浩明氏が歴史的検証に基づいて胸像を再建、102年前と同じ3月30日、自来水園区において台北市政府が主催し「バルトン氏の貢献100周年記念─台日英共同による銅像再建除幕式」が行われた。
除幕式には、柯文哲・台北市長、日本台湾交流協会台北事務所の泉裕泰・代表、英国のジョン・デニス在台弁事処代表、治水工学で著名な国立台湾大学の李鴻源教授などが参列し、また、東京からはリモートでバルトンの玄孫に当たる津軽三味線奏者のケビン・メッツ氏や謝長廷・台北駐日経済文化代表処代表、東京都水道局の代表者も参加。古屋圭司・日華議員懇談会会長や小池百合子・東京都知事からのメッセージも紹介されたそうだ。
東京都水道局の代表者が参加していることに、どうしてと疑問を覚える人もいるかもしれない。実は、東京都水道局は2013年4月11日に台湾自来水公司と「技術協力等に関する覚書」を締結し、その翌4月12日には台北市水道事業部門の台北自来水事業処とも同様の覚書を締結している。ニュースにそのことは記されていないが、それが参加していた理由ではないかと思われる。
浜野弥四郎が1937年に亡くなってから68年後の2005年、奇美実業創業者の許文龍氏は浜野の胸像を建立。バルトンもまた、亡くなってから122年、胸像が失われてから102年にして胸像が復元された。バルトンも浜野も「台湾水道の父」と今に讃える人々がいることに深い感慨を覚える。訪台できるようになった暁には、バルトンと浜野の胸像を訪ねてみたい。
◆日本台湾交流協会:泉裕泰代表がバートン氏銅像回復除幕式に参加しました https://www.koryu.or.jp/news/?itemid=2198&dispmid=5287
◆2020バルトン忌 バルトン先生胸像再建祝賀式:日本下水文化研究会 https://www.hns.gr.jp/download/202002180820burton.pdf
◆自来水博物館:台北市政府観光伝播局 https://www.travel.taipei/ja/attraction/details/745
—————————————————————————————–台湾水道の父 英国人技師の胸像復元 玄孫が三味線の音色で思いはせる【中央通信社:2021年3月31日】https://japan.cna.com.tw/news/asoc/202103310004.aspx
(東京中央社)日本統治下の台湾で水道建設に尽力した英国人衛生工学技師、ウィリアム・K・バルトンの胸像が再建され、台北市の台北ウオーターパーク(自来水園区)で30日、除幕式が開かれた。式典にはバルトンの玄孫に当たる津軽三味線奏者のケビン・メッツさんも東京からリモートで参加し、三味線の音色で祖先に思いをはせた。
バルトンは1887年、帝国大学工科大学のお雇い外国人教師として来日。衛生工学を専門とし、上下水道の調査、設計に従事した。1896年、台湾総督府の招聘によって台湾に渡り、水道建設の調査を行った。1899 年に死去した後は、教え子の日本人技師、浜野弥四郎が台湾の水道建設を引き継ぎ、水道の近代化を成し遂げた。日本政府は1919年3月30日、バルトンの功績をたたえて台北水道水源地(現・自来水園区)に胸像を設置したが、胸像は第2次世界大戦中に行方不明になっていた。
胸像の復元は非営利団体(NPO)日本下水文化研究会創設者の稲場紀久雄・大阪経済大名誉教授や日本下水道協会、台北自来水事業処の協力で行われた。
台北市政府が主催した式典には、水道専門家の李鴻源氏や日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会の泉裕泰台北事務所代表(大使に相当)や英国在台弁事処のジョン・デニス代表(同)らが出席。東京からはメッツさんのほか、台北駐日経済文化代表処の謝長廷代表(同)、東京都水道局の代表者などがリモートで参加した。
謝氏は多くの台湾人がバルトンを知らないのは残念だとし、胸像の再建によってこの残念さが埋め合わされたと話した。
(楊明珠/編集:名切千絵)
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