メルマガ「はるかなり台湾」より転載
9日(土)、新社で例年のごとく山岡先生の慰霊祭が行われました。慰霊祭の終了後、川の湖畔で音楽会が開かれる前に山岡先生に関する紙芝居が紹介されました。この紙芝居は山岡先生の故郷愛媛県伊予市にある中山中学校によって作られました。中山中学校から託されたこの紙芝居は伊予市からやってきた訪問団によって新社高中に寄贈されたのです。
紙芝居の絵は14枚あり、最後の絵の説明文には下記のようにありました。
台湾では、昭和5年、殉職された11月に、川辺に記念碑が建てられました。平成18年からは地元住民の手によって、毎年慰霊祭が行われています。
ある年の追悼式で、女生徒が言った言葉があります。「私は、中洲に取り残された時の家族ではありませんが、それでも山岡先生の行いに対し感謝と尊敬の念を抱いています。それは、生命の大切さを教える教育の上でも最良の題材であるとともに、私たちが日頃から学ぶべき模範となる行いであります。」と、言っています。
自分の人生を大切に生き、世のため人のためにわが身をなげうつことのできる精神の尊さに感謝して称え続ける台湾の人々の心も、清く尊いことを私たちも学んでいかなければなりません。
昭和10年3月には伊予郡連合青年団と中山青年団が主催となり、盛景寺の山門のところに殉職記念碑を建てました。
心優しく志高い山岡栄先生の思いは、現在の中山中学校の生徒たちにも受け継がれています。志高い中山町の偉人である山岡栄先生の話が後世に語り継がれていくことを 私たちはのぞんでいます。
この紙芝居を寄贈した中山中学校のホームペ─ジ(校長ギャラリー)には、下記のように詳細が載っていました。
校長先生が自ら描いたという下絵はとても素晴らしい出来栄えで、この紙芝居はきっと日台の架け橋となるにちがい
ありません
以下は校長先生の話です。
平成25年、中山中学校の生徒が地元の偉人を調べるにあたり、山岡栄さんにたどりつきました。生徒たちは、一生懸命調べ、脚本し台本を作り上げました。そして、自分たちの文化活動発表会で演じたのです。
この紙芝居は、中山中学校の生徒の台本、そして栄さんのお孫さんにお借りした資料をもとに作りました。着彩は卒業していった3年生の有志との共同制作です。全部で、14枚あります。紙芝居は、子供たちに伝えて、後生に残すために描きました。
以前山岡さんが勤務していた学校が、現在は新社高級中学校へと引き継がれています。この度、山岡先生追悼慰霊会に伊予市から17名もの方々が訪台し、参列します。その際に、新社高中へ、紙芝居の寄贈を託しました。またこの紙芝居に、以前日本に留学していた方の手により中国語の翻訳を加えることができました。私も行きたかったのですが、残念ながら授業日に学校を抜けるわけにもいかず、断念しましたが、絵はがきと紙芝居を託せてよかったです
(校長ギャラリーより抜粋)
紙芝居については下記のアドレス(左側メニューの校長室より)でご覧いただけます。
http://nakayama-j.esnet.ed.jp/html/