――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港86)
【知道中国 2204回】 二一・二・念八 ――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港86) クルスが実際に見聞したのか。他人からの伝聞なのか。伝聞なら、クルスに告げた …
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【知道中国 2204回】 二一・二・念八 ――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港86) クルスが実際に見聞したのか。他人からの伝聞なのか。伝聞なら、クルスに告げた …
【知道中国 2188回】 二一・一・念四 ――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港70) 街を散策していると、「支那人の盛んな葬列に出会った」。「旗、花、人形、供物、馬 …
【知道中国 2182回】 二一・一・初九 ――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港64) 大橋が香港を訪れた1900(明治33)年は、イギリスが新界を99年期限で租借し …
【知道中国 2125回】 二〇・八・丗一 ――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港7) 誰が考えても、4人の子供が見ず知らずの日本人留学生に同情し資金援助を申し出てくれ …
【台湾紀行】「水」地名考 令和2年7月18日(7月23日掲載) 西 豊穣 前々回の【台湾紀行】で阿罩霧圳を紹介したが、その記事の主役は水のインフラである小さな水門であった。そこで今回はもう少し「水」に敷衍してみたい。 台 …
【台湾紀行】南蕃騷擾殉職警官碑 令和2年5月19日 西 豊穣 <プロローグ> 今年の三月、東京在住のM氏より突然メールを頂いた。筆者の『台湾古道』ブログ中、パイワン族「大亀文王国」に関する記事の中で紹介した、一基の慰霊碑 …
【知道中国 1990回】 一九・十一・念五 ――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(8) 上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年) 「一人の挑夫を督しなが …
――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(8)上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年) 続きを読む »
【nippon.com:2019年8月25日】https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00739/ ◆知られざる戦前の高級住宅街 台北市の地図を開くと、数多くの公園が確認できる。 …
【片倉佳史の台湾便り:2019年6月14日】http://katakura.net/ 皆さん、いかがお過ごしでしょうか。雨の多い季節を迎えましたね。 私は今、帰国をしており、全国を巡っています。今回は10日間の日本滞 …