「はるかなり台湾」より転載
●台灣への大航海
伊勢寛
台灣へ行きたかったので三月で教師を辞めました。安定した仕事を捨てて台灣へ渡るわけですから、大航海へ出るようなものです。常々、日本の歴史教育や日本人の歴史認識に疑問をもっていて、台灣へ行けばこの問題を解決するヒントが得
られるかも知れないと考えていました。とりわけ、「日本語世代が健在である今でなければならない!」という強い思いが私を突き動かしたのでした。
ノービザで九十日間滞在できますので、拠点作りのためにも、台南の國立成功大學に通うことにしました。午前中だけ大学で北京語を学び、午後や週末は台灣研究や日本語世代の方々への聞き取りをすることにしました。台南に知り合いはいなかったので最初は苦労しましたが、多くの方々に助けられて活動をすることができました。
まず思い立ったのは、公園へ行くことです。家から徒歩十五分のところに台南公園がありましたので、毎朝五時に起きて公園へ行くことにしました。公園で顔見知りになった歐里桑・歐巴桑(オリサン・オバサン)たちと台灣語で「ガオ
ザー」と挨拶するのが楽しくて仕方ありませんでした。公園で仲良くなった饅頭売りのおじさんとは、帰国した今でも連絡を取り合っています。
ところが、公園で聞こえてくるのは台灣語ばかりで、日本語を話している人は来る日も来る日も見つかりませんでした。八十歳以上の日本語世代の方々で公園に出てくる人は稀であるとのことでした。
更なる交流の場を求めて、台南にある愛子カラオケ店にも通うようになりました。日本語世代の方々はもちろん、それより若い世代でも、日本の歌を上手に歌うことに驚きました。ここでも素晴らしい出会いがあり、台灣の人たちと心温ま
る交流ができました。
成功大學には台灣研究が目的で来ている人が何人もいまして、南部短歌會を紹介してもらいました。私も早速、南部短歌會に参加させてもらい、日本語世代の方々との交流を楽しみました。今の日本の若者では到底使いこなせない高度な日本語を駆使して短歌を作る日本語世代の方々の姿に感動しました。
台南に限らず、台灣各地を駆け巡り、日本語世代の方々と交流を深めてきました。おかげ様で多くの方々からお話を伺うことができました。特に、台中の台日會、高雄の志の會、竹田の池上一郎博士文庫、新北の景美人權文化園區などでは、
観光では絶対にできない貴重な体験をさせていただきました。幸運なことに、私の台灣での体験を講演する機会をいただきました。これからひとりでも多くの日本人に台灣のことを伝えていきます。
最後に、日本語世代の高齢化に伴い、台湾では外勞と呼ばれている外国人労働者のヘルパーに介助される方も増えてきているのが現状です。外勞の方々が一生懸命日本語を覚え献身的に介護する姿を見て、彼らに感謝するとともに、台北の玉蘭荘のようなところでボランティアをする日本の若者が増えてほしいと感じました。
台灣に日本語を使って生活している高齢者がたくさんいるという事実は、日本では一般的には知られていません。この現状を打破すべく、情報を発信し続けるのが私の使命です。世の中全体を変えるのはたやすいことではありませんが、全てはひとりの熱い思いから始まります。多くの人を巻き込んで、日台友好の輪を広げていきたいです。私の思いと行動が、日台の架け橋の一部にでもなれば、望外の喜びです。