台湾で民進党の陳水扁政権のときの2004年7月、羅福全氏の後任として、台北駐日経済文化代表処の代表に赴任してきたのは津田塾大学名誉教授の許世楷氏だった。
そのとき、日本李登輝友の会は連絡事務局として「台湾新駐日代表 許世楷先生歓迎会」を新高輪プリンスホテルにおいて催した。それから4年を経て、ノービザの実現、李登輝前総統「奥の細道」探訪の実現、運転免許証の相互承認、相互訪問の250万人突破など、台湾と日本の関係は最良の状態と言われるまでになった。
2008年5月、台湾の政権が馬英九政権に替り、政治任用だった許世楷代表の退任が予想されたため、日台の有縁の方々にお集まりいただき、許世楷代表と千恵夫人の送別会を開催することとなった。このときも、日本李登輝友の会は連絡事務所となり、2008年6月1日にホテルオークラ東京の平安の間で開催した。
出席の国会議員は、安倍晋三・前首相や中川昭一議員、平沼赳夫議員など100名を超え、民間からも国際教養大学の学長・理事長だった中嶋嶺雄氏や女優で歌手のジュディ・オングさん、阿川佐和子さんなど総勢900名が参集し、会場はあふれんばかりだった。来賓挨拶のトップは安倍前首相だった。
産経新聞は7月8日の安倍晋三・元総理のご命日を控え「安倍氏銃撃1年」と題し、菅義偉・前首相やジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)にインタビューし安倍氏の事績を顕彰している。ボルトン氏に続いて、本日の紙面に登場したのが許世楷氏だ。
許氏が代表に就くと安倍氏から、「防衛上の話し合いの会」を作ろうと提案があり、主に中国の内情について情報を交換する定期会合を代表退任まで続けたという秘話も紹介している。また、安倍氏は馬英九総統に許氏の留任をお願いしたというエピソードも披露している。下記にその記事をご紹介したい。
なお、本会では許世楷代表の歓迎会と送別会の模様をDVDとして残し、皆様に廉価でお頒ちしている。お申し込みは下記からお願いします。
https://mailform.mface.jp/frms/ritoukijapan/fmj997u85wa3
・許世楷新駐日代表歓迎会(2004年7月18日)・許世楷駐日代表ご夫妻送別会(2008年6月1日)
—————————————————————————————–安倍氏銃撃1年 日台協力の路線を敷いた 許世楷・元台北駐日経済文化代表処代表【産経新聞:2023年7月4日】https://www.sankei.com/article/20230703-MNB5LSEF45JTBCEOM5OON6OC7Y/
安倍晋三元首相は中国に過剰に配慮する日本の多くの政治家と異なり、親台的だった。現在の日台協力の路線は安倍さんが敷いた。本当に惜しい人を亡くしたが、「台湾有事は日本有事」という彼の言葉は今の岸田文雄内閣もある程度、引き継いでいると思う。
彼に初めて会ったのは、私が2004年7月に代表になって間もなくだった。台湾からも出場したチアリーディングの国際大会の場で、配慮して離れていた私の横に寄ってきて座り、「小さいときにおじいさんと一緒に台湾に行ったことがある」と気さくに話しかけてきた。
その後、「防衛上の話し合いの会をつくろう」と提案され、私の08年6月の代表退任まで何人かで定期的に会合を持った。そこまでの提案をしてくれるとは思っていなかった。台湾からは当時の民主進歩党政権の幹部が来日して参加し、日本側の参加者には自衛官もいたと記憶している。主に中国の内情について情報を交換した。彼は当時から台湾の防衛を非常に気にしていたので、最近になって「台湾有事は日本有事」と言ったときも、驚かなかった。今までやってきたことをきっちり表現した、いい言葉だと思った。
台湾で08年5月に中国国民党に政権が交代したため、政治任用の私も当然、代表を辞めるつもりだった。すると、安倍さんは就任したばかりの馬英九総統に「日台関係に強い絆があるから」と私を留任するよう伝えたといい、「馬英九さんにもそのことを話してあるから、ぜひ辞めないでほしい」と引き留められた。辞任の意思表示をするために送別会を開いてもらったら、首相を退任しその後に首相になる予定があるはずの彼が、中国の反発も構わずにやってきて、別れを惜しむ挨拶をした。私が台湾に戻ってからも、何かあると弟の岸信夫氏(前防衛相)を通じて連絡があった。
彼が他の政治家と異なるところは、非常に果断で明瞭なところだ。政治家にありがちな、責任を避けるために曖昧な言い方をするところがなく、非常に付き合いやすかった。あまり苦労を知らないお坊ちゃん育ちであることも、いい面で関係があったのではないか。
安倍さんは台湾では「アンベイ(安倍の標準中国語読み)」と呼ばれ、知らない人はいない。彼の祖父、岸信介氏は中国大陸から台湾に逃れた国民党政権と関係を持ったが、安倍さんは台湾そのもの、台湾の一般の人々との関係に力を尽くした。祖父とは異なり、新しい色彩を持った台湾を好いていた。台湾では一周忌を前に銅像が建てられるなど、彼の影響力は亡くなった後も続いている。
今の岸田首相は、ご本人が賛成してやっているのか、安倍さんが自民党内に築いた広範囲な親台路線を意識して党内をまとめるためにやっているのか分からないが、台湾に対して優先的な態度をとっている。こうした路線は続いてほしいし、安倍さんの路線を継承する政治家の活躍に期待したい。(聞き手 田中靖人)
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