――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(20)
上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)
「雲南の路には山塞がある。緑林の徒が立籠つて行人を掠める」。しかも村と村の間は離れている。だから「一度其の難に遭へば萬事休焉である」。そこで「今迄氣にも掛け無かつた護兵も、今度丈は頼まねばならぬ。頼む以上は、巡警では心元無い。訓練のある精兵で無ければ、役には立たぬ。之れが叙州に於て、衞戍司令官胡若愚君に麾下の士を所望した所以である」。
ところが警護兵を頼んだはいいが、「餘りに大袈裟過ぎる、折角だが、三日間で辭る事にした」。そこで以後は巡警が護衛につくことになったが、これがナサケナイ限り。「元来巡警察は、日本の警察官とは全く違ふ。訓練の無ければ、學問も無い。殊に各縣共經費が無くて支給が惡いから、被服調度、悉くひどい有樣である。ボロボロの官服を着て、草鞋を穿き、荷物を擔ぎ乍ら往く樣は、とても元氣な緑林の徒を相手にする力量の者では無い」。
だが想像するに、緑林の徒にもなれないから、しみったれた格好して巡警をしているのだ。ならば「元氣な緑林の徒を相手にする力量」なんぞ、最初から期待する方がムリです。
ある宿でのこと。「高原の秋の夜は靜に落ちて、吹き込む風が冬の樣に寒い。夕食後、爐を圍んで物語する」。と、「宿の主人は頻りと青島問題を論じ、歐州戰爭に就て聞く」。こんな山間僻地にありながら、どこから情報を得たのか。「訊ねると數冊の週刊新聞めきたるものを持つて來た」。見ると「基督敎家庭新聞(The chinese christian Intelligenger)である」。これがなんと、今風の表現を使うならフェイク・ニュースだった。
「内容を檢すれば、緊要敎務、戔言、敎會新聞、世界時事等に分かちて、一週間の事實を概報し、殊に緊要敎務の部には、靑島問題の不當を鳴らし、排日、排日貨を公然と煽動して居る」。かくて上塚は「夫れを讀んで、是れ有る哉と膝を打つて叫ばざるを得なかつた」。
上塚は疑心を持つ。
「恐るべきは、布敎の美名に隱れて野心を遂げんとする者の行ひである。之を以て唯一の羅針盤とも仰ぐ(恐らくは之れ以外の印刷物は此の村には來るまい)雲南山中の人々には、此の煽動の文字が如何に強く響くであらうか」。
次いで慷慨する。
「彼等は此れを村中の文字階級に廻讀し、廻讀されたる事柄は、無文字階級に口傳せられ、遂に強い強い輿論となつて現れて來る。基督敎國民の煽動! 夫れは有り得べからざる事と信じて居たが、今は早や疑ふべくも無い」。
かくて告発することになる。
「A church and Timely news paper pulisbedin Shanghai at 13 Peking Road(基督敎家庭新聞毎日曜發行、一年購讀料一元二角)には、明かに、憎むべき煽動の文字と虛構の文字が滿されて居る」。
怒りのままに、上塚は眠れない。
「夜半孤り基督敎國民の奸策を思ふて寝ねず」。
ウソも100回言えば本当になるというが、たしかにそうだ。やはり「恐るべきは、布敎の美名に隱れて野心を遂げんとする者の行ひであ」り、「憎むべき煽動の文字と虛構の文字」であり「基督敎國民の煽動」だ。であればこそ「基督敎國民の奸策を思ふて寝」られないのも分る。悲憤慷慨・切歯扼腕・立腹撃壌・怒髪衝天・・・真っ暗な天井を睨みつけながら重ねたに違いない歯ぎしりの音が、100年ほどの時空を超えて聞こえてくるようだ。
だが、これが「布敎の美名に隱れて野心を遂げんとする」西欧列強の常套手段だろう。大アジア主義を掲げ西欧列強のアジア支配を難詰しているだけでは勝ち目はない。《QED》