【映画】「台湾アイデンティティー」

【映画】「台湾アイデンティティー

 日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

酒井充子監督の映画「台湾アイデンティティー」が7月6日よりポレポレ東中野で!

 ロングランヒットとなった映画「台湾人生」の酒井充子(さかい・あつこ)監督の映画
台湾アイデンティティー」が間もなく公開される。

 今回の登場人物は“日本語世代”6人。本会理事の呉正男(ご・まさお)氏や台湾少年工
だった黄茂己(こう・もき)氏などだ。企画は片倉佳史(かたくら・よしふみ)氏。本会
会員はもちろん日台関係者必見の映画となったようだ。

 映画「台湾人生」と同じように、7月6日、東京・東中野の「ポレポレ東中野」でロード
ショウーが始まる。以下は映画「台湾アイデンティティー」のホームページから。

◆ 映画「台湾アイデンティティー
  http://www.u-picc.com/taiwanidentity/index.html

 東日本大震災の際、台湾から200億円を超える義援金が寄せられたことは記憶に新しい。
一方、日本から台湾へは昨年(2012年)、過去最高の約144万人が訪れた。台湾を訪れる日
本人の多くが台湾に日本の面影を見るという。なぜなのか?それは台湾の田園風景や各地
に残る日本統治時代の遺構によるところが大きいであろうが、何よりも台湾の人々がそう
させるのだ。

 台湾は1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの半世紀、日本の統治下にあっ
た。日本語で教育を受けた「日本語世代」といわれる老人たちは、単に日本語を話すだけ
ではなく、その精神性や行動パターンに至るまで全身に「日本」が染みついている。彼ら
へのインタビューを通して台湾と日本の近現代史をクローズアップさせた『台湾人生
(2009年)から4年、戦後70年という長い年月が過ぎ、日本語世代と呼ばれる人々は少なく
なった。それでも、ある種の「日本人性」を包含している彼らは、今も台湾で存在感を失
ってはいない。彼らの人生、特に日本が台湾を去ったあとの道のりとはいかなるものだっ
たのか?

 本作は、第二次世界大戦、二二八事件、白色テロという歴史のうねりによって人生を歩
み直さなくてはならなかった6人が、それぞれ自らの体験を語ることにより、日本人が知ら
ない台湾の戦後の埋もれた年月を突きつけている。

 日本が戦争に負けたことで「日本人になれなかった」と言う人、台湾に帰れなかった
人。旧ソ連に抑留されながらも、そのおかげで二二八事件に巻き込まれずに済んだと笑う
人。白色テロによって父親を奪われた人。青春の8年間を監獄で過ごさねばならなかった
人。「本当の民主主義とは」を子供たちに伝え続けた人。彼らが口にする過去の体験は、
修正できない歴史を背負っているが故に、重く切実だ。

 敗戦により日本が撤退した台湾では、その後の蒋介石・中華民国国民党政権による言論
統制と弾圧の時代が長く続き、国民の声は封殺されてきた。民主化が本格化したのは李登
輝氏が総統に就任後、1992年(平成4年)に治安法を改正し言論の自由が認められてからの
ことで、それからまだ20数年しか経っていない。

「現在」を語り、「未来」を考えるうえで重要になるのは「過去」だが、その過去を正確
にとらえるのは難しい。歴史は「特殊例外的」な事件のみを記し、人々の葛藤を記録しな
いからだ。本作は舞台を台湾、ジャカルタ、そして横浜へ移しながら、市井の老人たちの
人生に寄り添う姿勢を貫く。

 登場人物たちの生き様に「日本人性」を認めるとき、彼らの人生が写し鏡となって、台
湾を顧みようとしてこなかった戦後の日本の姿が浮かび上がってくる。その時、我々日本
人は改めて日本という国を見つめ直すことになるのだ。

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【キャスト/CAST】

◆高菊花:(日本名:矢多喜久子/ツオウ族名:パイツ・ヤタウヨガナ)
 1932年(昭和7年)、阿里山のふもと達邦(タッパン)で生まれる。ツオウ族のリーダー
 だった高一生(日本名:矢多一生、ツオウ族名:ウオン・ヤタウヨガナ)の長女。戦前
 は日本人と同じ小学校に通い、六年生のときに敗戦。戦後は師範学校に学び、米国留学
 準備中に父が逮捕、処刑される。母と九人の兄弟姉妹の生活を支えるため歌手となる
 も、国民党による尋問が続いた。1971年(昭和46年)、自首証を提出し、17年ぶりにほ
 ぼ自由の身となる。

◆黄茂己:(日本名:春田茂正)
 1923年(大正12年)、台湾南西部、?桐郷生まれ。旧制中学卒業後、約8,400人の台湾少
 年工の一員として神奈川県にあった高座海軍工廠へ。挺身隊員だった妻と知り合い、敗
 戦直後に日本で結婚。台湾へ帰国後は、小学校教員として定年まで勤めた。白色テロ時
 代は「本当の民主主義はこんなもんじゃない」と子供たちに伝え続けた。現在は、書家
 として個展を開いたり、週一回の日本語教室で日本語を教えたりと充実した日々を送っ
 ている。

