被災者目線でない避難所生活  濱口 和久(拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長)

 本誌の1月19日号でお伝えしたように、昨年12月28日に発表された産経新聞「正論」欄執筆陣11人の中に本会から、副会長の浅野和生(平成国際大学副学長、教授)と理事の濱口和久(拓殖大学特任教授、防災教育研究センター長)のお二人が入りました。これで、本会の現役員からは会長の渡辺利夫とともに3人が執筆陣に加わりました。

 浅野氏が初めて「正論」欄に寄稿した「『現状維持』民意示した台湾選挙」は1月19日にご紹介しましたが、ここに1月17日の「正論」欄に初寄稿した濱口和久氏の「被災者目線でない避難所生活」をご紹介します。

 災害と有事が関連していることは論を俟ちません。日本では手薄な民間防衛を拡充させる一環として、濱口氏はこの論考で災害と台湾有事の関連性に言及し、持論である「日本は災害対応や台湾有事の住民輸送に備えて大型病院船を導入するべきだろう」と提案しています。

 本会は、昨年発表した「政策提言」において、「日台交流基本法」を早期制定とともに、台湾有事における邦人保護のために緊急的な輸送手段や台湾内での避難を確保するために日台の協力体制を整備、また対中抑止力強化のための原子力潜水艦を導入などを提案しているが、大型病院船の導入も私どもの提言と通底する提案だと思われます。

 下記に濱口氏の寄稿全文をご紹介し、また、プロフィールも最後にご紹介します。

—————————————————————————————–被災者目線でない避難所生活濱口和久(拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長)【産経新聞「正論」:2024年1月17日】https://www.sankei.com/article/20240117-B3AOS2XAVNNGTFCIZKIRLVRBE4/?257366

◆自分事として捉える

 元日早々から日本人は地震と向き合うことになった。石川県で最大震度7を記録した能登半島地震は発災から約2週間経(た)っても、道路の寸断が続きいまだに孤立している集落がある。停電、断水、通信障害なども解消されていない。石川県が16日に発表した死者数は222人(災害関連死14人も含む)にのぼり、現在も行方不明者の捜索が続けられている。

 今回、被災した地域以外の大多数の日本人にとっては、自分の暮らす地域で発生した地震でないために、マスコミなどの映像や写真などを通じてでしか被災地を見ることができない。そのため、どうしても自分事ではなく人ごとになりがちだ。日本は地震大国であり、今後高い確率で発生する恐れがある首都直下地震や南海トラフ巨大地震が起きる地域に限らず、日本列島のどの地域に暮らしていても、日本人は常に地震リスクと隣り合わせであるということを理解しておくべきだろう。

 平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、昭和から平成に時代が変わり最初の甚大な被害を伴う地震となった。その後も平成の時代は東日本大震災や熊本地震、北海道胆振東部地震などを日本人は経験してきた。能登半島地震は平成から令和に時代が変わり最初の甚大な被害を伴う地震となったことは誰の目にも明らかだ。

◆改善されない避難所の環境

 能登半島地震では多くの住宅が全半壊し、発災後も余震が続くなか、被災者は自宅での生活ができないため避難所に身を寄せている。だが、避難所に指定されている施設も発災から数日間は停電、暖房がない状態で過ごさなければならず厳しい生活を強いられていた。断水によるトイレ問題も深刻となった。

 体育館や教室に布団などを敷いて寝る生活は、ほこりやウイルスを吸い込みやすく、床から30センチ以上の高さがある簡易ベッドが不可欠とされるが備蓄の数は限られていた。プライバシーの確保のため雑魚寝を避けようと自動車での車中泊が増えれば、エコノミークラス症候群の危険性も高まってくる。避難所の環境は阪神・淡路大震災のときからほとんど改善されていない。

