【産経記事】日本へ、台湾からの言づて

【産経記事】日本へ、台湾からの言づて
【産経記事】日本へ、台湾からの言づて

2009.12.19 産経新聞「土・日曜日に書く」より転載

              論説委員・鳥海美朗 

 台湾には、なお「日本」が息づいている。12月初旬の6日間の旅で、つくづくそう思った。

 台北市内を歩くと、路地の飲食店の看板に日本の常用漢字と同じ表記をひんぱんに見かける。

 例えば、中山北路から東に入った路地で見かけた「肥前屋」の看板。「うなぎ」ののれんの前に長蛇の列があった。現地邦人にも台湾住民にも人気の店だという。

 日本統治時代(1895〜1945年)に育った、いわゆる「日本語世代」はいうに及ばず、コンビニなどの若い店員も、たいていは片言、あるいはそれ以上の日本語を喋(しゃべ)る。台湾語や北京語を知らなくても、街歩きなら日本人は苦労することはない。

 ◆受け継がれた桶(おけ)づくり

 大通りの交差点で、まことに古風な看板とのれんを見つけた。

 「林田桶店 昭和3年創業」

 昔懐かしい風呂桶やたらい、すし桶など大小さまざまな桶が積み上げられている。実用品の桶をつくり、売る店である。

 なぜ「林田桶店」という日本式の屋号が続いたのか。何しろ日清戦争後の日本統治から第二次大戦後の蒋介石・蒋経国父子による中国国民党政権、さらに李登輝政権による民主化と民主進歩党の陳水扁政権、昨年からは再び国民党の馬英九政権と変転したのだ。

 店先で、主の林相林さん(80)に話を聞いた。

 相林さんの父母は台湾の元からの居住者「本省人」である。父・新居さんは明治39(1906)年生まれ。13歳で日本人の桶職人に弟子入りし、腕を磨いた。新居さんが独立した翌年に生まれた相林さんが跡を継いだ。

 「戦前、このあたりにたくさんの日本人が住んでいてね。父は日本語がうまく、店を開くと日本人のお得意さんに喜ばれた。私も小学校で日本語を習ったから、こんなふうに話ができる」

 当時から台湾人の顧客も多かった。台湾ヒノキの香りと相まって、日本の桶文化が定着したと相林さんはいう。

 「桶に入れたお湯はなかなか冷めないから、足湯を好む台湾人にはありがたい」

 戦後、警官が店にやってきて「屋号を北京語に変えろ」と迫ったが、林父子は言を左右にしてそのままにした。家業と不可分の「日本」を消し去りたくなかったのだろう。

 ◆拡大する大陸の影響

 畳文化も生きている。行政院新聞局の女性職員は自宅マンションの一室を畳の間にしている。祖父母が日本語世代で、子供のころに暮らした台湾南部の実家にも畳の部屋がある。台湾では「畳は暮らしに溶け込んでいる」という。

 赤レンガ造りの総統府は、日本統治時代の大正8(1919)年に完成した旧台湾総督府を改修した。大事に使われている。

 そんな台湾で、大陸の影響力が拡大している。宿泊した台北市内のホテルのロビーで観察していると、大陸からのビジネス関係者が頻繁に出入りしていた。故宮博物院には大陸観光客のバスが次々と横付けされた。デパートの売り場に並ぶぬいぐるみをよく見ると、「中国製」だった。

 背景には、台湾当局の対中国政策の転換がある。独立志向を強めた陳水扁前総統と違って、中国国民党の馬英九総統は昨年5月の就任以来、対中融和政策をとり、「三通」(直接の通信、通商、通航)を実現させた。

 ◆総統の日米重視発言

 馬政権は大陸との共同市場形成を目指し、両岸の民間窓口機関による「経済協力枠組み協定」(ECFA)の締結に向けた交渉を進めている。中国が台湾の輸出の4割を占める最大の貿易相手となり、台湾の海外投資の8割を占める現実を無視できないからだ。

 「台湾の主体性が失われてしまう」と危惧(きぐ)する声は少なくないが、馬総統は「ECFA交渉は予定通り進める」方針だ。

 台湾が大陸色に塗り替えられ、日本色は薄れていく。そんな感傷にとらわれた矢先、産経新聞など日本メディア7社と会見した馬総統がこう語った。

 「日米安保条約があってこそ、台湾を含む東アジアが安定すると確信している」

 総統は、経済と政治は別との姿勢だ。明らかに米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で亀裂の入った日米関係を憂慮し、あえて言及したようだった。

 「両国が共通の利益を考慮し、一日も早く(普天間問題が)解決することを願う」

 考えてみれば、経済面での中国依存の一方で安全保障面では中国が脅威となっている点で、日本と台湾は類似した立場にある。

 懐かしい日本の面影を残す台湾からの言づてを、鳩山由紀夫首相は聞き逃してはなるまい。(とりうみ よしろう)

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