◆鄭茂李:(日本名:手島義矩、ツオウ族名:アワイ・テアキアナ)
 1927年(昭和2年)、阿里山郷達邦村生まれ。幼少のころに隣村の楽野(ララウヤ)へ移
 った。高菊花(喜久子)の父方の大叔父。18歳で海軍に志願し、高雄の左営港で敗戦。
 二二八事件の際、ツオウ族のほかの青年たちとともに嘉義の飛行場攻撃に参加。執拗な
 尋問を受けたが逮捕は免れた。その後、阿里山郷の原住民族で最初に始めた茶の栽培が
 成功、何度も日本に旅行した。日本語を話したくなると、軽トラックを運転して喜久子
 に会いに行く。

◆呉正男:(日本名:大山正男)
 1927年(昭和2年)、台湾南西部の斗六生まれ、横浜市在住。地元の小学校から東京の中
 学に進学し、在学中に陸軍特別幹部候補生に志願。航空通信士として現在の北朝鮮で敗
 戦。中央アジアの捕虜収容所で二年間、強制労働を余儀なくされた。1947年(昭和22
 年)7月に日本へ戻ったが、二二八事件後の台湾へは帰ることができなかった。父の勧め
 でそのまま日本に残って大学へ進み、横浜華銀に就職。日本人の妻との間に一男をもう
 けた。

◆宮原永治:(台湾名:李柏青、インドネシア名:ウマル・ハルトノ)
 1922年(大正11年)生まれ。インドネシア・ジャカルタ在住。1940年(昭和15年)、18
 歳で志願。戦場を転々とし、戦後はインドネシアで過ごす。約千人の日本兵、インドネ
 シアの青年たちとともに、オランダからの独立戦争を戦った。戦後、インドネシア国籍
 を取得。1970年代に日本企業のジャカルタ支社に就職し、日本出張の際、家族に会うた
 め台湾へ。最初で最後の里帰りとなった。残留日本兵は現在、宮原氏ともうひとりの二
 人だけ。

◆張幹男:(日本名:高木幹男)
 1930年(昭和5年)、台湾人の父と日本人の母の間に生まれる。新竹工業学校在学中に日
 本敗戦。1958年(昭和33年)、台湾独立派の日本語の冊子を翻訳しようとして「反乱
 罪」で逮捕され、28歳から36歳までの8年間、火焼島(現・緑島)の政治犯収容所で過ご
 す。出所後、日本語ガイドの仕事を見つけ、1970年(昭和45年)に自ら旅行会社を立ち
 上げて、島帰りの政治犯を受け入れた。会社は、ガイドと事務スタッフ計150人の規模に
 成長。現在、会長を務める。

【スタッフ/STAFF】

◆監督:酒井充子
 1969年、山口県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、北海道新聞記者を経て2000
 年からドキュメンタリー映画、劇映画の制作、宣伝に関わる一方で台湾取材を開始す
 る。小林茂監督のドキュメンタリー映画『わたしの季節』(04)に取材スタッフとして
 参加。台湾の日本語世代に取材した初監督作品『台湾人生』(09)に続き、2013年春に
 『空を拓く─建築家・郭茂林という男』を完成させた。著書に「台湾人生」(2010年、
 文藝春秋)がある。

◆撮影:松根広隆
 1970年神奈川県出身。撮影助手として数々の作品に参加しカメラマンとなる。 主な撮影
 作品、寺田靖範監督『妻はフィリピーナ』(93)、酒井充子監督『台湾人生』(09)、
 橋本信一監督『1000年の山古志』(10)、押田興将監督『39窃盗団』(12)、等々。

◆音楽:廣木光一
 3才の頃から祖父の影響でジャズ、クラシックなど様々な音楽を耳にする。中学時代は報
 道写真家に憧れベトナムに行くつもりになる。18才で最も自分に合う表現方法はジャズ
 だと知る。ジャズギタリスト高柳昌行に師事。廣木光一音楽塾主宰。
 主な共演歴:渋谷毅p 古澤良治郎ds リー・オスカーharm 坂田明as 武田和命ts マイ
 ク・レズニコフds etc。 自己のユニットを中心に各地でライブ活動中。2012年「ベーシ
 スト・shinpei」としてもデビュー。最新アルバム『ボッサ・インプロビザーダ/廣木光
 一acgソロ』。『台湾人生』(09)に続き音楽を担当。

◆編集:糟谷富美夫
 小林茂監督『ちょっと青空』(01)の編集を担当した縁で、酒井充子監督の『台湾人
 生』(09)の編集に続き、本作品の編集も担当。ゲーム・アニメのCM・PVの制作の傍
 ら、東日本大震災での自衛隊の活動を追った『絆〜キズナノキオク〜』などのミリタリ
 ー作品を多数、手がけている。

◆企画:片倉佳史
 1969年神奈川県出身。早稲田大学教育学部教育学科卒業後、出版社勤務を経て台湾と関
 わる。台湾に残る日本統治時代の歴史遺産や遺構を調査し、日台の知られざる歴史や関
 わりを記録している。また、台湾からの引き揚げ者や台湾籍日本兵の聞き取り調査も続
 けている。一方で、台湾の地理や歴史、原住民族の文化、グルメ、鉄道などのジャンル
 で執筆・撮影を続け、これまでに手がけたガイドブックは35冊を数える。著書に「観光
 コースでない台湾」(2005年、高文研)、「台湾に生きている日本」(2009年、祥伝
 社)、「台湾 鉄道の旅」(2011年、JTBキャンブックス)、「台湾に残る日本鉄道遺
 産」(2012年、交通新聞社)など。台湾でも何冊かの著作がある。このほか、台湾事情
 をテーマに講演活動も盛んに行なっている。