 日本の避難所の環境の悪さは「先進国の中で最低のレベル」とも言われている。紛争や災害の際の避難所の環境水準を定めた国際基準に「スフィア基準」というものがある。多数の難民や被災者が発生した場合の人権、生命を守るための最低限の基準として国際赤十字などが設定したものだ。日本の避難所は一部の施設を除けば、この基準から程遠い状態だ。

 1月13日、石川県七尾市の港に防衛省がチャーターしている民間の最大300人が宿泊可能な大型フェリーが入港し避難者を受け入れているが、日本は災害対応や台湾有事の住民輸送に備えて大型病院船を導入するべきだろう。

 日本は災害のたびに防災体制の見直しや国土強靱(きょうじん)化の取り組みを行ってきたが、現状の避難所の環境は被災者目線とは程遠いものとなっていることが改めて浮き彫りとなった。

◆イタリアを参考に

 能登半島の地理的特性や道路事情からイタリアの仕組みをそのまま能登半島地震に当てはめることはできないが、今後の日本の防災対策の参考になると思うので紹介したい。

 イタリアでは発災後、政府からその日のうちに「緊急事態宣言」が発出されると、州(自治体)が備蓄してある「テント・簡易ベッド・トイレ」を1ユニットとして、大型トレーラー数台で運ぶ体制が整えられている。テント村(避難所)には遅くとも2日目には簡易ベッドと冷暖房機が設置され、家族単位のテントが展開される。トイレは衛生環境が保たれ、シャワーも完備されている。

 被災した州には、周辺の州からキッチンカーが急行し、テント村には食堂用に巨大テントが設置され、翌日からテーブルで温かいパスタなどの食事をとることができる。数日後には肉料理やワインが提供されることもある。自衛隊が行う炊き出しまでの数日間、菓子パンやお握りといった食事が中心の日本の避難所とは対照的だ。

 イタリアの災害ボランティアは日本のボランティアとは違い、事前に災害対応の研修や訓練を受け、ボランティア団体に災害派遣希望登録を済ませており、被災地に派遣される場合は、日当・交通費・労災保険が提供される。このようなボランティアがイタリア全土に120万人以上いる。ヘリコプターや建設重機などを保有しているボランティア団体もある。

 日本では災害が起きるたびに警察や消防も被災地に出動するが、自衛隊の力に大きく依存する傾向が強い。自衛隊は自己完結能力を持った災害時にも心強い集団であることだけは間違いないが、自衛隊の本来の任務は国防だ。日本人は災害を人ごととせず、平時からうわべだけの防災対策ではなく、地域特性を考慮した地域防災力の強化に取り組むべきである。

(はまぐち かずひさ)

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濱口和久(はまぐち・かずひさ)昭和43(1968年)10月、熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業後、日本大学大学院修士課程修了。陸上自衛隊に入隊後、陸上自衛隊幹部候補生学校入校し、陸上自衛隊第3施設群施設科小隊長などを経て1994年10月に退官。その後、元首相秘書、日本政策研究センター研究員、栃木市首席政策監(防災・危機管理担当兼務) 、國學院栃木短大講師、 テイケイ株式会社常務取締役、NPO法人日本防災士機構理事、拓殖大学日本文化研究所客員教授などを歴任。その間に名古屋大学大学院博士課程に就学。

主な著書に『守ろう竹島!日本の領土。』『機は熟した! 甦れ、日本再生。』『日本を守る決意』『祖国を誇りに思う心』『思城居(おもしろい) 男はなぜ城を築くのか』『だれが日本の領土を守るのか?』『探訪 日本の名城 戦国武将と出会う旅』(上・下)『日本の命運 歴史に学ぶ40の危機管理』『戦国の城と59人の姫たち』『リスク大国 日本 国防・感染症・災害』など。

現在、一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長、ニューレジリエンスフォーラム事務局長、共同PR総合研究所客員研究員、政策研究フォーラム理事、近江八幡市安土城復元推進協議会副会長、拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授・防災教育研究センター長、城郭史研究家、日本李登輝友の会理事。

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