八田與一(はった・よいち)技師は1930年(昭和5年)に烏山頭ダムを完成し、1万6,000kmに及ぶ給排水路を張り巡らせた嘉南大[土川]を整備、15万ヘクタールにおよぶ台湾第2の嘉南平野を台湾最大の肥沃な穀倉地帯に生まれ変わらせた。いまでも台湾では「台湾でもっとも尊敬される日本人」だ。
台湾総督府土木部に所属していた八田技師の上司が「台湾水道の父」と今でも尊敬され、許文龍氏が胸像を作った浜野弥四郎(はまの・やしろう)技師で、後輩が、台中の人々から「水利の父」「白冷[土川]の父」と称えられている磯田謙雄(いそだ・のりお)技師だ。
磯田技師は、台中市の新社区に逆サイフォンの原理を利用し、渓谷を越える全長約17kmに及ぶ農業用の水路「白冷[土川]」(はくれいしゅう)を造り、1932年10月14日に完成している。
10月15日、台中市新社区で白冷[土川]通水90周年を祝う式典が開かれたという。中央通信社が伝えているので、下記に紹介したい。
ちなみに、磯田技師は八田技師の7歳年下で、金沢生まれで旧制金沢一中、旧制第四高等学校、旧東京帝大を卒業後の1918年に台湾総督府に赴任するという、八田技師とまったく同じ道を歩み、台湾の人々から敬愛を受けている点も同じだ。
また、銅像が建てられたことも八田技師と同じで、磯田技師は2体作られている。
1体は、2013年10月15日に白冷[土川]故事牆園区に建立された銅像(謝棟[木梁]作)で、ベンチに腰掛け、巨大水管を見守るように設置されている。
もう1体は、2018年10月14日に台中市新社区に建立された胸像で、除幕式には林佳龍・台中市長(当時)をはじめ台中市から王志誠・文化局局長、周廷彰・水利局局長、磯田技師の出身地である金沢から安達前・金沢市日台親善議員連盟会長、野口弘・金沢市教育長、そして磯田技師令孫の松任谷秀樹氏などが参列した。
大甲渓から17kmにもわたって水を引いて新社地区での農業を可能にした白冷[土川]だが、1999年の921大地震により送水が止まったことがある。そこで、改めて白冷[土川]の重要性がわかり、大修復によって蘇り現在でも使用されている。
この修復活動を行ってきたのが「台中市白冷[土川]水流域発展協会」で、2012年以降は毎年、磯田技師の貢献を顕彰する文化祭や金沢市との交流活動を行い、日台の友好親善の推進に大きく貢献してきた
この功績により「台中市白冷[土川]水流域発展協会」は、本会と姉妹団体を結ぶ台日文化経済協会、日本で台湾カルチャーフェスティバル「タイワンプラス」などを開催してきた中華文化総会、女優で歌手のジュディ・オングさん、檜山幸雄・中京大学名誉教授とともに、令和04年度(2021年度)の外務大臣表彰を受けている。
—————————————————————————————–台中の水路、通水90周年祝う 日本人技師をしのぶ【中央通信社:2022年10月18日】https://japan.focustaiwan.tw/society/202210180001
(台中中央社)中部・台中市新社区で15日、同地域を流れる水路「白冷[土川]」の通水90周年を祝う式典が開かれた。日本統治時代に同水路を設計した日本人技師、磯田謙雄への献花も行われ、貢献をたたえた。
白冷[土川]は日本統治時代の1932年10月14日に完成。1999年の台湾大地震で同水路の設備が損傷したのをきっかけに、その重要性に注目が集まった。それ以来、市民団体が毎年10月に「白冷[土川]文化フェスティバル」を開催し、磯田をしのぶ日としている。白冷[土川]紀念公園には2018年、磯田の像が設置された。
式典に出席した客家委員会の楊長鎮(ようちょうちん)主任委員(閣僚)は、かつて水資源がエスニックグループ間の争いを引き起こしていたことに触れ、磯田らが険しい山の中で建設した水利施設によって、後世の人々がこの地で平穏に生活できるようになったことに感謝した。
午後には青空市が開かれ、台湾の伝統人形劇「布袋戯」(ポテヒ)やダンスパフォーマンスの上演なども行われた。
(趙麗妍/編集:名切千絵)──────────────────────────────────────※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。